一月*日

文字数 5,436文字

1日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記が、本日も始まる。

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一月*日

 愛じゃないならこれは何」の発売を記念して、中村航先生とのトークイベントが行われた。担当さんとちょっと洒落たイベントタイトルを付けようという話になり、結局〝恋愛小説をめぐる対談〟というストレートなものになった。対談相手が中村航先生なのは、私たっての希望である。「恋愛小説家と対談するならどなたがいいですか?」と尋ねられ、一番最初に浮かんだのが中村航先生で、それをそのまま伝えたところ本当に実現してしまった。


 なので、最初は少し緊張しきりだった。私は中村先生の著作だけではなく、中村先生が作詞作曲キャラクター原案などで関わっている「BanG Dream!」の大ファンでもあったからだ。「花園電気ギター!!!」のCDを買っていた頃の自分に話しても信じないだろう。小説家をやっていると、こういう奇跡が起こるのか……としみじみ噛みしめた。


 さて、イベント自体は中村航先生がぐいぐい話を回してくださったお陰で、とてもいいものになっていたのではないかと思う。ただ、中村航先生のトーク力に甘え、必然的にこちらが話題を受ける形になってしまっていたので、中村航作品の良さについて語り足りていなかったようにも思う。なので、ここで改めて中村航先生の恋愛小説について語りたい


 中村航作品の中で私が一番好きなのは「あのとき始まったことのすべて」。これは中学時代の同級生とひょんなところから再会し、中学生の頃の回想を挟みつつ彼女に惹かれていく様が描かれた恋愛小説なのだが、これがまあ抜群に上手いのだ。何が? 男女の惹かれゆく様がだ。


 他の名作「100回泣くこと」「僕の好きな人が、よく眠れますように」「絶対、最強の恋のうた」もそうなのだが、中村航作品のカップルはとにかく他愛の無い会話をする。本当にささやかで、でも幸せであることが伝わるようなどうでもいい雑談をする。それが本当に巧みなのだ。作中の二人は、居酒屋のメニューを端から読み上げる。お互いを動物に喩え合って笑う。お決まりのふざけあいっこをして、『~かしら』という語尾を付ければ意味ありげに聞こえるというささやかな発見を共有する。


 これらの会話を読んでいると『そうだ、付き合うことの楽しさってこういうことだよな』とじわじわ思わされるのがすごい。好きな人と一緒なら、メニューを端から読むだけで楽しいし、くだらないメッセージのやりとりをすることで心底救われるし、好きな人を動物に喩えちゃったりするとそれはもうすごく楽しい。中村航作品は、こうした確かに存在する幸せを切り取るのがとても上手くて、だからこそ多くの人に読まれ共感するのだな、と思う。


 このゆるやかな幸福を描くだけでも、中村作品は読ませる。「僕の好きな人が、よく眠れますように」の物語の大半は、不倫カップルであるはずなのになごやかな日常を送る二人の他愛の無い日々だ。それでもページを捲る手が止まらず、二人の先を知りたいと思わせる。


 「アンナ・カレーニナ」の序文は〝幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。〟というものだが、言ってしまえば不幸を描くことは緩急を付ける意味でいうと易しい。ショッキングな展開で読ませることも、幸福で読ませるよりは楽なのだ。その点、中村作品はそれぞれの幸福を全然似た形ではなく、かつ面白いように描くのだからすごい。作中で描かれる幸せの形は筆力に比例するのだ

 


一月◎日

 最近の体調の悪さが寒さによるものだと判明し、とにかく身体を冷やさないことと栄養を取ること、そしてあんまり疲れを溜めないこととアドバイスをされ、持病の貧血もあることだし、出来ることなら長生きがしたいしと心に留めながら家に帰ると、どう足掻いても寒いので笑ってしまった。シベリアに住んで体調が悪くなる人間は、シベリアから南の島に行くべきなのである。全て環境が悪い


 あまりに寒いので、この環境を何かに生かせないかとピョートル・ワイリ/アレクサンドル・ゲニスの「亡命ロシア料理」を読む。これはロシアからアメリカに亡命した亡命者達が、アメリカなど他国の食文化にあれこれ言いつつ、ロシアの料理をノスタルジックに回想する一冊である。基本はロシア料理に対する回想をメインとしたエッセイなのだが、ちゃんとレシピも記載されているので実用的だ。


