『僕が死ぬまでにしたいこと』第1話試し読み!

文字数 19,609文字

10年ぶりに再会した元同僚の「死ぬまでにしたいこと」リスト作成を手伝ううちに、これまで目を背けてきた自分のなかの“喪失ロス”と、少しずつ向き合えるようになった僕。


誰かを失うこと。かなわなかった夢。破れた恋。仕事でのつまずき。

僕だけでなく、どんな人も、いろいろな”喪失”を抱え、それでもなんとか生きていく。

どんな人生も肯定する静かな希望の物語、『ロス男』改め『僕が死ぬまでにしたいこと』の文庫化(12月15日発売)を記念して、全6話のうち、第1話を無料公開いたします。

第1話


 みじめな気持ちになる秘訣は、自分が幸福かどうか考える時間を持つことだ

──バーナード・ショー


 図書館の名言辞典でこの言葉を見つけたとき、僕は仕事の手を止めて、自分が幸福かどうか考え込んでしまった。もちろん僕が幸福とは言えなかった。親が遺した平屋で独身生活を送る、キャッシング常習者の四十歳である。それなりに仕事をして、無駄遣いをしなくても、定期的にお金が足りなくなるのだ。恋人もいない。とりわけ半年前に唯一の肉親である母を亡くしたことは痛恨事だった。

 いま僕が取り組んでいるのは、T社の布井という書籍編集者から貰った仕事だった。布井は僕を呼び出して告げた。

「こんど名言集を出すことになったよ。どーんと千個。名づけて『古今東西名言集 1000』。よろしくね」

「僕が千個をピックアップするんですか?」

「うん。図書館の名言辞典か何かで、ちゃっちゃと拾ってきてよ」

 いつもながら惚れぼれする丸投げっぷりと、ストレートなタイトルだ。

 葬儀などの出費で口座残高は尽きかけていたから、もちろん仕事は引き受けた。

 自分の住む京急線沿いの図書館に通ったら、気分がヘコむだろうな、と思った。それでなくとも最近は、母の後始末で役所などを駆けずり回り、地元に泥み過ぎていたから。そこで芝公園のみなと図書館へ通うことにした。せめてわが身だけでも都心に置いておきたかった。

 僕は〈仕事〉〈金銭〉〈悲哀〉〈結婚〉〈幸福〉など大まかなカテゴリーを設けて、ピックアップ作業を始めた。

「希望を抱かぬ者は、失望することもない」

 これもバーナード・ショーの言葉だった。僕は拾い始めて数日で、この十九世紀生まれのイギリスの劇作家が、どうやら名言の宝庫であるらしいと気がついた。たとえばこんな言葉。

「人生には二つの悲劇がある。一つは願いが叶わぬこと。もう一つはその願いが叶うことだ」

 いかにもイギリスの皮肉屋っぽいな、と感じた途端、

「正確に観察する能力は、それを持たぬ者からは皮肉屋と呼ばれる」

 とやられる。近くにいたら、さぞかし鬱陶しい人だったろう。ところが「結婚する奴は馬鹿だ。しない奴はもっと馬鹿だ」とか、「結婚を宝くじに喩えるのは間違っている。宝くじなら当たることもあるからだ」なんて言葉を見つけると、案外愉快な人だった気もしてくる。ちなみに僕の母は、僕が三歳のときに父が「外れくじ」だったと悟り、一人で育てていく覚悟を固めた。父の消息は知らない。

 この日も朝から黙々と名言を拾い、気がつくと昼過ぎだった。僕は新鮮な空気を吸うために裏の芝公園へ出た。園内では走り回るわが子を追いかけるママさんたちの姿が目についた。

 ベンチに座り、ぽかんと空を見上げる。

 ここの空は不思議と広い。空に心が吸い込まれているあいだは、自分が一人ぼっちになってしまったことも、晩メシのことも忘れている。

 すると突如、背後に母の気配を感じた。振り向き、誰もいないことを確認して、苦笑いする。これがきたのは久しぶりのことだ。亡くなった当初は頻繁にきたのだけれど。

 ──去る者は日々に疎しってことかな。

 僕はもう一度空を見上げ、そろそろ本当の自分の人生を起動したいと思った。こんな雑念が浮かんだら、休憩を終えるべき合図だろう。僕はベンチから立ち上がった。

 図書館の自動ドアで、ピンクのシャツを着た老人とすれ違った。歳を取るといきなり明るい服を着だす人っているよな、と思って顔を見たら、

「えっ、カンタローさん!?」僕は思わず声をあげた。

「あれぇ、吉井くん?」

「久しぶりじゃないですか」

「こんなところで何してるの?」

 カンタローさんは、僕が十二年前に契約社員で入った中堅の出版社の先輩だった。そのとき僕が二十七歳で、カンタローさんは六十歳。僕らは月刊誌の編集部でデスクを並べた。その会社にはカンタローさんと同じ団塊の世代がたくさんいて、彼らはカンタローさんのことを「カンちゃん」と呼んでいた。僕も心の中ではそう呼んでいたから、以下、それでいかせてもらう。

 僕はカンちゃんと芝公園へ戻り、ベンチに腰をおろした。まず僕が、カンちゃんと音信不通だったこの十年について、四十五秒ほどのダイジェストにまとめて伝えた。母を亡くしたことを除けば、それで充分伝わってしまうくらい起伏に乏しい人生だった。

「ふーん。吉井くんはあれからずっとフリーでやってるのかぁ」

 カンちゃんが両足をベンチの前に放り出した。この世代にしては長い。顔も洋風で、黙っていれば二枚目で通じなくもないのだが、含み笑いの地顔が少し残念だ。

「図書館にはよく来るんですか?」と僕は訊ねた。

「ときどきね。自転車で運動も兼ねて」

「ということは、まだ芝浦のワンルームに?」

「うん。あれからずっと住んでる」

「じゃあ奥さんとは?」

「別居のままだよ。もう十一年になる。籍は入ってるけどね」

 僕らが同僚だった頃、カンちゃんは妻のお美代さんに家を叩き出された。行き場を失ったカンちゃんは、若い時に買い、ずっと賃貸に出していた芝浦のマンションで一人暮らしを始めた。

