恋の「副作用」 ――『妙麟』の文庫化にあたって

文字数 1,081文字

 悲恋が、好きです。自分が体験するのは勘弁してほしいですが。
 なぜか互いを好きになる運命の邂逅の結果、花開いた恋がしかし、何らかの障害により成就せずに終わる。悲恋が織りなすやるせない葛藤と喪失の結末に、心が洗われるような哀切を感じるからです。
 主人公は〈九州のジャンヌ・ダルク〉こと、吉岡(よしおか)(みょう)(りん)()
 400年余り昔の戦国末期、年寄りや女子供と城に籠り、「鶴崎城攻防戦」で敵の大軍を16度も撃退したと伝わる女傑です。『妙麟』では、歴史の霧に包まれた正体不明の女武将の生涯を、悲恋物語として綴ってみました。
 戦のやり方も知らないはずの尼僧が、なぜ寡兵で勝ちえたのか、勝利の秘密もさることながら、私にとって妙林尼最大の謎は、わずかな非戦闘員しかいない絶望的な状況下で、なぜ敵の大軍と戦い抜い(け)たのか、でした。私は自称「悲劇作家」として、彼女の徹底抗戦の動機を〈悲恋〉にしようと決めました。
 いつの世にも悲恋は星の数ほどあって、空を流れる雲のように似通いはしても、一つひとつ違う。時として信じがたいエネルギーを創出する恋は、人間に多様な化学変化を引き起こす心の〈暴走状態〉と言えるかもしれません。それゆえに恋は、しばしば人の正気を失わせ、道さえ誤らせますが、その逆もあるはず。
 本作では、純粋な少女の恋が、悪しき虎狼の若者の(すさ)んだ心を蘇らせてゆく姿を描きました。彼は、愛らしい少女に対する時の自然な自分こそが、本当の自分だと気付き、恋の力で再生するのですが、すでに手遅れ。九州六カ国の守護となった大友家が、当主宗麟のキリスト教傾倒と入信をめぐり、揺れに揺れる大混乱期にあって、運命の歯車は無情に回ってゆく。
 時代に翻弄された悲恋とその想い出が、猛き情熱を燃え上がらせ、やがて歴史的な勝利を生む――。人を好きだと思う、ただそれだけのありふれた人間の感情が生まれ、育ち、後に起こす奇跡の物語。
 私がこの切ない恋物語を通して描きたかったのは、そんな恋の「副作用」でもありました。



赤神諒(あかがみ・りょう)
1972年京都市生まれ。同志社大学文学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了。私立大学教員、法学博士、弁護士。2017年『大友二階崩れ』(『義と愛と』改題)で第9回日経小説大賞を受賞し作家デビュー。著書に『大友の聖将』『酔象の流儀 朝倉盛衰記』『空貝 村上水軍の神姫』『仁王の本願』などがある。

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