 これが、寒さを忘れるくらい面白かった。ロシアとロシア料理に対する愛憎と悲喜こもごもを一緒に煮詰めたような斜に構えた文体と、ウィットに富んだ内容が癖になる。〝お茶はウォッカじゃない、たくさんは飲めない〟といういかにもロシアらしい諺などが学べるのも楽しい。ステーキを焼く能力とは、要するにちゃんとした肉を買う能力があるかどうかだ。という元も子も無い調理指南が出てくるレシピ本はこれだけなんじゃないだろうか。


 そうしたいかにもインターネットで映えそうなユーモアだけでなく、この本の端々には亡命せざるを得なかった身や、そういう状況を自身に強いた祖国への複雑な思いが見え隠れしている。レモネードしかなかったので、とにかくみんながレモネードを飲んでいたソ連の思い出を語る時、作者の言葉には愛があるような気がする。


 最後に、この本の中で一番好きな箇所を引用したい。これは砂糖とシナモンに漬けた林檎をバターをギチギチに詰め込んだパンと焼くシャルロートカを紹介するページに書いてある一文である。


【もちろん、シャルロートカを食べて痩せることはない。そのうえ、パンをたくさん食べるのは身体に悪いそうだ。しかし、人生とはそもそも有害なものなのだ──なにしろ、人生はいつでも死に通じているのだから。でも、シャルロートカを食べたら、この避けがたい前途ももうそんなに怖い気はしない。】



一月◎日

 恐らく自分が好きなタイプの本であろうと思いながら、ずっと読んでいなかった本がある。それが矢部嵩「〔少女庭国〕である。矢部嵩作品は「魔女の子供はやってこない」(かわいい魔法少女と仲良くなったことで、徐々に日常が不穏に侵食され、最終的に血みどろスプラッタになってしまうホラー。漫画「タコピーの原罪」が流行っている今だからこそ、こちらもみんな楽しく読めるのではないか)が好きだったので、いずれ全部著作を読もうと思っていながら、一番の傑作と名高いこちらをまだ読んでいなかった。絶対に美味しいと分かっているクッキーは、いつ食べてもいいものだと思っているんだろうな


 さて、「〔少女庭国〕」の話に戻ろう。この物語は「ドアの開けられた部屋の数をn、死んだ卒業生の人数をmとする時、n-m=1とせよ」という貼り紙から始まる。卒業式に向かっていたはずの中学三年生女子達は、気付くと教室に一人ずつ閉じ込められていた。その内の一人である羊歯子は、隣の教室のドアを次々に開け、卒業生達を目覚めさせてしまう。その結果、十三部屋の教室の扉を開け、十三人の卒業生が覚醒することに。彼女達は貼り紙に従い、十二人を殺すことでn-m=1を達成しようとするが……という物語だ。


 ここだけ聞くとデスゲームもののようにも思えるし、実際私もそういった話になるのだろうと思っていたのだが──事態は想像を超えた展開を見せる。なんと、この奇妙な卒業試験に人数制限はない。扉を開け続ければ、無限に卒業生が目覚め続け、卒業生の数は加速度的に増えていく。卒業生達は徐々に少女ではなく、リソースとして昇華されるようになっていく。いわば、この小説は思考実験小説なのだ。


 膨大に増え続ける少女という悪夢的なイメージの中で、この小説はたった一枚の貼り紙から始まる特殊空間の精緻な検証を行っていく。扉はどの時点で開けられたことになるのか、この教室を掘削していった場合何が起こるのか。この『どうなっているんだろう』の検証のプロセスは、なんだか特殊設定ミステリのルール検証に似ている。一方で、卒業生の中には自分達が生きる為の国を創り出そうとする勢力も出現する。教室の中という極めて限られた空間の中で、少女というリソースを残酷なまでにふんだんに使用して築かれる文明は、シュールで恐ろしく、そしてどこか女子校めいた華やかな雰囲気のある庭国である