「あれから、ずっとですか……」

 ひとり身の僕には、十一年に及ぶ別居も、それでいて籍を抜かない二人の精神生活も、想像がつかなかった。一つ確かなのは、この夫婦も当たりの入ってない宝くじを握りしめてきたということだ。もっともあの劇作家に言わせれば、結婚したカンちゃんは「馬鹿」で、しない(できない)僕は「もっと馬鹿」ということになるのだけれど。

「あー、だめだったか!」カンちゃんが突然叫んだ。

 僕らの目の前で、雲梯にチャレンジしていた男の子が手を離したのだ。

「どんまい! 気にするな」

 カンちゃんに励まされ、男の子はきょとんとした。僕はカンちゃんが気難しい老人になっていないことに安堵した。チャイルディッシュな大人の定義が、〝中高年になったその人を見て、九歳の頃の様子が容易に目に浮かぶこと〟だとすると、まさしくその見本みたいな人だから、少年の味方がよく似合う。

「でもね、吉井くん。僕はお美代さんのことが好きだから、十一年間ストーカーしてるんだよ」

 どこまでが本気で、どこからが冗談か分からないのも昔のまま。カンちゃんには、自分の繊細さをユーモアで隠そうとするところがある。

 昔いた会社では、カンちゃんのことを自然児とか野生児と言う人がいたけれど、一面的な見方だと思っていた。たとえば酔っ払いが自慢話を始めると、カンちゃんは軽やかに身を躱し、自分の失敗談を語り出す。入稿直前にデータを全部消してしまったとか、酒を飲み過ぎて据え膳を食い損ねたとか、その手の話が多かった。酔っ払いは声をあげて笑うが、カンちゃんのほうが人品が上なのだ。

 カンちゃんは自分の定年送別会でもやってくれた。スピーチに指名されると千鳥足で前に進み出て、

「結局、人生に必要なのは狂気なんだぁ!」

 と一言だけ叫んでスピーチを終えた。聴衆は「確かにあんたは狂ってるよ」と思ったはずだが、長くなりがちな定年スピーチをさっと切り上げるあたり、さすがはカンちゃんと感心させられた。

 カンちゃんは会社員としては脇の甘いところがあったけれど、編集者としては一目置かれていた。時おりシャープな企画を出したり、誰もが唸る見出しをつけることがあるからだ。若いころは編集長に抜擢されたこともあるらしい。全体的に頼りない感じがしたが、とにかく一目置かれていたことは確かだ。

 さて、こんなふうに褒めた舌の根も乾かぬうちに恐縮だが、

「吉井くん、時間ある? 大門に明るいうちからやってる店があるから飲みに行こうよ」

 と誘われて、身構えてしまった。そう、カンちゃんはとてつもない酒豪なのだ。

 僕はカンちゃんと知り合って、初めて「鯨飲」の本当の意味を知った。僕がカンちゃんと頻繁に飲んでいることを知った当時の役員は「なにっ、カンちゃんと飲み歩いてるだと!? いかん、いかん。君の貴重な二十代を浪費することになるぞ」と言った。

 でもそれを言えば、僕の二十代はすでに敗色濃厚だった。終電越えも休日出勤も当たり前なのに、契約社員だから手取りは二十一万円の固定給。何より、少しでも前に進めているという手応えがないのがキツかった。そろそろ本当の自分の人生を起動したい、と暗い気持ちを抱えてよく転職情報を眺めていたから、カンちゃんに誘われたら五回に四回はついていった。

 もちろんカンちゃんと飲み歩いたあの二年間で、僕が一度も辟易しなかったといえば噓になる。カンちゃんは典型的な長っ尻で、飲むほどに、普段から辿りにくい思考回路がさらに飛躍する。僕は翌日の仕事にやきもきしながら、永遠に続きそうな酒のお代わりを、いささかうんざりした気持ちで眺めていたはずだ。

 ただしカンちゃんには一つだけ酒徳というべきものがあった。飲みに飲んだあと、「じゃあね、ばいばーい!」と手を振られると、日暮れまで遊んだ少年時代の充足感と寂しさが甦り、またカンちゃんと飲んでもいいかな、という気持ちにさせられるのだ。

「このあと予定がないなら行こうよ」

 もういちど誘われて、行くことにした。十年ぶりの誘いを断るのは気が咎める。僕は図書館で荷物をまとめ、自転車を引くカンちゃんと歩いて大門へ向かった。


 ビールケースを積み上げて、テーブル代わりに使う居酒屋だった。カンちゃんはビールを頼んだあとおしぼりで顔をぬぐい、「吉井くんは幾つになったの?」と言った。四十です、と僕は答えた。

「そっか。うちの息子の五つ下だっけ」

「あ、カンジュニさん」

 カンちゃんジュニア、略してカンジュニは、父親の遺伝子を忠実に受け継いだ変わり者だった。編集者の注文の遥か上をいく奇想天外なイラストを上げてくることで有名なイラストレーターだ。極端な人嫌いだから、一度しか会ったことはない。野菜を食べず、パソコンのマウスとキーボードを一日に五回は消毒すると噂されていた。「今月号のイラスト、カンジュニに頼みましたよ」と言うとカンちゃんが嬉しそうな顔をするので、僕は機会を見つけては依頼していた。

 ちなみに僕らのやっていた雑誌は月刊のワンテーマ・マガジンで、カンちゃんはそこで勤続三十数年。僕ら若手の契約社員から見れば格段に恵まれた正社員生活を送っていた。だから本宅のほかに、芝浦にワンルーム投資ができたのだ。

「カンジュニさんはいまもイラストレーターをやっておられるんですか?」

「いや、ほとんどやめて母親の面倒をみてる」

「えっ、介護ってことですか?」

「うん。じつはお美代さんが酷いリウマチでね。腎臓をこわして人工透析に通っているし、三年前に乳がんも摘った。ぼろぼろの車椅子生活なんだ。だから僕が仕送りをして、息子が介護をしてるの」

 大変ですね、と相槌を打ったが、本当は想像もつかないほど大変そうだったので、想像することを放棄してしまった。

「ところでカンタローさんの奥さんって、どんな人ですか?」

 僕は二人の変人にかしずかれている女性に興味を持った。

「どんなって、かわいい女だよ。強烈だけど」

「どこらへんが?」

「たとえばいきなり百八十万円もする歯列矯正をしてさ。『僕に相談してよ。クルマを買うときは相談したじゃない』って言ったら、『出てけ! わたしが綺麗になるのが嬉しくないの?』って。そりゃ嬉しいけどさ。この前も保険適用外のリウマチ特効薬があるっていうから『気にせずバンバン使いなよ』って言ったら、『あなたに言われなくてもバンバン使ってるわよ!』って叱られた。僕もいまはフリーランスだけど、仕事を増やしたよ。もう七十三歳なのに」

