⑥豆まきの意味とは?

文字数 4,141文字

教科書には載らない「知られざる歴史」を扱う人気シリーズ「QED」「カンナ」「時の時空」。その作者・高田崇史さんがQED源氏の神霊』(講談社ノベルス)『オロチの郷、奥出雲 古事記異聞』(講談社文庫)刊行に合わせtreeで短編を集中連載。QEDの顔・桑原崇が「鬼」を語る!そもそも鬼は、悪くて怖くて強いもの?

「え? どういうこと」

「今までの話を知っていないと、豆まきの意味を理解できないからだ。いいかい。


1、中国の疫病を祓う習慣が日本に入って来て、徐々に『鬼』を祓う祭事になっていった。

2、日本では、たった一握りの貴族を除いて、ほぼ全員が『鬼』や『妖怪』と呼ばれていた。

3、それなのに節分の豆まきでは、誰もが自分たちと同じ『鬼』を祓っている。


 それに、能や歌舞伎を始めとする芸能は全て、当時の朝廷から貶められていた人々を始祖としているんだ。歌舞伎の始祖といわれた出雲の阿国はもちろん、能を大成させた世阿弥でさえそうだ」

「能や歌舞伎……」

「相撲に関して言えば、勇猛な『鬼』だった野見宿禰は、垂仁天皇7年7月7日に奈良に呼び出され、もう一方の『鬼』の当麻蹴速と戦って勝利した。これが、相撲の始まりだ」

「そうなんだね……」

つまり、と崇は言う。

「芸能人や相撲取りのルーツを辿ってみれば、彼らも立派な鬼の子孫ということになる。しかし彼らは、豆まきの行事に必ずと言ってよいほど呼ばれて参加している」

「うん」大地は頷く。「毎年、テレビで見るよ」

「どうしてだと思う? なぜ『鬼』の子孫とも言える彼らが『鬼』を祓うために呼ばれて来るんだろう」

「良く知らないんじゃないの……自分たちが『鬼』の子孫だって」

「それもあるかも知れないな」

 崇は笑うと続けた。

「しかし『日本後紀』の嵯峨天皇の条に、こうあるんだ。『夷を以て夷を討つは古の上計』だとね。この『夷』は『賊』で、そのまま『鬼』のことだから、つまり『鬼で鬼を退治するのは、最も良い計略』というわけだ」

「鬼同士を戦わせるっていうこと?」

 そうだ、と崇は頷く。

「桃太郎も、酒吞童子もそうだった。ここで詳しい説明は省くけれど、桃太郎も頼光も、元をただせば我々と同じ『鬼』だったんだ。それだけじゃない、大怨霊ともいわれている平将門を討った俵藤太も、それこそ出雲の大国主命の子供たちを死傷させて国譲りを迫った武甕槌神も、もともとはやはり『鬼』だった。貴族たちが自ら直接、鬼退治に手を出すようなことは、決してないんだ」

「どうして?」

「そんなことをしたら、自分たちが穢れる――仏教的に汚れるからね。武器を手に取って戦えば、血が流れ死人が出る。それによって、自分たちの身が穢れることを拒んだんだよ。それに『鬼』を仲間同士で争わせることには、もう1つ大きな利点がある」

「それは?」

「どちらが勝ったにしても、この世から『鬼』を減らすことができる」

 えっ、と大地は顔をしかめる。

「酷い!」

「しかし実際に『日本書紀』や『日本後紀』に、そう書いてある」

 崇は苦笑した。

「だから戦いは『鬼』と『人の代理としての鬼』――常に『鬼対鬼』なんだ。『人』は、あくまでも命令を下すだけで、実際の争い事には関与しない。『鬼』を退治するのは必ず『鬼』で、これがわが国における節分の豆まきの正体だ」

「鬼で鬼を祓う!」

「ちなみに『豆』は、『日本書紀』などには『忠実【まめ】』『忠【まめ】』とあるから、忠実な部下ということだね。だが、どちらにしても『鬼対鬼』という図式に変わりはない」

「そういうことか……」大地は頷きながら尋ねる。「あと、さっきタタルさんが『貴族たちが仕掛けた罠』が何とか――って言ったでしょう。あれは何?」

 それは、と崇は答える。

「俺たちに『鬼』や『妖怪』は実在しないと思い込ませることも、彼らにとっては重要な計略だったからだ」

「……どうして?」

「もちろん今言ったように、本当に存在していなかった『鬼』や『妖怪』もたくさんいる。しかし、朝廷に金品を強奪されたり殺されたりしてしまった人々――『鬼』や『妖怪』たちも無数にいた。そこで、全部まとめて『空想の生き物』としてしまえば、朝廷の貴族たちの行ってきた非道もお伽話や夢物語になってしまう。まさに『桃太郎』のようにね」

「ああ」

「事実、近世の民俗学者たちの中にも、その罠にはまってしまっている人たちが何人もいる。あくまでも『鬼』や『妖怪』は空想や文学の中だけの生き物なんだとね。そういう人たちは、彼らの呪にかかっている。そうなると、当時は間違いなくそこにいたはずの俺たちの祖先たちの存在が、夢物語の中に消えてしまう」

「それが、貴族たちの仕掛けた罠?」

 そうだ、と崇は頷く。

「『鬼』たちが存在していなかった――空想の中の話だということになれば、自分たちの犯してきた罪も全て虚構の中の話になるからね」

「そういうことか!」

「節分の豆まきは『鬼』に対する酷い仕打ちという話だが、こうなると、陰険な計略といえるんじゃないかな。浄瑠璃の『平家女護島~俊寬』で、島に1人残されそうになった海女・千鳥の悲痛な叫びじゃないが『鬼界が島に鬼はなく、鬼は都にありけるぞや』――都に住む『人』こそが、本当の『鬼』だったのかも知れないね」

