第4話 作品を評価してくれた男が、なぜ最終選考を辞退しろと――

文字数 3,402文字

『申し遅れました。私、「日文社」文芸部の磯川と申します。この度は、「未来文学新人賞」三次選考通過おめでとうございます』
「え? あ、ありがとうございます! 最終選考に残った候補者に、わざわざお祝いの連絡をくださるんですか?」
 日向は驚きを素直に口にした。
『いえ、そうではありません』
「え……」
 予想外の返答に、日向はふたたび驚いた。
『私が在籍しているのは文芸第三部で、「未来文学新人賞」は文芸第二部の新人賞です。今回お電話したのは、日向さんにお願いしたいことがありまして』
「私にお願い……なんでしょう?」
『直接お話ししたいので、私と会ってくださいませんか? お忙しいところ申し訳ありませんが、たとえば今夜とかいかがでしょう?』
 磯川が伺(うかが)いを立ててきた。
「未来文学新人賞」とは違う部の編集者が、いったい、なんの用だろうか?
 今日は六時から、テレビ局のドラマ部のプロデューサーとの会食が入っている。
 明日は午前中から深夜まで『世界最強虫王決定戦』の撮影が、明後日は映画監督との会食が入っている。
「すみません。夜は会食の予定が入っていまして。週明けなら、時間を作れそうです」
『いえ、週明けでは遅いです。これから……午後一とかどうでしょう?』
「えっ、これからですか!?」
 日向は、思わず訊ね返した。
『ええ。一時間、いえ、三十分でも構いません。私が御社に伺いますので』
 磯川は言葉遣いこそ柔らかだが、かなり強引な男だ。
 日向もタレントの売り込みのときはイニシアチブを取りグイグイ行くが、磯川も負けてはいなかった。
 ウチの事務所に入れば、タレントに仕事をガンガン取ってくる優秀なマネージャーになりそうだ。
「わかりました。事務所まできて頂くのは申し訳ないので、渋谷駅前の『Sタワーホテル』
の『菫(すみれ)』というラウンジに十三時はいかがですか?」
 申し訳ないというより、事務所には椛がいるので茶々を入れられて打ち合わせなどできない。
 十五時には六本木のテレビ局に所属タレントの売り込みに行かなければならないので、一時間くらいは時間が取れる。
『了解しました。無理を言ってすみません。私は、黒いポロシャツを着ていますから。のちほど、お会いできるのを愉しみにしています。では、失礼します』
「はい、ラウンジのURLはショートメールに送っておきます。いったい、なんの用だろう?」
 日向は電話を切ると、スマートフォンをみつめた。 
                  ☆ 
「菫」には、約束の十分前に到着した。
「待ち合わせです」
 日向は男性スタッフに告げた。
「お連れ様は、おみえになっていらっしゃいますか?」
「いや、まだ早いから……」
 日向はラウンジ内に巡らせていた視線を止めた。
 全面ガラス張りの窓際の席に座る、黒のポロシャツを着た三十代前半と思しき男性が視界に入った。
 日向は、黒のポロシャツを着た男性のテーブルに歩み寄った。
「『日文社』の磯川さんですか?」
 日向は声をかけた。
「あ、そうです。日向さんですか?」
 黒のポロシャツ男……磯川が立ち上がり、訊ね返してきた。
「はい」
「改めまして、『日文社』の磯川です」
 磯川が名刺を差し出した。
「日向です」
 日向は磯川の名刺を受け取ると、芸能プロダクションの名刺を出した。
「とりあえず、なにか注文しましょう」
 短髪にノーフレイムの眼鏡をかけた磯川は人懐っこい笑みを浮かべ、椅子に腰を戻した。
 柔和な印象の男だが、眼鏡超しの瞳は笑っていなかった。
 日向はコーヒー、磯川は「ペリエ」を注文した。
「『未来文学新人賞』の応募作品、『阿鼻叫喚』を読ませて頂きました。粗削りな文章ですが、勢いがあってグイグイと引き込まれました」
 唐突に、磯川が小説の感想を述べてきた。
「ありがとうございます。本格的に小説を書いたのは初めてだったので、粗だらけだと思います」
 謙遜ではなく、正直な気持ちだった。
「はい。たしかに、日向さんの小説は粗だらけです。誤字脱字も多いし、文章も荒々しい。でも、登場人物一人一人のキャラクターが立っていて、描写やセリフにリアリティがあります」