「これは惚気話と受け取っていいですか?」

「いいよ」

「じゃあなんで別居のままなんですか」

「新鮮だからかな。これまで三度別居してるんだけど、別居を始めた途端、仲良くなるんだよね。二人ともカラオケが好きだから一緒にデートで行って『あなた、うち寄ってく?』『いや、やめとくよ』なんてね。僕のうちなんだけど。でもいまは年に二回も会わないなぁ」

 カンちゃんは嘆息した。そして僕が二杯目のビールを飲み干さないうちに、「ここのウーロンハイは薄いね」を繰り返しながら五杯目のお代わりをした。

「ところで吉井くん、Amazonプライム入ってる?」

「なんです急に。入ってますよ」

 月に均せば数百円の、僕にとって数少ない贅沢の一つだ。

「あれ入ってると観ちゃうよね、映画」

「観ちゃいます。タダのやつだけ」

「この前、『死ぬまでにしたい10のこと』を観返したよ。そこで僕も自分の『死ぬまでにしたい10のこと』を起こしてみた。見たい?」

 いかにも見せたそうに言うので、僕は「見たい見たい」と食いついた。本当に見てみたかった。カンちゃんはリュックから手帳を取り出して僕に渡した。


死ぬまでにしたい十のこと

① カラオケで一万曲制覇したい。

② カラオケで人を泣かせたい。

③ カラオケで満点を出したい。

④ カレー屋のバーティさんと、英語で会話できるようになりたい。

⑤ 相撲のかぶりつき席で観戦したい。

⑥ 鍼をマスターしたい。

⑦ 株で一億円勝ちたい。

⑧ カウンターで寿司を握ってみたい。

⑨ 映画にエキストラで出てみたい。

⑩ オーダーメイドの靴をつくってみたい。

⑪ 日本中の離島を全部めぐりたい。

⑫ バーを経営してみたい。

⑬ 家族三人で温泉に二泊したい。

⑭ お美代さんのつくったアップルパイが食べたい。

⑮ お美代さんとまた一緒に暮らしたい。

⑯ お美代さんより先に逝きたい。

⑰ お美代さんと同じ墓に入りたい。


 十のことと言いつつ、十七までいってしまうあたりが、カンちゃんらしかった。欲しいものがありすぎて、サンタクロースに依頼を一本化できない少年みたいになっているのだ。いったい、幾つまで生きるつもりなんだろう。

「カラオケが今後の人生のかなりの比重を占めてますね」

「歌はいいよ、やっぱり」

「一万曲も知ってるんですか?」

「レパートリーは百曲くらい。それを百回繰り返すんだ」

 じつは今日も午前中に行ってきたんだよと言って、カンちゃんはリュックから紙束を取り出した。見ればエクセルで作成した曲名リストがずらりと並び、一曲ごとにチェックボックスまでついている。ページをめくると、かなりのところまで「✓」マークがついていた。

「週に十曲、年間五百曲、二十年で一万曲。老後の尺にはちょうどいい目標でしょ」

「たしかにいいかも」

 僕は曲名リストをカンちゃんに戻し、再び十のことリストに目を落とした。

「カンタローさん、英会話なんて興味ありましたっけ?」

「ア、リトル」

 こりゃだめだ。

「株は?」

「虎の子でやってるけど、なかなか増えないね。むしろ負けてる」

 これもだめそう。

「離島って、日本に何千とあるのでは?」

「そうなの?」

「そうなの、って……。あの、やっぱりキリよく十にまとめたほうが良くないですか? たとえば二番と三番はくっつけて、『カラオケで満点を出して人を泣かせる』にするとか」

「満点を出したとき、泣かないかも知れないじゃない」

「僕が泣いてあげますから」

「じゃ、今度一緒に行こうよ。毎週水曜がカラオケの日」

「了解。靴と相撲と温泉はカネで解決できそうですね。寿司と映画はコネ次第では? バー経営は諦めた方がいいと思います」

「う~ん。どうしても十じゃなきゃだめ?」

「選択と集中です」

「わかった。十に収まるか考えてみるよ」

 ほんとは「満身創痍のお美代さんを残して先に逝くのはまずいのでは?」と訊いてみたかったが、やめた。カンちゃんは何を言われても怒らないし、根に持たない人だが、領空侵犯はあまり行儀のいいことではない。

「話は変わりますけど、母親を亡くしたとき、どうでした?」

「えっ、吉井くん、亡くしたの?」

「はい。半年前に」

「そっか……」カンちゃんは自分のことのように哀しそうな顔をした。「吉井くんはお母さん想いだったもんね」

 僕は首をかしげた。カンちゃんにそれに類する話をした記憶はなかった。でも考えてみれば、カンちゃんの泥酔を見つめている記憶の中の僕はつねに冷静だが、その逆パターンもあっただろう。カンちゃんが冷静で、僕が泥酔。そんなとき、母に関する話をしたのかもしれない。思い当たるフシなら、ある。あの頃の僕はまだ自分の酒量の上限がわかっておらず、しばしば危険水域を越えた。お互い様なのだ。

 僕はこの半年間で世界の見え方が変わった。たとえば高齢者と道ですれ違うとき、この人たちのほとんどが親を亡くした経験があるのかと思うと、平気な顔をして歩く彼ら彼女らが、ふいに奇妙な生き物に見えてくるのだ。

「忘れたよ」

 カンちゃんが言った。「時間が経てば、歓びも哀しみも、そのときの生々しい気持ちは全部忘れちゃうんだ。だから安心しなよ」

 しばらく吞んで店を出た。お代はカンちゃんがもってくれた。別れ際、「あのリストからどれか一つだけ叶うとしたら、どれを択びます?」と訊ねた。

「やっぱり、お美代さんとの再同居かな」

「再、再、再同居でしょ」

 指折り数えながら、僕は微笑ましい気持ちになった。男一匹、七十三歳まで生きて、妻との同居が最後の願いだとするなら、可憐と言うべきではないか。

「それじゃこんどカラオケ行こうね、ばいばーい!」とカンちゃんは自転車で帰って行った。

 僕は帰りの電車に揺られながら、契約社員時代にカンちゃんにピンチを救われたことを思い出した。あれは各界の著名人に「お気に入りの宿ベスト3」を挙げてもらう雑誌の企画だった。僕が担当した中に、日本有数の大企業のトップがいた。ダメもとで依頼したら、「十三日の十四時から二十分だけなら」と秘書からOKが出た。僕はこれを「十四日の十三時から」と記憶してしまったのだ。十三日の十四時三分に「いまどこにおられます?」と秘書から電話が入り、血の気が退いた。