 そう言うと、崇はノートに書き足した。


4、豆まきは、鬼を鬼で祓う計略の一部だった。

5、同時に「鬼」は、空想の産物だとしたため、実在していた「鬼」たちも、夢物語の中に吞み込まれてしまった。

6、それに伴って朝廷が「鬼」たちに対して行ってきた非道な行為も、全て空想・虚構の中に落とし込まれた。


「…………」

 それを眺めて黙りこくってしまった大地の前で、崇がすっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干した時。

入口のドアが開いて、女性が1人入って来た。

何気なく視線をやれば、奈々だった。奈々は沙織の姉、大地の伯母にあたる。沙織の代わりに、大地を迎えがてら様子を見に来たらしい。

 2人に気づいた奈々が近づいて来て崇の隣に腰を下ろし、コーヒーを注文して崇と言葉を交わしていると、

「ねえ、タタルさん」大地が静かに口を開いた。「今言ってたことは、有名な話?」

「それはどうだか知らないが」崇は笑う。「少なくとも大地くんの周りの人は、みんな知ってるんじゃないか」

「本当?」

 と言って大地は、今、崇から聞いたばかりの「鬼」の話を簡単に奈々に伝えた。節分の豆まき。貴族以外、全員が「鬼」。なのに庶民が豆をまくのは「鬼」を「鬼」で打ち払うという朝廷の計略で、それには彼らのとても陰湿な計算が働いていて――。

「伯母さん、知ってた?」

 大地が尋ねたので、運ばれてきたコーヒーに口をつけながら奈々はニッコリ微笑むと、

「ええ」

と答える。それを聞いて崇は「ほら」という表情で大地を見た。大地は驚いて更に尋ねる。

「赤鬼・青鬼の色の理由も?」

「はい」

「2本の角や、虎の皮の褌や、金棒の理由も?」

「もちろんよ」

「じゃあ、雷様が人間のヘソを狙う理由も?」

 すると、

「えっ」奈々は目を大きく見開いて、崇を見た。「タタルさんっ。そんな話まで、大地にしたんですか!」

「いいや」崇は肩を竦めた。「それは、大地くんの自由研究に任せてある。答えは口にしていない」

 その言葉に奈々が、なぜかホッとした顔で大地を見た。


 大地を駅まで送り届けると、奈々と崇は駅前商店街を並んで歩く。すると奈々が、

「実は」と口を開いた。「さっき沙織から、大地の話を聞いたんです。どうして急に『鬼』に関心を抱いたのか、大地は何か言っていましたか?」

「いいや」崇は首を横に振る。「特に何も言っていなかった。俺も尋ねなかったが」

 そうですか、と奈々は言う。

「沙織は時間がなくて、タタルさんに話せなかったらしいんですけど……。大地のクラスに『くろき』くんという子が転校してきたそうなんです。黒い鬼と書いて『黒鬼【くろき】』」

「珍しい苗字だな。きっと『鬼』の正統な子孫なんだろう」

「黒鬼くんは、色黒でがっしりとした体格で無口だったために、何か近寄りがたい雰囲気を持っていて、そのために友だちも全くできなかったそうなんです。大地とは、たまたま席が隣り合わせになったから、話しかけるようになり、彼も大地とだけは口をきくようになったそうです――」

 しかし黒鬼は最近、何となく落ち込んでいた。

 その理由を尋ねても、何かはっきりしない。でも、クラスの隅から「節分」「豆まき」という女子の声が聞こえてきた時、黒鬼はハッと反応した。

 そうか。

 大地は、理解した。

 まさか黒鬼が豆をぶつけられることはないだろうけれど、やはり何となく気にしているのだ。いや、何もされなくとも、そこらじゅうから「鬼は外!」という楽しそうな掛け声が聞こえてくれば、気分も落ち込むだろう。

 そこで大地は、彼に何か声をかけてあげたかったが……良く考えたら「鬼」について余り知らなかったことに気づいた。

 そこで母親の沙織に尋ね、父親の小松崎経由で崇のもとに話が回ってきた――ということらしかった。

「なるほど」崇は頷いた。「多少でも、アドバイスになっていたら良いが」

「あくまでも私の直感ですけど」奈々は応える。「大地は、とても喜んでいたみたいです」

「そうかな」

「本当です。そんな感触を受けました」

「それなら良いが……」崇は奈々を見た。「俺も今日は特に用事もなかったから、あの喫茶店で昼からビールでも飲みながら読書しようと思っていた。大地くんのおかげで、もっと有意義な時間を過ごせた気がする」

「それは良かったです」

「だが、ビールを飲み損ねたことも厳然たる事実だ」

崇は真剣な顔で主張する。

「さて、もうそろそろ夕方だし、どこかで一杯飲んで帰っても良いと思うんだが、せっかくだから日本酒にしよう。立派な『鬼』の名前を冠した、岡山の『温羅【うら】』か、岩手の『阿弖流為【あてるい】』が飲める店に行くとしよう」

 そう言うと、崇は楽しそうに笑った。


(了)

高田崇史(たかだ・たかふみ)

1958年東京都生まれ。明治薬科大学卒業。

『QED 百人一首の呪』で第9回メフィスト賞を受賞しデビュー。

怨霊史観ともいえる独自の視点で歴史の謎を解き明かす。

「古事記異聞」シリーズも講談社文庫より刊行中。

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