 この流れでチャック・パラニューク「サバイバー」も読んだ。不可解なハイジャック事件を起こした主人公のテンダー・ブランソンにはかつて集団自殺を起こしたカルト宗教の生き残り(サバイバー)であり、メディアの力を借りて救世主となった過去があった。一体彼がどうしてこのような事件を起こすに至ったのかが、彼自身が飛行機に備え付けられたフライトデータレコーダー、通称ブラックボックスに吹き込まれている……という体で語られる、ちょっと変わった小説である。


 これはパラニュークの名作「ファイト・クラブ」の変奏だと思っていて、生まれてから今まで色々なものに翻弄され続けてきたテンダー・ブランソンが、破滅の極地にあって初めて自分の人生を生きることが出来る物語だと捉えている。帯には最悪の一冊。とあるが、これだけ陰惨なあらすじなのに、読後感は何故か悪くない。「ファイト・クラブ」の時もそうだったが、不思議な感じだ。はからずもハヤカワの一日になったけれど、同じ出版社から出ている本はどこか響き合っているような気がして、合わせて読むのにとてもいい。



一月×日

 生活が俄に忙しくなってきたのもあり、BASE BREADに手を出してみた。これは『26種のビタミン&ミネラル、13.5gのたんぱく質、食物繊維など、からだに必要な栄養素がぎゅっとつまった完全栄養パン』である。これを食べていれば栄養が一気に取れるというこの手軽さよ。未来がすぐそこまで来ている。腹持ちがいいし栄養もあるし、食べるのに五分とかからないしで、味が殆どしないことを除けば完璧な食品と言えるだろう。これでしっかりと味がしてしまったら、それこそ求めすぎであるような気がする。私の理想の未来はこのくらいでいいのだ。


 どちらかといえば健康になる寄りの試みのはずなのに、BASEBREADを箱買いしたと話してから、友人や担当さん達にやたら心配されるようになってしまった。栄養価的にむしろ安心してもらえるはずなのに、そういうわけでもないらしい。効率を求めた未来の食事が一粒のサプリとかになったら、それはそれで更に心配されそうな気がしてならない。食事って不思議だ。


 そんな未来食品に浸りながら、安野貴博「サーキット・スイッチャー」を読む。これはお馴染みの集英社Uさんからおすすめ頂いた本であるのだが、流石Uさんのおすすめ……申し分なく面白かった。こちらは第九回ハヤカワSFコンテストの優秀賞を受賞した作品だ。舞台は自動運転車がすっかり普及した未来の日本。そこで、自動運転アルゴリズムを作り、社会の成立に貢献した天才技術者の坂本社長が自動運転車の中で何者かに拘束される事件が起こる。自動運転技術を普及させた立役者に対する、犯人の要求とは何なのか? というテクノスリラーだ。


 刻一刻と進んでいく犯人と坂本社長の対話、自動運転で爆走する車を外側から止める方法を模索する警察、インターネットで中継される事件を見る視聴者達──。まるで王道ハリウッド映画のようなシチュエーションで展開するこの事件は、加速するにつれ違った様相を見せつけてくる。中盤で犯人の思惑になるほどと頷かされたと思ったら、その思惑を反転させるような新たな事実が発覚する。緊迫感を保って物語が進んでいく中で、上質なワイダニットを次々に繰り出してくるのが何とも贅沢な一冊なのだ。勿論SFスリラーとして面白いのは当然なのだが、この本は近未来SFミステリとしても評価されるべき一冊なのではないかと思う。そうして謎が謎を呼んだ先の真相も、自動運転という夢のような技術が成立した先に当然出てくるとある問題に絡められていて、SFの想像力ってこういうところに宿るんだよな……と深く頷かされた。


 小説を書くAIも完全栄養食も、自動運転も自分の身近に少しずつやって来ている。月並みな話だけれど、人間自体は未来技術でそう大きく変わるわけではないのだろう。来たる未来を考えるにあたって、お手本のようなエンターテインメントだった。これだからSFはやめられないのである


寒々しい部屋で完全に計算された栄養食を食べながら執筆する2020年代の小説家……


次回の更新は2月21日(月)17時です。

Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

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