 その会社からは何度か広告を入れてもらったことがあった。取材をすっぽかしたことを報告すると、編集長の顔はみるみる真っ赤に染まった。

「バカ野郎! いますぐ菓子折りを持って謝ってこい!」

 周囲の同情と冷笑を浴びながら、打ちひしがれて近くの和菓子屋を調べていたら、カンちゃんがやって来て告げた。

「僕もついて行ってあげるよ」

 本社ビルを訪ねると、社長室長の男性が現れた。僕らは何度も頭を下げた。室長にも塩っぽい対応を演じ続ける趣味はなかったようだ。ものの五分で解放されることになった去り際、カンちゃんが言った。

「これはまじめな男なんですが、われわれの仕事は、えてしていちばんトチっちゃいけないところでトチってしまうものでして……」

 このときばかりは室長の顔にも憐憫が浮かんだ。カンちゃんはビルを出たところでペろっと舌を出した。「どんまい、気にするな。飲みに行こうぜ!」

 あの時、なぜカンちゃんは付き合ってくれたのだろう。「僕もついて行ってあげるよ」と言われたときの救われた気持ちは、思い返すたびに胸に小さく灯がともる。



 次の水曜日、僕は図書館での仕事を十三時に切り上げ、約束どおり裏の芝公園へ向かった。カンちゃんは缶ビールを飲みながら待っていた。

「じゃ、行こっか」

 缶をぐしゃっと潰し、自転車のカゴへ入れる。僕らは田町の「歌広場」へ向かった。平日の昼間なら、フリードリンク付き、二人で一時間千円でお釣りがくる。

 部屋へ通されると、カンちゃんはリュックから曲名リストを取り出し、「今日はここからなんだ」と「浜辺の歌」を入れて歌い出した。歳のわりに高い声で、想像していたよりずっと上手だった。僕は曲名リストを手に取って眺めた。今日はカンちゃんの百曲レパートリーの中でも、童謡が六つ七つ並ぶパートに当たったらしい。

 カンちゃんは修行僧のように三曲を歌い終えた。

「採点、しなくていいんですか?」

「うん、あれはやめた。吉井くんの助言どおり、死ぬまでにしたいことリストを十三まで絞ったんだ。あと三つ消さないとなぁ」

 それからもカンちゃんは真剣に、かつ機嫌よく歌い続けた。もちろん僕は歌わなかった。一万曲制覇をめざすカンちゃんの残り少なくなった持ち時間を減らすわけにはいかない。

 曲名リストには歌謡曲パートもあった。小林旭「熱き心に」、河島英五「時代おくれ」、尾崎紀世彦「また逢う日まで」、来生たかお「夢の途中」、かまやつひろし「我が良き友よ」、アリス「遠くで汽笛を聞きながら」。どうせならこちらの方を聴きたかった気もする。

「よーし、今日はこれくらいにしておくか」

 七曲ほど歌い終えて、カンちゃんはマイクの電源を落とした。

「さあ、吞みに行こう」

 明るいうちから駅ビルの立ち吞み屋へ行くと、生活費をほとんど酒代につぎ込んでいそうな一人客が何人かいた。僕らはビールで乾杯した。

「付き合わせて悪かったね」

「いえいえ。それにしても一人カラオケって安いし、ストレス発散になるし、良さげですね」

「うん。こんなに安上がりな趣味はないよ。みんな、お金ないんだから」

「ある人はあるでしょ」

「ないって」

「少なくとも僕よりはあると思うなぁ」

「それはそうかもね」

「失礼な」

「わははは」

 笑っている最中に、ふと孤独を覚えた。酒を飲んでるときに、間欠的に人を襲う、あの孤独だ。僕はお金が欲しいわけじゃない、本当の人生を起動したいだけなんです。何者かに向けてそう訴える。

「ついさっきの話なんですが」

 僕は自分の心を現実に引き戻しながら言った。

「図書館でオスカー・ワイルドのこんな言葉を拾いました。『若い時、人生はカネだと思った。いま歳を取って、それが真実だと知った』。カンタローさんはどうですか。歳を取って、その通りだと思いましたか?」

「う~ん、どうかな。息子に金が掛かるようになって、家のローンも残ってたときは欲しかったけど。でも僕、退職のとき失業保険を辞退したからね。二百万くらい貰えたはずだけど、これを貰ったら遊んでダメになっちゃうと思ったんだ。ハローワークに辞退のサインをしに行くときはスーツを着て、モンブランの万年筆で調印式に臨んだよ。そしたら『辞退にサインはいりません』だって」

 カンちゃんらしいエピソードだ。この人の中には、自分と自分が闘うだけでドラマが生まれる自己完結型演劇性人格とでもいうべきものがあって、それがカンちゃんの人生を節目節目で演劇的なものにしていた。根っからの面白がり屋なのだ。

「だから僕に言わせるとこうかな」

 カンちゃんはジョッキを傾けながら言った。

「若い時、人生はカネだと思った。歳を取って、なにがなんだか分からなくなった」

 僕はぷっと噴き出した。迷言集の仕事がきたら収録したい。

「だって僕なんか、時どきおむつしてるからね」

「なにが〝だって〟なんですか」

「だって吞みに行くとチビッてることがあって、おいおいってなるよ。僕は小さい頃、おむつ取れるの遅くてね。よくよく縁があるんだな」

 老いは総じて悲劇に傾きがちだが、こんなふうにあっけらかんとされると、後進としては救われる。

「それよりも聞いてよ。お美代さんがエンディング・ノートを付け始めたんだって。息子から聞いたんだけど、気になって仕方ないよ」

「見せて貰えばいいじゃないですか」

「まだ誰にも見せる気はないらしいんだ」

「カンジュニに盗んできて貰えば?」

「無理だよ。『お父さん、またそんなことするんですか。僕は絶対にイヤです』って言うよきっと。あいつ変わったところあるから」

 どの口が言うか。僕は慣れない昼酒で酔っぱらっていたこともあり、「だったら僕が探りを入れてあげましょうか」と言った。

「えっ、そうしてくれる?」カンちゃんが目を輝かせた。「それなら僕は知らないことにして欲しいなぁ」

「いいですよ。カンジュニのメールアドレス、変わっていませんよね? いま打ちます」


 お久しぶりです。吉井です。覚えてますか?

