現役学生が読み解く!伊坂幸太郎『モダンタイムス』/朝樹 卓

文字数 3,366文字

伊坂幸太郎さん『モダンタイムス』が、漫画誌『モーニング』で連載を始めたのは2007年4月のこと。

2007年は、安倍首相が突然辞任、米国ではサブプライム問題が起き、翌年の全世界を巻き込んだ金融危機へとつながった年…というと「ああ、もうそんな前」と感じる人も多いのでは。

その後2008年に単行本、2011年に加筆修正を加えた文庫版となった『モダンタイムス』。その文庫化から12年の時を経て、このたび装い新たに新装版が刊行。

新装版化第1弾の『魔王』と同じく、長い時を経てもいっこうに色あせない、むしろ「現在を描いているのでは?」と思わされる伊坂幸太郎作品を、現役の大学院生・朝樹 卓さんが「現代の20代」の視点で読み解きます!

『モダンタイムス』『魔王』から50年後の世界を舞台にした作品だ。

週刊漫画誌『モーニング』で連載された本作は、あとがきにて作者本人が「全力疾走した短いお話を56個積み重ねたような」と語ったように、文庫の上下巻で1000ページを超える長編でありながら、それを感じさせないスピードで物語が駆け抜けていく。


 まず冒頭「実家に忘れてきました。何を?勇気を。」という書き出しから始まり、システムエンジニア(以下、SE)である主人公・渡辺拓海が帰宅後、即監禁。拷問される状況が展開される。拷問らしからぬユーモアを含んだ問答が繰り広げられる中、拷問の首謀者が主人公の妻だと明らかになる。

 恐妻家という言葉で一括りに出来ないこの夫婦のキャラ立ちは、共に掲載されていたどの漫画にも負けないインパクトを持っている。

 物語はここから急カーブをし、主人公がとある仕事でウェブシステムの内側を覗いたことから、管理社会の恐ろしさを目の当たりにすることになる。このスピード感はじっくりと話が進行する『魔王』とは対照的だ。


 キャラクターの名前も、会社の後輩が大石倉之助であったり、小説家の友人が井坂好太郎であったりユーモア方面に個性が強い。また作中作として登場する井坂好太郎小説では、登場する固有名詞一つ一つが、本作の世界の謎を解き明かす鍵になっている。この謎を読み明かすパートは、伊坂作品に期待する構造的な仕掛けが詰め込まれている。これは常時シビアに進行した前作の異質さと対比をなしている。


 『魔王』が、社会がじわじわと変革する抗えない流れを描く「過渡期」であるとするならば、『モダンタイムス』は完全に社会が変革し尽くし、新たなシステムを構築し終えた「安定期」である。この舞台背景の違いも物語のリズムに大きな影響を与えている。『魔王』での敵として設定されていたのは、 個人の思想が他人を巻き込み増幅していく空気だった。一人の熱狂が社会の空気を作り出し、その空気に煽動された人間がまた熱狂し、この空気の勢力を増していくサイクルが描かれていた。この空気が膨張を終え、やがて個人の意思を介すことのないシステムへと成熟したのが『モダンタイムス』の社会だ。


 新たな社会システムと聞くとディストピアを思い浮かべる人も多いだろう。実際に本作もディストピアとしての側面は有しているのだが、どことなく空気がゆるい。この空気のゆるさは、伊坂幸太郎のユーモアを交えた文体に拠るところが大きいのだが、これによって現実と作品世界のディストピアを地続きに感じてしまう。よくあるハードSFでのディストピアには現実世界のゆるさを削ぎ落とした、管理社会の重苦しい質感があり、どこかで私たちの世界とは断絶した印象を受ける。だが『モダンタイムス』の世界では、私たちがディストピアに感じる異常が全て常識として受け入れられ、その上で皆現実社会と同様に暮らしている。それが非常に怖い。おそらく『モダンタイムス』のような世界が現実になることを生々しく感じてしまうからだろう。


