戦百景 山崎の戦い完全ガイド③

文字数 1,566文字

全国の合戦好きの皆様、歴史をもっと深く知りたい皆様に贈る、日本の歴史に残る有名な合戦を活写&深堀りして大好評の矢野隆さんの「戦百景」シリーズ、第6弾が刊行です

第6弾は、明智光秀と羽柴秀吉の天下を分けた一戦を描いた『戦百景 山崎の戦い』


「戦百景」シリーズ既刊

第1弾『戦百景 長篠の戦い』は「細谷正充賞」を受賞!

第2弾『戦百景 桶狭間の戦い』

第3弾『関ヶ原の戦い』

第4弾『川中島の戦い』

第5弾『本能寺の変』


今回から3回にわたって、「そもそも山崎の戦いって、どんな戦い?」という山崎の戦いにまつわる記事を掲載していきます!

山崎の戦いから三つも成句ができた!


 山崎の戦いに由来する成句はじつに三つもある。


 一つ目は有名な「天王山」。勝敗を決する重要な分かれ目を意味する。実際に山崎の地には同名の山が存在し、そこを占拠した羽柴秀吉軍が戦いに勝利したことが伝説となってできた成句だと思われる。


 そして二つ目は「三日天下」。6月2日に本能寺の変を起こした明智光秀は、わずか11日後の6月13日にこの山崎の戦いで秀吉に敗れた。その夜、居城・坂本城を目指して落ち延びようとしていたところを落ち武者狩りに遭い、途中の小栗栖で光秀は落命した。ほんとうに「三日」ではなかったものの、短すぎる天下だった。


 最後は「洞ヶ峠」。もともと光秀の寄騎(軍事の配下)として畿内方面軍に属していた大和の武将・筒井順慶は、当初は光秀の要請に応じて出陣するも秀吉軍の動きを知ったためか、山城国(現・京都府)と摂津国(現・大阪府)の国境にあるこの峠まで来たところで動かなくなったとされる。このことから、有利なほうに味方しようと日和見することを「洞ヶ峠を決め込む」というふうに使われるようになった。


 ともあれ、一つの出来事から三つも成句が生まれるのは珍しい


▲明智光秀は、敗走中、竹林で落ち武者狩りに襲われて亡くなった、とされている


織田信長を斃した明智光秀と、中国大返しを果たした羽柴秀吉。

天下を賭けた二人の決戦の真相に、シリーズ史上最大の深掘りで迫る!


1582年(天正10年)6月2日、本能寺の変で織田信長が横死すると、収まりかけていた天下の趨勢が大きく動き始める。備中高松城で毛利方の城主・清水宗治を攻めていた羽柴秀吉は、軍師・黒田官兵衛の助言に従い毛利家と和睦。電光石火の早業で畿内に取って返した。世に言う「中国大返し」。他方、信長を斃した明智光秀は、頼みとしていた縁戚の細川藤孝・忠興父子や寄騎だった中川清秀、高山右近、筒井順慶らを味方に引き入れられず、劣勢のまま秀吉軍を迎え撃つことになった。信長三男・三七信孝と丹羽秀長を加えて4万に膨れ上がった秀吉軍に対し、武田元明、京極高次などわずかな加勢にとどまった明智軍は1万余。そして天下人を決めるであろう運命の6月13日、京への入り口にあたり隘路でもある山城国・山崎を決戦の地に選んだ光秀は、天王山を占拠していた秀吉軍とついに激突を……。

矢野隆(やの・たかし)

1976年福岡県生まれ。2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞。その後、『無頼無頼!』『兇』『勝負!』など、ニューウェーブ時代小説と呼ばれる作品を手がける。また、『戦国BASARA3 伊達政宗の章』『NARUTO-ナルト‐シカマル新伝』といった、ゲームやコミックのノベライズ作品も執筆して注目される。また2021年から始まった「戦百景」シリーズ(本書を含む)は、第4回細谷正充賞を受賞するなど高い評価を得ている。他の著書に『清正を破った男』『生きる故』『我が名は秀秋』『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』『大ぼら吹きの城』『朝嵐』『至誠の残滓』『源匣記 獲生伝』『とんちき 耕書堂青春譜』『さみだれ』『戦神の裔』『琉球建国記』などがある。

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