 じつは先日、カンタローさんとばったり出くわしまして。

 母上がエンディング・ノートを付けておられるとか。

 カンタローさんがそのことをとても気にしていたので、

 よかったらちょこっと内容を教えてくださいませんか?

 なお、このことはカンタローさんは知りません。


 最後の一文はいかにも取って付けたようだが、まあ仕方ない。僕は送信した。それからのカンちゃんはそわそわして仕方なかった。「まだ返事来てない?」「まだです」「まだ?」「まだ」こんなやり取りを三回くらい交したところでお開きとなった。

 カンジュニから返事があったのは、その日の真夜中のこと。エンディング・ノートの全ページをスキャンしたものが添付されていた。開くと、じつに詳細なフォーマットに分かれている。

「名前の由来」「好きな花」「好きな色」「どんな子どもだったか」「サークル・部活動」「これまでに勤めた会社」「嬉しかったことベスト3」「私の武勇伝」「終末医療の希望」「希望する死に場所」「葬儀で弔辞をお願いしたい人」「お墓についての希望」「もしものときの連絡帳」「預貯金・保険・クレジットカードについて」「家族へのメッセージ」……etc.

 これでも全項目の三分の一くらいだ。

「どんな子どもだったか」……内気で、なかなか周囲に溶け込めない子どもでした。中学校で、サヨとメーコと親友になって、ようやく楽しい学校生活が送れるようになりました。

「子どもの頃なりたかった職業」……スチュワーデス。

「嬉しかったことベスト3」……息子を授かったこと。息子が優しい子に育ったこと。息子が介護してくれること。

「私の武勇伝」……息子が小三から小四に上がるとき、学校に掛け合って担任を替えさせました。

 まだ空欄の箇所もあったが、僕はノートを読み進めるうち、お美代さんに親しみを覚えた。記述から再現された彼女の人生は、この世代としてごくごく普通の、それでいて七十年間しっかり生きてきた女性のリアリティに溢れていた。カンちゃんはお美代さんの強烈な面について、話を盛り過ぎではないだろうか。

 一方で僕は、だんだんと顔が強張っていくのをどうすることもできなかった。

 ないのだ。カンちゃんに関する記述が。たったの一行も。

 僕はカンジュニのメール本文を読み返した。

「お久しぶりです。添付します。ご覧のようなわけで、父には見せないのです」

 カンジュニのケータイを鳴らしたが、出なかった。その代わりすぐにメールが来た。「なぜ父についての記述がないのかわかりませんが、知ったら父はそれなりに傷つくと思います」

 僕はしばらく考えたすえ、このエンディング・ノートをカンちゃんに転送した。

 翌朝、カンちゃんから返信が届いていた。

「ありがとう。僕、どうすればいいかな」

 僕にも、どうすればいいかわからなかった。バーナード・ショーは「希望を抱かぬ者は、失望することもない」と言ったけれど、カンちゃんは死ぬまでにしたい十三の希望を持っていたから、十三の失望を味わうかもしれなかった。


 それからしばらく、カンちゃんからの連絡は途絶えた。僕からもしなかった。名言のピックアップ作業に行き詰まったからだ。五百個くらいまでは快調に拾えたが、その先は一発採用できるものに乏しく、二流三流の名言を拾うかどうかでいちいち悩んだ。

 ──こんなに時間が掛かっちゃ、割りに合わないよ。

 僕はため息をつき、みなと図書館に通い詰める高齢者たちを見渡した。どんな人にも、人生で三つは短編小説のネタになるような出来事があるという。ならばこの人たちの胸にも、宝物のような恋愛経験や、充実した仕事人生の思い出が蔵われているのだろうか。そうかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。

 少なくともこの人たちは、若いときに高度経済成長期を駆け抜けた。バブルも現場で味わった。僕のように四十歳を過ぎてから、そろそろ本当の人生を起動させたいと願ったことはないはずだ。だからと言って、いま図書館で毎日のように日経新聞や週刊文春を奪い合う彼らが、僕より上等な人生を送っているとは思わない。いや、思いたくない。

 心の中でこんな独り相撲が始まったら、やはり休憩をとるべきだろう。僕は裏の公園へ出て、ベンチに座った。子どものブランコ遊びを見つめながら、これまでの仕上がりを振り返る。

〈仕事〉の項目は、まずまずの出来だった。天職に巡り合えた人たちのストイックで清々しい言葉が並ぶ。〈恋愛〉や〈結婚〉も、気の利いた警句や洞察に満ちていた。やはりこの手の話題は人類の大好物なのだ。〈悲哀〉や〈苦悩〉についても枚挙にいとまがない。ざっとこのパートを眺めるだけで、世が儚く思えるほどだ。

 問題は〈幸福〉パートだった。ここだけは出来の悪い言葉ばかり並んでいる気がしてならなかった。たとえば──。

「われわれは幸福になるためよりも、他人に幸福と思わせるために四苦八苦している」という皮肉な見解。「幸福とは幸福を探し求めることだ」という同語反復的表現。「誰もが幸福について語るが、それを知っている者はいない」という観察報告。「いまだかつて、自分を本当に幸福だと感じた人間は一人もいない」という幸福の存在自体の否定。

 やはりどれも精彩を欠いているように思える。なぜだろう? 僕はこのパートを拾っているあいだ、そのことについてずっと考え続けた。

 考えられる理由の一つは、本当にないから。人間は存在しないものについてうまく考えることができない。もう一つは、仮にあったとしても数億人に一人しか手に入らないというもの。そういう人は言葉を残さなかったかもしれないし、自分が幸福であることに気づかなかったかもしれない。

