第2話 潮騒が薫りて、愛。

文字数 2,628文字

(*小説宝石2021年1,2月号掲載)

「おとどちゃんは可愛いなあ、ほんまに可愛い」
 (まぶた)を持ち上げると、私の長い(まつ)()の隙間で、坊主頭の日焼けした肌が特徴的な飼育員が、私の頬を()でながらつくしを揺らす春風のような声でそう言った。
 可愛い……。私は彼がくれたその言葉を(のど)の奥で繰り返してみた。なぜだろう。少しだけ胸が痛んだ。

 平成二十八年四月十六日に桂浜水族館の公式マスコットキャラクターとして生まれた私は、ギョロリとした目に(いのしし)のような鼻、大きく開いた口に生えているのはとげとげしいすきっ歯で、自分でも「可愛い」とは言い(がた)く、まるで万人受けしそうにない見た目をしていた。
 外に出れば子どもたちに泣かれ、私を見れば皆が口をそろえて「怖い」「気持ち悪い」「不快」だと(あと)退(ずさ)りした。生まれた時からそんなものだから、私は物心ついた頃から、自分が生まれ持ったなにもかもをコンプレックスに思うようになった。そのせいで街は居心地が悪く、(きや)(しや)で可愛らしく座っているだけで()になり、誰からも愛されるような女の子が(うらや)ましくてたまらなかった。彼女たちは自分とは違って、なにもかもが恵まれているように思えた。だから、誰かと比べて容姿に恵まれないことも、自分を愛することができないひとつの理由だった。それなのに、桂浜水族館の飼育員は私を愛してくれた。私がどんな時も「可愛い」と()めそやしてくれた。頬を撫でてくれる手はいつもほんのりと温かくて、海の匂いがする。私を湿らせるこの手が、たくさんのいのちを(すく)ってきた。そのいのちの終わりに、指の隙間から(こぼ)れ落ちる涙を受け止めてきた。私は、私を包んでくれるこの手が好きだ。わたあめのようにふわふわと柔らかい。耳に残る「可愛い」は、少しの痛みを閉じ込めたお守りになった。

 そういえば、平成三十一年一月半ばの夕方、海獣班でリーダーをしている坊主頭の飼育員が顔をぐしゃぐしゃにして、事務所に併設してあるお土産屋「マリンストア」に飛び込んで来たことがあった。何事かと思い話を聞けば、初めてカリフォルニアアシカ「ケイタ」の採血ができたらしい。とても怖く緊張していたせいで、膝から崩れ落ちてその場に座り込んだ彼は、振り絞った声で「できた」と言うと、(げん)()に「怖かった。怖かった」と、緊張の糸が切れたらしく大きな声で泣いて肩を震わせた。ぼろぼろと大粒の涙と溢れ出る感情を垂れ流しながら、(うわ)()った声で「すごいな……。みんなこんなこと普通にできてるんやもんな」と言った。来店してきた人たちが心配そうに彼を見る。少し()(げん)な表情を落として通り過ぎていった人もいた。だけど私には、彼がそこでどんなに通行人を(わずら)わせていようと「こんなところで泣くな」とは言えなかった。抱えていた不安を吐き出す背中に「頑張ったね」「よくやったね」としか言えなかった。普段から人目をはばからず怒ったり泣いたり笑ったり、人一倍感情をむき出しにするのも、毎日ずっと生きものの生と死に真っ直ぐに向き合っているからだと思った。そんな彼も、今では採血も検温も「普通にできる」。だけど私は、いつか彼が私をここに置いて、まるでコンビニに行くみたいにひとりどこか遠くへ行っても、昔ばなしをする時はこの話を忘れずにしようと思っている。

―むかしむかし、お猿みたいな顔したお調子者の飼育員がいてね。
 これは、そんな彼が太平洋の水位をほんの少し上げたお話―とまえおきして。



 同年の九月の半ばに、お猿みたいな顔した海獣班のリーダーはアメリカへ留学した。二週間の留学。彼はきっと、桂浜水族館を未来へ(つな)ぐ架け橋となる。大きな大きな男になって、この小さな小さな水族館を未来へと繋ぐ虹の続きを創る。でも私は、彼がもう二度とこの水族館に帰って来ないのではないかと心のどこかで思ってしまった。どこにいたっていい。生きていればまたいつか会える。それなのに私の心はいつも騒がしい。寂しくないように、悲しくないように、へたくそな予防線を張ろうとする。
 けれど、アメリカへ旅立って五日後に送られてきた写真の中の見慣れた彼の姿に、私の心配はかき消された。私はストアスタッフに頼んで、お猿みたいな顔をしている彼に似たサルのぬいぐるみを入荷してマリンストアで売ってもらうことにした。誰がどこにいたって、世界は相も変わらず朝を迎える。そうして桂浜水族館の海獣班リーダーがアメリカへ旅立ってから十五回目の朝を迎えた日、私の日常の中に少しだけ()()しくなった彼は帰ってきた。
 おかえり、きみと私の毎日。
 私はマリンストアにひとつだけ残っていたサルのぬいぐるみを買って、自分の部屋で一番好きな場所に飾った。

 令和二年四月のこと、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)によって、戦後初約一カ月に及ぶ長期休館を余儀なくされた桂浜水族館だったが、世界がモノクロに染まりゆく中でも、私と飼育員は変わらない日常を過ごした。
 いつもと違うことと言えば、「お客さんがいないこと」。とはいえ、新型コロナウイルスが(まん)(えん)する以前も毎日満員御礼の大賑わいというわけでもなかったから、それも相まってか、誰も現実を悲観的には受け止めていなかった。飼育員たちがそんなものだから、休館初日や二日目辺りは悲愴感に押しつぶされそうになった私の心も、四日目を迎える頃には随分と軽やかになっていた。
 世界は変わりゆくのに、視界はなにも変わらない不思議な感覚。ニュースで流れる世界のパンデミックな状況が、ロメロのゾンビ映画のようでありながら頃合いを見計らってネタバラシされるドッキリ番組のように、毎日淡々と流れる。それなのに、水族館の近所で感染者が出たという情報だけは一時停止ボタンでも押したみたいにはっきりと脳に飛び込んできた。なんて都合がいいんだろう。おざなりな自己防衛がおかしくて、少し笑ってしまう。

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続きはぜひ「小説宝石」1,2月号本誌でお楽しみください!

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