 実際に物語の入口も「播磨崎中学校 安藤商会 個別カウンセリング」と検索し、出てきた出会い系サイトにアクセスした人間に不幸が訪れるというものだ。この日常の裏側にある都市伝説や陰謀論のような入り口は、読者に薄暗い好奇心と恐怖を抱かせる。また私自身もプログラマとしての浅い経験を基に、興味本位でサイトの仕組みや裏側の構造について調べた経験は何度かあるのだが、隠されていれば知りたくなる、という人間の本質を伊坂幸太郎はよく理解している。実際、伊坂氏は会社員時代にSEとして働いていた経験があるようで、エンジニアのキャパを考えずに仕事を取ってくる上司や話の通じない営業部との対立や、ブラック企業を想起させるSEの就労描写は、心を抉られるリアルさがある。


 ブラック企業のような組織の恐ろしさは人間が簡単に、ロボットのような道具になる部分にある。人間と道具の最も大きな違いは命令を受けるべきか自ら選択できることだ。人間を道具として扱う上で最も邪魔なものは、命令違反を招く良心や反抗心である。そのため軍隊という組織では「統率の乱れによる軍の危険を防ぐ」ため、“命令は絶対”なのだと厳しく教え込まれる。これを裏返せば、軍という組織は「兵士がどんな命令でも必ず実行する=道具」であることを前提としたシステムのもとで軍隊は運用されていると言える。


 ブラック企業や軍隊だけではない。どんな組織でも生物のような恒常性を持ち生き続けている。組織における恒常性とはシステムそのものだ。日常に溢れる組織でも、全てシステムの下で運営されている。町内会のようなゴミ捨てや回覧板のルール、地域の祭りの手伝いなども町内会という組織の恒常性の下で生まれたルールだ。一つ一つのルールに目的はあるし、それを定めた人間ももちろんいる。だがそこにある固有の目的や個人に大きな意味はない。敵対する人間やルールだけをいくら除外しても、いたちごっこのように何も変わらないと感じたことはないだろうか。国家を運営する政治家も定期的に役者が変わるだけで、その役割をほかの役者が担っていく。これも組織が生き延びるための恒常性に必要とされているだけなのだ。


 本作『モダンタイムス』のなかで主人公たちが対峙するシステムは、国家そのものだ。前作『魔王』では、時の政治家である犬養が、もしくは犬養を押し上げようとする社会の空気が、主人公たちの敵として描かれていた。だが本作に明確な敵は登場しない。むしろ明確な敵個人などこの世にいないと語るのが本作である。組織のためにシステムがあるのではなく、システムのために人間が道具として動く。【組織とシステムの主従の逆転】これこそが『モダンタイムス』で伊坂幸太郎が描こうとしたテーマだ。


 町内会から国家まで集合体は組織を形成する。その組織に組み込まれた人間は道具化するしかないのか。『魔王』で安藤(兄)が唱えていた「考えろ」はシステムの中で道具にならないための唯一の手段だ。良心や反抗心はいつだって考える行為から芽生える。

『モダンタイムス』の書き出しにも書かれているように、もう一つのテーマは勇気である。勇気と言えば『魔王』の続編『呼吸』のラストおいて安藤潤也が発した「俺は、勇気すらお金で買えるんじゃないかって思うんだ」というセリフが脳裏をよぎる。安藤潤也と詩織のその後は本作の中で明かされる。そして、本作の主人公もシステムに翻弄されながら、『魔王』の登場人物たち同様に考えながら選択を迫られる。これだけのテーマに似合わず読後感は爽やかであり、そこに地に足のついた説得力があるのはさすがとしか言いようがない。テーマ性と娯楽性の調和。これこそ本作最大の魅力であり、本作が伊坂幸太郎の真骨頂たる所以でもある。彼らの勇気をめぐる旅の結末や世界の真相についても、ぜひ『魔王』とひと続きに本作を読んで楽しんでほしい。


朝樹 卓

慶應義塾大学大学院修士 趣味はプログラミング・ボードゲーム・ゲーム音楽など

恐妻家のシステムエンジニア渡辺拓海はあるサイトの仕様変更を引き継ぐ。

プログラムの一部は暗号化されていて、前任者は失踪中。
解析を進めていた後輩や上司を次々と不幸が襲う。
彼らは皆、ある特定のキーワードを同時に検索していたのだった。

『魔王』から五十年後の世界。
検索から始まる監視の行き着く先は──。

こちらもぜひ!↓ 伊坂幸太郎『魔王』ブックレビュー/ 朝樹 卓

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