 だがこうした僕の考え自体も、どこかピント外れな気がした。なぜだろう。どうして人間は幸福について考えるのが苦手なのか。そんなことを考えていたら、

「きょえぇぇーっ!」

 と耳をつんざくような声が響いた。見れば三歳くらいの男の子が、ブランコで母親に背中を押されるたびに絶叫している。

「いっひゃあ~!」「うぐわっぱぁ!」

 男の子は興奮しきって、とうとうこの世のものとは思えない声を上げ始めた。母親は恥ずかしがりながらも、白い歯を見せて押し続ける。いまこの二人はまちがいなく幸せだろう。本当の人生を生きているのだ。

 しかし母親が押し疲れてやめると、男の子は「もっと! もっと!」と泣きだした。僕は代わりに押してやりたくなったが、すぐに空しさを覚えた。幸せのあとには、どのみち失望がやってくるのだ。

 人間は腹が減れば苦しみを感じ、満たされれば充足を感じる。〈幸福〉もこれと似たようなものかもしれない。心がひもじければ哀しみを感じ、充たされれば幸福を感じる。少なくともわれわれの一生が、この振り子運動の中にあることは確かだ。まず腹が減るからこそメシがうまい。少年よ、大志を抱け。


「父が株で大損した模様です。参りましたね」

 みなと図書館へ向かう道すがら、カンジュニからこんなメールがきた。僕はカンジュニのケータイを鳴らした。出ない。電車に乗ったところでメールが来た。

「ちょっといまバタバタでして。よかったら父の様子を見て来て頂けませんか」

 あいかわらずカンジュニの距離感がつかめない。なぜ僕なのか。何を見てくればいいのか。そろそろ電話に出てはどうか。

 僕はその日のノルマを拾い終えた夕方過ぎ、品川駅の港南口にある「喫茶室ルノアール」でカンちゃんと待ち合わせた。

「やっ、どうも」

 カンちゃんはいつものように、リュックを背負って上機嫌にやって来た。

「聞きましたよ。株で負けたんですって?」

「うげー、バレたか」

 聞けばカンちゃんは「死ぬまでにしたい十三のこと」を十まで絞るために、「株で一億円勝ちたい」と「お美代さんと同じ墓に入りたい」を合体させて、「株で一億円勝ってお墓を買う」という項目を思いついたらしい。そこで、信用取引に手を出した。信用は手持ち資金の三倍を張らせてもらえるが、負けるときも三倍。カンちゃんは苛酷な株式市場で瞬殺されたのである。

「いくら負けたんです?」

「クルマ一台分くらいかな」

 国産か、外車か、それとも中古車か。たぶん国産の3ナンバー新車くらいやられたんじゃないかな、と思った。

「お墓、ないんですか?」

「あるんだ。富山の田舎にね。だけどお美代さんはそこに入るのが嫌なんだと思う。だから都内にゴージャスなやつを買おうと思ってさ。できれば青山霊園。それなら僕と一緒に入ってくれるかなと思って」

 たしかにお美代さんのエンディング・ノートの「お墓についての希望」はまだ空欄だった気がする。だけど同じお墓に入るって、そんなに大切なことだろうか。生前、同じ空間でどう生きたかの方が、よっぽど大切なことに思えるのだが。

 そのあと僕らは酒場に流れた。カンちゃんは荒れた。やはりダメージを受けていたのだろう。僕もあてられて、たくさん吞んでしまった。気がつけば一軒目で四時間、二軒目で三時間。別れる頃には日付が変わっていた。

「ごちそうさまでした……」

「うん、ばいばい……」

 よろよろと歩き出したカンちゃんの足取りは、いつにも増して危なっかしかった。結局、僕がカンちゃんの自転車を引いて送ることになった。

 夜中の芝浦はほとんど人影がなかった。古いマンションにぽつぽつ灯る照明で、ここも人里であったか、と胸が安らぐ。

 僕らは黒ぐろとした運河の橋を渡り、赤信号で止まった。二台のダンプカーが、けたたましい音を立てて通り過ぎて行く。

 信号が変わっても、カンちゃんがついてこない。見れば、立ったまま寝ている。

「青ですよ」

「うん……。あっ!」

 一歩踏み出したところで、カンちゃんが叫んだ。

「どうしました?」

「ううん、なんでもない」

 またとぼとぼ歩き出す。潮風が鼻をつく。

「カンタローさん、質問があります」

「どうぞ」

「幸福って、なんだと思います?」

「難しいこと訊くね。吉井くんはいつもそんな難しいことを考えているの?」

「たまたまです。仕事で出てきたものですから」

「ふーん……。いなくなって欲しくない人の名前を、すぐに挙げられることじゃないかな」

 これは、ごく個人的な主張のように思えた。お美代さんの名前をすぐ挙げられる自分は幸せだと、カンちゃんは主張したいのだ。俺は本当の人生を生きていると。僕は老年期の主題をいさぎよく「お美代さん」に絞った人の顔をまじまじと見つめた。その視線に気づいたカンちゃんが、「ねえ、吉井くん」と言った。

「はい」

「じつは僕も、父知らずなんだ」

「えっ?」

 かつてあれだけ飲み、語ったのに、これは初耳だった。

「だから吉井くんが編集部に入ってきたときは、まるで自分の若い頃を見るようだったよ。僕も母親を亡くしたときは辛かったし、しばらくは世の中が味気なかった。でも、腹括りなよ。四十歳からは速いぞ。幸福なんか見つからなくたって、腹の括り方次第では、幸福になれるんだ。吉井くんにはそのセンスがあると思うよ」

 やがてカンちゃんは大きくも小さくもないマンションの下で立ち止まり、「ここ。六〇三号室」と告げた。僕は玄関まで送った。ドアを閉めて帰ろうとしたら、中で大きな音がした。開けると、カンちゃんが仰向けになって鼾をかいている。

 僕は部屋の灯りをつけ、簡易なパイプベッドの上からタオルケットを持ってきた。そこで、カンちゃんの股間が濡れていることに気づいた。

 ──さっき信号で声をあげたのはこれだったのか……。

 正直、一度は見て見ぬふりをしかけた。だが、人道に悖るような気もする。しょうがねぇか、と自分に言い聞かせて、そこらへんにあったタオルを水道で濡らした。カンちゃんのズボンとパンツをずり下げ、わしわしと股間を拭う。ベッド下のスペースにあった大人用おむつを穿かせて、一丁上がり。