 磯川が、淡々とした口調で言った。
 けなされているのか褒(ほ)められているのかわからず、複雑な気分だった。
「あ、これは褒め言葉です」
 日向の心を見透かしたように、磯川が言った。
 それにしても、いったい、なんの用件なのだろうか?
 ほかの部の応募作品の感想を述べるために、わざわざ日向を呼び出したとは思えなかった。  
「なぜ呼び出されたのか? そう思っていますね?」
 ふたたび、磯川が日向の心を見透かしたように訊ねてきた。
「ええ、本音を言えば少し戸惑っています」
 日向は正直な思いを口にした。
「それでは、そろそろ本題に入らせて頂きます。『未来文学新人賞』の最終選考候補を辞退してください」
 磯川があっさりと言った。
「えっ……。いま、俺に最終選考を外れろと言ったんですか!?」
 日向は素頓狂な声で訊ね返した。
「ええ。そういうことです」
 磯川は日向とは対照的に涼しい顔で頷き、運ばれてきた「ペリエ」をグラスに注いだ。
「あの、言っている意味がわかりません。千数百人から五人にまで残ったのに、どうして辞退しなければならない……もしかして、もう落選が決まってるんですか!?」
 日向の胸に嫌な予感が広がった。
 ドラマや映画のオーディションでも、形式だけで既に合格者は決まっているケースは珍しくない。
「未来文学新人賞」もそうならば、端(はな)から日向に受賞の見込みはないということだ。
「いいえ、そんなことはありません。万が一、そうだとしても部が違う私には知る由もありませんから」
 相変わらず磯川は、淡々とした口調で言った。
「だったら、どうして辞退しろなんて言うんですか? 磯川さんが原稿を読んで、俺に才能がないと思ったとか……そういうことですか?」
 日向は矢継ぎ早に質問を重ねた。
「いいえ、それも違います。万が一、あなたに才能がなかったとしても、違う部の文学新人賞の候補者を呼び出して辞退を勧めるなんてお節介は焼きません。そもそも、僕は人に興味がありませんから」
 磯川が微笑んだ。
 やはり、レンズ越しの瞳は笑っていない。
 だが、不思議と磯川の言動を冷淡だとは思わなかった。
「だったら、なぜ、部の違う磯川さんが俺を呼び出してそんなことを言うんですか?」
 日向には、磯川の意図がまったく摑めなかった。
「僕は、人に興味がなくてもワクワクできる作品には興味があります。先ほども言いましたが、『阿鼻叫喚』は粗削りですが読み応えのある力作です。日向さんより美しい文章や完成度の高い作品を書く作家は数多(あまた)います。ですが日向さんの作品には、既存の作家のものにはないリアリティがあり、素人臭が漂っています」
「リアリティはいいとして、素人臭って……それ、褒め言葉になっていませんよ」
「いいえ、褒め言葉です。つまり、日向さんにはそれだけ伸び代があるということです。『阿鼻叫喚』はセリフも描写も展開も常識に捕らわれず斬新で型破り……日向さんにしか書けない作品に仕上がっています」
 磯川がさっきまでの淡々とした口調ではなく、愉快そうに語った。
 まるで、新種の珍虫でもみつけた風変わりな学者のように。
 それにしても、摑めない男だ。
「磯川さんの俺にたいする評価を信じるなら、なおさら、最終選考を辞退しろという言葉には納得できません。あっ、磯川さんは俺が最終選考に残っても新人賞は受賞できないと思ってますか? そうだとしても、チャレンジもしないで諦めるのは……」
「受賞できる可能性はあります。というより、『阿鼻叫喚』が『未来文学新人賞』の受賞作になる可能性は高いでしょう」
 日向を遮り、磯川がさらりと言った。
「じゃあ、どうして辞退しなきゃならないんですか!?」
「『未来文学新人賞』を受賞してデビューしたら、注目されるのは一作だけです。その後、泣かず飛ばずのまま世間から忘れ去られるでしょう」
 磯川が無機質な眼で日向を見据えた。
「なっ……」
 日向は絶句した。

(次回につづく)

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