アルパカブックレビュー『猫は知っていた』/仁木悦子・著 

文字数 2,334文字

仁木悦子さんの『猫は知っていた』

この作品で第3回江戸川乱歩賞(1957年)を受賞し、デビュー。「日本のクリスティ」と呼ばれ、人気推理作家になりましたが、優れた児童文学作家でもありました。

そんな仁木さんの名作が、新装版で登場!

アルパカさんことブックジャーナリストの内田剛さんがレビューしてくださいました!

『猫は知っていた〈新装版〉』読みどころ/内田剛

何とも親しみやすい作品である。眺めるだけで心がほぐされる様なキュートなジャケット。道に迷って困惑するユーモラスな冒頭のシーンはまるで少女漫画のよう。活き活きとして魅力的なキャラクター。全編から感じられる清々しさ。ほのぼのとした兄妹コンビの愉快で人間味溢れた掛け合い。さすが童話作家としても活躍していた著者ならではの味わいだ。読みながら何度も何度も「いいなぁ」と呟いてしまった。


圧倒的な読みやすさ。緻密に考え抜かれた展開。テンポが良い文体はもちろんのこと、家の間取り図まで用意されており、さまざまな視点でのイントロダクションがある。興味を惹かれるポイントが多数あって、いつしかストーリーに夢中になりページをめくる手が止まらなかった。こんなにワクワクしながら一気に物語を楽しめたのは一体いつ以来だろう。


主人公は活発で好奇心旺盛な音大師範科に通う二木悦子。著者と同名であることから、特別な想いがこめられているに違いない。瑞々しいコンビを組むのは長身で頭脳明晰な兄・二木雄太郎である。植物学を専攻する学生である兄からの知的な学びも読みどころ。引っ越してきたばかりの兄妹が連続殺人事件に巻き込まれ、探偵役となって事件の謎に迫るという展開だ。暑い夏のわずか一週間ながら実に濃密な時間が堪能できる。


新たな生活への待と不安も初々しい。誰しも初めて知らない世界の扉をたたいた思い出があるだろう。こうした心情も共感できる。暮らし始めるのは東京・世田谷区の「箱崎病院」の二階だ。他の居住者に入院患者、先生やその家族。病院は不特定多数の人々が行き交う人間交差点のような場所でもある。しかも心や身体に傷を負った訳ありの者たちが集い、薬に刃物など物騒な小道具もたくさんあってミステリアスな舞台が完璧に整っているのだ。


穏やかに流れる昭和の空気。セピア色の風景。家や庭の描写はまるで実家のようで、初めて目にするのになぜか懐かしい。読めばきっと里帰りした気分になるのではないだろうか。


本書が刊行されたのは昭和32(1957)年であるが、令和のいま読み返してもまったく古びることはなく、むしろ新鮮な驚きに満ちている。家族の一員ではなくネズミ退治のために飼われる猫。戦争の臭いを色濃く残す防空壕。さらに、ブリキかん、テープ・レコーダーなど古き良き時代を感じさせるワードやアイテムが続々と登場する。古き良き昭和の空気が見事に表現されているのだ。


ますます忙しくなっていく現代社会。映画は早送りで鑑賞し、小説も先に結末を知ってから読み始めるような世の中ではあるが、一方ではレコードやカセットテープのようなアナログが再びブームになっているように、デジタルにはない味を楽しむ潮流もある。そんな中で本書が再び世に出されたことには意味があるのだ。


おせっかいなくらいの人間同士の触れあいも、ソーシャルディスタンスの現在だからこそ身に染みる。空前の猫ブームの今、猫にまつわる本は書店の店頭を大いに賑わせている。『猫は知っていた』というタイトルに惹かれて本書を手にした猫好きの読者も多いだろう。期待通り可愛らしい一匹の黒猫が登場する。しかし自由奔放なその動きには要注意だ。暗闇に光る黒猫の目は、まるですべてを見通しているかのような印象を与える。緩やかな風で全身が和んだとしても、導入からラストまで一寸たりとも油断できない。


読みやすさや魅力的なキャラクターだけではない。ミステリとしての面白さ、謎解きの切れ味もまた鋭く確かだ。埃をかぶった推理小説の山、トリカブトの標本、庭に残された防空壕、家族も知らない秘密の抜け穴、隠されていたダイヤの指輪、年代物の茶つぼ。刺激的な要素はたっぷりと用意されている。こうした象徴的なモノたちが謎をさらに幾重にも包みこんでいく。事件の真相が明かされたあとには残る豊かな余韻も最高。まさにいつまでも読み続けたい気持ちにさせられる。


「日本のクリスティ」と称された著者。その実力は綾辻行人氏、有栖川有栖氏などさまざまな方々が大賛辞を送っていることからも明らかだ。まさに幅広い読者層から愛される時代を超えて読み継がれるべき名作。ひと夏の冒険のような素敵な物語を、お好みの飲み物を飲みながら心ゆくまで楽しんでもらいたい。


仁木雄太郎・悦子の素人探偵兄妹が巻きこまれた奇妙な連続殺人事件。

怪しげな電話、秘密の抜け穴、蛇毒の塗られたナイフ、事件現場に現れる一匹の黒ネコ。
好奇心溢れる悦子のひらめきと、頭脳明晰な雄太郎の推理が真相に迫っていく。
鮮やかなトリック、心和む文体。
江戸川乱歩賞屈指の傑作が新装版で登場!

仁木悦子(にき・えつこ)

1928年東京生まれ。’57年『猫は知っていた』で第3回江戸川乱歩賞を受賞。「日本のクリスティ」と呼ばれ、人気推理作家となる。’81年、短篇「赤い猫」で第34回日本推理作家協会賞を受賞。’86年没。

内田 剛(うちだ・たけし)

ブックジャーナリスト。本屋大賞実行員会理事。約30年の書店勤務を経て、2020年よりフリーとなり文芸書を中心に各方面で読書普及活動を行なっている。これまでに書いたPOPは5000枚以上。全国学校図書館POPコンテストのアドバイザーとして学校や図書館でのワークショップも開催。著書に『POP王の本!』あり。

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