劇場でも書店でも! 『スパイの妻』映画&小説版Wレビュー!

文字数 2,466文字

名匠・黒沢清監督がメガホンをとり、蒼井優主演、高橋一生共演でおくる映画「スパイの妻」が、第77回ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(監督賞)を受賞! 日本映画の同賞の受賞は17年ぶりの快挙です! それを記念し、映画と小説版の両方の魅力がわかるWレビューを公開中! 書き手はスゴウデ書店員の内田剛さんです。

書き手:POP王・内田剛

幾千のPOPを描き続け王と呼ばれるようになったスゴウデ書店員。treeでも「アルパカ書評」を不定期連載中。BundanTVなど動画チャンネルにも出演中。

読んでから観るか、それとも観てから読むか?小説版のある映像作品の楽しみの一つはどちらから親しめばより面白いのか、と思い巡らせることだろう。想像を広げて期待を高めてしまったゆえの失敗もありがちだ。作品による違いはあれどもどちらでも「ならでは」の面白さがある。


まずは小説から読んでみよう。『スパイの妻』の活字バーションは2020年6月にNHK  BS8Kにて放映された同名タイトルドラマ(演出 黒沢清)の小説版として行成薫が書き下ろした文庫作品である。著者は1979年宮城県生まれの41歳。2012年『名も無き世界のエンドロール』で第25回小説すばる新人賞受賞で鮮烈にデビュー。その後も『バイ・バイ・バディ』『ヒーローの選択』『本日のメニューは。』など話題作を続々と世に送り続けている注目作家のひとりでもある。一度読んだら忘れられない卓越しやアイディアと強烈なインパクト。ジャケットも刺激的でスタイリッシュ。独特なセンスが印象的な中堅作家で個人的にも新作もいつも気になっていた。

小説版『スパイの妻』はまず顔がいい。表情の見えない一人の女性の後ろ姿のイラストに物語性が感じられるのだ。目次を開く真っ先に構成の面白さに目が止まる。2020年夏を前編と後編に切り分けて、その中身である1940年から1945年までを挟みこんでいる。過去パートの最後は神戸大空襲のあった「1945年3月17日」の章で締め括られている。他にも満洲や上海の地名も目に入り、自然と戦争と死を色濃くイメージできる。戦争、スパイ、男と女、出会いと別れ・・・これはもう悲恋に違いない。ページをめくる前から想像力を存分にかき立てられる。


小説の命は書き出しである。出だしの数行で読者は買うか買わないか決めることになる。どれだけ身を削いで一行目を踏み出すのか。劇場で観る映画と違って小説はいつでも読み始められるし止めることもできる。自由性が高いからこそ冒頭は生命線なのだ。


「母さん、これ、どうする?」


から始まるこの物語。親子三代で築四十年以上の家を整理するシーンから小説は息吹を吹き込まれる。人にも家にも物にもドラマがある。古びた映写機に映し出される懐かしき「母」の姿。過去と現在を巧みに繋いだ導入のこの場面から読んでいる自分のストーリーも見えてきた。好感触なのはもちろん滑り出しだけでない。死と闇に覆われた時代の空気もそのままに、男と女が織りなす情念が容赦なく身に迫り、ページをめくる手を緩めさせない。暴いてはならない禁断の巨悪に夫婦間の秘密。死と隣り合わせの危険なミッションと追いつめられる恐怖は上質なミステリー作品のような読みごたえ。魂の込められた言葉は刺となって心に突き刺さる。この小説はまさにそんな物語の醍醐味を味あわせてくれる作品だ。

一方、映画『スパイの女』は高精細8K映像で評判となったNHKドラマの劇場版。ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞受賞の話題が世を席巻したので映像から興味を持たれた方も多いだろう。映画では小説版とは違って現代パートからの回想はなく、いきなり1940年の神戸から始まる。憲兵に連行される外国人の姿。研ぎ澄まされた空気の緊迫感満点のシーンだ。まさに目次のない面白さ。しかしこれほど違いがあるとは正直驚いた。映画の場合は映像だけでなく音もあるから作品を理解するヒントも豊富だ。五感をフル活用して臨むべきだろう。小説は冒頭が肝心だが映像はラストに凝縮された思いの丈が本当に凄い。開幕のブザーが鳴り映像が始まればよそ見はできない。気に入ったシーンやセリフを頭にインプットしながら流れ行く人間ドラマを凝視する。国家の機密を握った男とただひたすらに一途な愛を貫こうとする女。時が経つほど深まる「謎」が激しく胸を締めつける。「正義」か「愛」か。「自由」を求めるだけなのに、何が「真実」か分からなくなる悲痛な叫び。不穏な時代の葛藤は全身を震わせる。溢れるような音と光の洪水を全身に浴びて、瞬きも惜しくなるような濃密な115分。散りばめられたエピソードが収斂されたエンディング。さらに席を立ち難くなるような余韻は至福の時間としか言いようがない。


とびきりいい作品は小説も映画もどちらも優れている。登場人物やシーン、構成などの違いを楽しむよりも文学にしか、映像にしかできない効果を心底味わうことがいいだろう。『スパイの妻』はある「フィルム」が物語の鍵となるので、それぞれでこの「フィルム」がどのように登場するかに注目して欲しい。さらに小説なら行間、映像ならば光と影、そして音がポイントだ。映画では象徴的な場面で鼓膜をざらつかせるような風の音がとりわけ印象に残った。読むか、観るか。どちらが先でもそれぞれの長所が一つの物語を高めあって何度でもリピートしたくなる。刺激の交錯が響きあって新たなドラマも見えてくるのだ。読むほどに観るほどに感じるほどに味わい深く、印象もより鮮明になって濃厚な化学反応をし続ける。読んでいて映像が浮かび、観ていて文学が伝わる。『スパイの妻』はそんな作品だ。「感動した」なんて言葉では生やさしすぎる。最高レベルの期待をしていい。

映画『スパイの妻』は全国劇場にて公開中!

小説版『スパイの妻』は全国書店・電子書店にて販売中!

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