 僕は大きな赤ん坊のような人の寝顔を見おろした。カンちゃんが股間の気持ち悪さに耐えながら、先ほどのようなアドバイスを呉れたと思うと、おかしくもあり、有り難くもあった。翌日、メールが来た。

「きのうはどうも。おむつ、ありがとね」


 名言のピックアップ作業は大詰めを迎えた。最後は芸能人やアスリートの言葉にまで渉猟の範囲を広げ、どうにか千個に到達した。選定を終えて思ったのは、「じつに様々な人が、様々なことを言っている」ということだ。僕は言葉の海を泳ぐことに疲れた。

 編集の布井に原稿を送った三週間後、「レイアウトが上がったので校正よろしく!」とPDFが送られてきた。僕はまた言葉の海に漕ぎだした。赤字がびっしり入ったレイアウト用紙を持って、ふたたび図書館に通い始めたのだ。

 カンジュニから続報が入ったのはその頃のことだった。

「母が生前葬をやる意向らしいです」

 カンちゃんからも連絡があり、僕らは田町の歌広場で落ちあった。カンちゃんはそわそわしていた。

「この前はありがとね。ところで僕、生前葬に呼んで貰えるのかな」

「当然ですよ。カンタローさんがスポンサーなんだし、曲がりなりにも夫なんだから」

「そっかな。ところでこれ、更新したら今度は三つ足りなくなっちゃった。どう思う?」

 カンちゃんは最新版「死ぬまでにしたいことリスト」を差し出した。


① お美代さんとまた一緒に暮らしたい。

② お美代さんの生前葬をプロデュースして成功させたい。

③ お美代さんより先に逝きたい。

④ お美代さんと同じ墓に入りたい。

⑤ 家族三人で温泉に二泊したい。

⑥ カラオケで一万曲制覇したい。

⑦ カラオケで人を泣かせたい。


 生前葬に呼ばれる気まんまんではないか。僕は「お墓はどうするんですか」と訊ねた。

「都心のビルのロッカーにしたよ。無宗派の永代供養があるんだ。仏壇もほら、これで充分」

 カンちゃんはスマホのアプリを立ち上げてみせた。

「仏壇アプリ。ボタンを押せばロウソクを立てられるし、お経も流れる。どうせ何年かしたら息子しか墓参りに来なくなるんだし、これで充分だよね。それにあいつ、リアルな仏壇に毎日お供え物なんて絶対にしないよ」

 墓はロッカー。仏壇はアプリ。母の後始末で忙殺されていた頃を思い出し、いっそサバサバしてていいなと思った。死者は生者の足枷となってはならない。母さん、僕もそろそろ本当の人生を始めたいのですが、どうしたらいいでしょう?

「あした、生前葬の業者と打ち合わせがあるんだ」とカンちゃんが言った。

「どれくらい掛かるんでしょうね」

「どうだろう。二百万や三百万ならどうってことないよ。株で負けた分があれば、もっと盛大にやれたのになぁ」

 どうってことないという台詞は、僕を少しだけ悲しい気持ちにさせた。この世代でしっかり勤めあげた人は、やっぱり僕なんかとは財力が違う。

「生前葬に呼ばれても、べろべろになっちゃ駄目ですからね」

「うん、わかった」

 カンちゃんは途端に元気になり、「さあ歌おうか」と部屋の電話でビールを注文した。老眼鏡をかけて一万曲リストを目で追う。今日は演歌パートだった。

 何曲か歌ったところで、カンちゃんが手洗いに立った。僕はその隙に「死ぬまでにしたい七のこと」リストを撮影し、カンジュニに送った。「これを母上に見せて下さい」と本文を添えて。すぐに「了解」と返信があった。

 カンちゃんはトイレから戻ってくるなり、「吉井くんも何か歌いなよ」と言った。お許しが出たので、槇原敬之の「SPY」を歌った。僕とカンジュニのやっていることはスパイ行為に当たるだろう。その心境を託した選曲だ。カンちゃんは聴き終えて一言、変わった曲だね、とつぶやいた。


 名言集が発売となり、一冊送られてきた。

 しばらくは読む気になれなかったが、ある晩ふと手に取り、一晩かけて通読した。

 思っていた通り、出来のいい言葉と悪い言葉は一目瞭然だった。収録数を十分の一まで絞れば、いい本になっただろう。いつか百個だけを抜き出して私家版を作ろうと思った。

 もっとも苦心した〈幸福〉パートに差し掛かると、カンちゃんの言葉を思い出した。

「幸福なんか見つからなくたって、腹の括り方次第では、幸福になれるんだ」

 これはほかの収録語よりも優れている気がした。つまりカンちゃんは〈幸福〉に関する限り、ニーチェやドストエフスキーよりもシャープな定義を思いついたのだ。昼間から一人カラオケに興じる老人が、ときに古今東西の偉人よりも鋭い人生観を漏らすことを、われわれは肝に銘じなければならない。

 僕は次の仕事に取り掛かった。また布井から「頼りになるがん名医100人」という企画を振られたのだ。このままリストアップ屋になるのはヤだな、と思いつつ下調べをしていたある日、カンジュニからメールがきた。

「お陰様で昨日、母の生前葬をとり行うことができました。その様子をお送りします」

 ファイルの転送サービスで届いたのは、二時間二十九分に及ぶ映像だった。

 僕は深夜の上映会を開くことに決め、コンビニで焼酎とおつまみを買ってきた。

 焼酎の水割りをつくって、ノートパソコンで動画を再生した。

 車椅子に座る白いワンピース姿の女性が映し出される。お美代さんだ。かたちのいい瓜実顔が際立って見えたのは、髪をうしろで束ねているからか。きりりと結ばれた口と、黒目がちな瞳が、意志の強さを窺わせる。僕はエンディング・ノートに記されたお美代さんの人生に思いを馳せ、居住まいを正した。

 会場はホテルの宴会場みたいなところだった。参列者はおそらく四、五十人だろう。生前葬は主役の趣味に従い、「ダンス葬」や「生け花葬」といったテーマを設ける事が多いらしい。お美代さんが選んだのは「カラオケ葬」だった。

「それでは只今から、今井美代の生前葬をとり行いたいと思います」

 モーニング姿のカンちゃんが緊張した面持ちで告げた。僕は「よっ、待ってました」とつぶやき、水割りに口をつけた。口開けにお美代さんが美空ひばりの「愛燦燦」を歌い、拍手を浴びた。

