『月ノさんのノート』月ノ美兎/委員長の忘れモノ(岩倉文也)

文字数 2,754文字

次に読む本を教えてくれる書評連載『読書標識』。

月曜更新担当は作家の岩倉文也さんです。

今回は月ノ美兎『月ノさんのノート』(KADOKAWA)をご紹介していただきました!

書き手:岩倉文也

詩人。1998年福島生まれ。2017年、毎日歌壇賞の最優秀作品に選出。2018年「ユリイカの新人」受賞。また、同年『詩と思想』読者投稿欄最優秀作品にも選出される。代表作に『傾いた夜空の下で』(青土社)、『あの夏ぼくは天使を見た』(KADOKAWA)等。最新単行本は『終わりつづけるぼくらのための』(星海社FICTIONS)。

Twitter:@fumiya_iwakura

ぼくは生配信を聞くのが昔から好きだった。中学生の頃の思い出と言うと、「ニコニコ生放送」で有名無名に関わらず生主の配信を流しながら勉強していたことが強く印象に残っている。中学時代になんとか勉強に付いていくことができたのも、この「ながら勉強」のおかげだろう。人が何かを喋っている、しかもいま、この世界のどこかで。そのことを認識するだけでも、ぼくは安心感を覚え、リラックスすることができた。


高校生になり、やがて学校に行かなくなった辺りから、ぼくはよく「ツイキャス」を聞くようになった。当時はこれがとても流行っていて、毎日夕方から深夜にかけてフォロワーの誰かしらがつねに配信を行っていた。そこでは、東京や京都の大学生が文学について語っていたり、睡眠薬をODして喚いていたり、自傷行為に及んだりしていた。なんてヤバい世界があるんだろう、と福島の田舎で鬱屈していたぼくは、ひそかに興奮していた。その頃のぼくにとってツイキャスとは、「都会への憧れ」そのものだったのである。


そんなぼくも進学し東京で暮らすようになると、今度は「Vチューバー」漬けの毎日がはじまった。キズナアイ、電脳少女シロ、ミライアカリ、輝夜月……と名前を並べていくと、なんだか全てが幻のようでもある。月ノ美兎、名取さな、夢月ロア、鈴原るる、椎名唯華、シスター・クレア、魔界ノりりむ。他にも好きになった、あるいは現在も好きなVチューバーは数多いが、デビュー当時から一貫してぼくが追い続けているのは、月ノ美兎くらいのものである。


その月ノ美兎が最近、一冊のエッセイ集を刊行した。『月ノさんのノート』と題された本書は、まず造本からして異様である。帯を取ると、ただの大学ノートにしか見えない造りとなっている。だがそれもそのはず、本書は「月ノ美兎がうっかり落としてしまったなんでもノート」であり、そこに記された日記を読者が垣間見てしまう、というコンセプトで制作された破格のエッセイ集だからである。


内容はと言うと、序盤は「創作できません」「あなたの家」「睡眠導入台本」「Bへの怒り」など、創作をめぐる自意識の葛藤や、子供のころから引っ越しが多かったという彼女の一所不住性、また睡眠に対する恐怖といったテーマについて、随想的に自由に描かれている。特に「Bへの怒り」では、月ノ美兎が所属していた映画研究部の変わり者「Bくん」の空気の読めなさや、それ故のやさしさなどが客観的な筆致で記されており、独特な味わいがある。第一線で活躍するバーチャルアイドルのエッセイ集にこのような一編が紛れ込んでいるというのはいかにも不思議であるが、しかしその不思議さ、と言うか奇妙さが、むしろ本書を魅力的な一冊にしているというのも、また事実である。


後半では、より内省的なエッセイが増えているような印象を受ける。

わたくしは、「自分の性格の悪さにしては」極めて安全に見える位置にラインを置いて活動している、つもりだ。言ってしまえば、実際の自分の考えからは目を背けて、本心と全く別のことを配信で口にすることだって全然ある。けれど、わたくしがそのことに対してさして嫌悪感を抱かないのは、自分が強く憧れている人たちもそうしているように感じているからだ。

これは「ライン」と題されたエッセイ中の一節であるが、元々「委員長」という外側に纏った清楚なキャラクター性と、それを逸脱する言動や振る舞いとのギャップによってブレイクした月ノ美兎だけあって、「ウソ」と「ホント」の、また「演技」と「自然」の境界スレスレのところを探っていくような姿勢は、本書の随所で見て取れる。引用部分もそのひとつの例であるが、そもそもが虚構的存在なのか生身の人間なのかが曖昧なVチューバーという職業の人間が、こうした著作の中で「自意識」やそれにまつわる葛藤について記述するという試みは、それ自体キャラクターとは何か、Vチューバーとは何かというひとつの問いかけとなっており、ぼくにはかなり面白い。本書は「生身のアイドルが出したエッセイ集」などとは次元を異にしていると考えた方がいいだろう。


で、「あとがき」である。この「あとがき」には、実際に物を書いた人間のみが知り得る発見が生き生きと綴られており、読み応えがある。

人は自分を文章に記す時、思っているよりも心が散漫としている状態から、糸を1本1本ほどいていくように順序立てて、無理にでもそれを記していくしかないのかもしれない。人の感情を筋道立てて、嘘もつかずに一本筋で書き示すだなんて、本当に困難なことだ。自分の中の演出家とか、「こんな柔らかいところを人様にむき出しにするな!」みたいな最終防衛ラインと折り合いをつけて、頑張って、真実も演出もひっくるめて、ひとつの物語にさせていくのだろう。思ったよりも泥臭い精神が必要だった。

まさにその通りである。その通りすぎて、この部分を読みながら逆に吹き出してしまった位である。ぼくもいまこの文章を、「糸を1本1本ほどいていくように」して書いている。


『月ノさんのノート』は実に雑多な文章の集積であり、ほとんど作品ごとにテーマも文体も異なっている。しかしそれらの作品を根底で支えているのは、「書くことの喜び」ではないだろうか。本書は月ノ美兎の配信における雑談と同じく、話題は縦横無尽に飛び回る。だがそのどれもが──たとえ暗い感情が語られていたとしても──エンタメとして優れ、受け手を楽しませてしまうのは、紛れもない彼女の天稟であり、と同時に、危うい魅力を孕んだ呪いでもある。


本書が月ノ美兎の「忘れモノ」であるという設定は、なんだか象徴的だ。ぼくはこの返す当てのないノートを抱えて、今日もインターネットの底知れぬ夜に沈んでいく。

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