 しばしの歓談のあと、カンちゃんが再びマイクの前に立った。

「お次は、お美代さんと中学校で同級生だったお二人です」

 二人の女性が壇上に登った。まず、紫色のドレスを着た女性がマイクを持った。

「中村サヨと申します。美代、お招きありがとう。あなたらしい素敵な会だね」

 とてもさっぱりした口調で、姉御肌なところがありそうな人だ。

「修学旅行で京都に行ったときのこと、覚えてる? 大人になってから『京都でいちばんの思い出は?』って訊いたら、あなた、『三人でタクシーに乗ったこと』と答えて、もう何十年も思い出すたびに笑ってるわよ。わたしは今日が美代とのお別れだとは思ってないからね」

 彼女はそう言って、オレンジ色のドレスの女性にマイクを渡した。

「美代~。二十三歳のとき、三人で一度だけディスコに行ったこと覚えてますか?」

 彼女の声はすでに震えていた。

「慣れない濃いお化粧をして、履いたことのない、こーんな高いヒールを履いて、いちばん派手な服を選んで、どきどきしながら三人で行ったよね。結局わたしたちはフロアで踊る勇気はなくて、すぐに出ちゃって。あのあと美代が『うちで鯛焼きつくろう!』と言って三人で焼いて食べた鯛焼き、美味しかったね。あの味は今も忘れないよ。わたしたちはもう半世紀以上も友だちで……いつまでもそのままだと……わたしは……ごめんね。あなたは泣き虫だから絶対泣くなって言われてたのに……」

 二人がH2Oの「想い出がいっぱい」を歌い終えると、カンちゃんがマイクの前に立った。

「いやぁ、うるっときちゃいましたね」

 含み笑いの地顔が残念である。

「お次は坂上あけみさん。あけみ先生はお美代さんの主治医です」

 髪をアップにした四十代後半らしき女性だ。光沢のあるベージュのドレスを着ている。きっとこの会には「明るい服で来て欲しい」とお達しが出ているのだろう。

「美代さんは、とても強い女性です」

 とあけみ先生は言い切った。

「息子さんの献身的な介護に助けられ、くじけず、あきらめず、つらい治療に立ち向かってこられました。こんなに強い人を見たことがありません。同じ女性として頭の下がる思いです」

 あけみ先生は中島みゆきの「時代」をしっかり抑揚をつけて歌いきった。とてもまじめそうな人だから、この日に備えてたくさん練習を積んできたんじゃないかな、と思った。

 それからも何人かが壇上で歌った。僕は素人紅白歌合戦でも観覧する心地で、すっかり酔っぱらい、横になってひじをついたり、いったん停止して手洗いに立ったりした。

「あれ、充電切れかな?」

 中盤を過ぎたあたりで、突如カンジュニの声が耳に飛びこんできた。ビデオカメラのマイクが声を拾ったのだ。カンジュニよ、今日は撮影係だったのか。久しぶりに声を聞いたぞ。お前も歌え。

 後半に入るとカンちゃんの目が据わってきた。インターバルのあいだにたくさん飲んでいるのだろう。僕は「しっかりしろ、カンタロー!」とディスプレイに向かって言った。すでに終わった会のこととはいえ、気遣わしい。

 動画の残り時間が二割を切ったところで、カンちゃんが「それでは私も歌わせてもらいます」と告げて壇上に立った。

 しめやかなイントロが流れる。「ヨイトマケの唄」だ。カンちゃんは「♪今も聞こえる ヨイトマケの唄」と綺麗に歌い出すことに成功した。

 カンちゃんが歌い終えると、トリでお美代さんが山口百恵の「いい日旅立ち」を歌い、全プログラムが終了した。

「みなさん、本日は本当にありがとうございました」

 お美代さんが言うと、会場から盛大な拍手がおきた。

「わたしのわがままにお付き合い下さり、感謝の言葉もございません。わたしはあと半年ほどで旅立つ予定です。葬儀はいたしません。今日という日が、皆さまとのお別れになります」

 カメラマイクの性能は、あちこちで啜り泣く音を拾うほどには良くなかったようだ。しかしハンカチで目を押さえる女性たちの姿が、その音を想像させた。

「わたしの夫は、そこにいるカンタローさんです。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、わたしたちはこの十一年間、別居生活を送ってまいりました。でもカンタローさんにはいいところがあって、『僕が死ぬまでにしたいこと』というリストに、こんなことを書いてくれていたんです。お美代さんとまた一緒に暮らしたい。お美代さんの生前葬をプロデュースして成功させたい。お美代さんより先に逝きたい。お美代さんと同じお墓に入りたい。……正直いって、いまさら同居はできません。そのかわり、お墓には一緒に入れて貰おうと思います。でもね、カンタローさん。一つだけ条件があるわよ。わたしより先に逝っちゃだめ。大丈夫だと思うけど」

 それから夫婦は会場出口で参列者を一人ずつ見送った。最後の一人を送り出したところで、動画はプツンと止まった。僕はその静止画を見つめ、「お疲れさまでした」とつぶやいた。そしてなぜか、僕も恋がしたいという気持ちに襲われた。

 さて、カンちゃんは生前葬を終えて「死ぬまでにしたい七つのこと」のうち三つをクリアした。

 一つは、お美代さんの生前葬をプロデュースして成功させること。

 もう一つは、お美代さんと同じ墓に入ること。

 残る一つは……。

 白状しよう。僕は「ヨイトマケの唄」を聴きながら、四番あたりで号泣したのだ。たしかに「母ちゃんの唄こそ世界一」だと思いつつ。カンちゃんは「カラオケで人を泣かせること」に成功したのである。


第一話 了


【続きは書籍でお楽しみください!】

平岡陽明(ひらおか・ようめい)

1977年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。出版社勤務を経て、2013年『松田さんの181日』(文藝春秋)で第93回オール讀物新人賞を受賞し、デビュー。’20年『ロス男』(本書。文庫化に際し改題)が吉川英治文学新人賞の候補になる。他の著書に『道をたずねる』(小学館)、『ぼくもだよ。神楽坂の奇跡の木曜日』(角川春樹事務所)、『ライオンズ、1958。』『イシマル書房編集部』(ともにハルキ文庫)がある。


『僕が死ぬまでにしたいこと』平岡陽明・著

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