第82回

文字数 2,528文字

まぁ冬やね、という冷え込みになってまいりました。

ガンガンエアコン焚いて部屋をあっためて、風邪ひかないようにしような。


脳内とネットでは饒舌な「ひきこもり」の代弁者・カレー沢薫がお届けする、

困難な時代のサバイブ術!

この連載がはじまったのも、コロナの影響でみんなが強制的にひきこもらざるを得ないという状況になったからだったようなな気がする。


今風、と思っているがすでに腐っている可能性がある言い方で言うと、「ひきこもりしか勝たん」ということだ。


ひきこもりにとっては完全な追い風であり、自分のサイド髪で全く前方が見えないという逆レボリューション状態である。


つまり、コロナはひきこもりにある意味良い影響を与え、ひきこもりが世の中に肯定されるきっかけになったということである。


そう思って久しぶりにネットでひきこもりについて調べたところ、「コロナがひきこもり問題を悪化させた」という話ばかり出てきて「これが認知の歪みというやつか」と思いがけずアハ体験をしてしまった。

今あなたが「いじっている」相手はその行為を「いじめ」と思っていないだろうか、執拗に下ネタを言い続けている女性は喜んでいるのではなく、3ヵ月寝かせた炊飯器を開ける時の顔をしていないだろうか。


自分の認識が、他人や世間一般とかけ離れたものでないか、我々は定期的に見直す必要がある。


つまり、コロナはひきこもりにとって向かい風のリアルレボリューションであり、西川ニキなら耐えられたが、若干弱っているひきこもりには耐えられるものではなかったようである。

ちなみにニキは長男だそうだ。


しかし、私のように「これで誰にも文句を言われずひきこもれるドン!」と確変顔になった者もいるのだから、元気になったひきこもりもいないことはないだろうと思ったのだが、それは既にひきこもりとして悟りを開いてしまっている、ひきこもり界のブッダだけで、まだ現世に未練があるひきこもりにとってはトドメ、そして現世に戻るために努力していた者にとっては大きな壁になってしまったようである。


つまりひきこもりを脱するため、少しづつ外界と交流を持とうと何らかの支援会に参加していた者は、「コロナのため会が中止」になってしまい、せっかく繋がった社会との縁を切られてしまったのである。

私のように皮が全く残っていないズルムケのひきこもりには特に影響がなく、むしろ「どう、俺のすごいでしょ、クール?」とその状態を誇るチャンスですらあったのだが、首の皮一枚で社会と繋がり踏ん張っていた人間にとって、コロナはその皮を断ち切り、「真性」にしてしまう上野クリニックでしかなかった、ということだ。


また、ひきこもりにとっては「家族とのつながり」が重要であるため、コロナのせいで家族旅行や外食など家族のレクレーションが出来なくなったことも悪影響になっているという。


私は、コロナがあろうがなかろうが家族と旅行にいくのは「10年に1回」のレベルであり、親族も全員県内にいるという世界の狭さなので、コロナの影響で家族行事がなくなった、親族に会えなくなったということは一切ない。


こう考えると私は、あまりにもひきこもりとして才能、そして環境に恵まれ続けている。これだけ恵まれているのにひきこもりにならないというのは、金持ちに生まれたのに「敷かれたレールを走りたくない」などと言って、親の所有であるアパートに一人暮らしし、貧乏飯と称してコンビニの金パッケージ商品を食っているような傲慢さを感じる。


恵まれた者にはその「恵まれ」を享受し、それを最大限生かして生きる義務があるのではないだろうか。


私は現在その才能を遺憾なく発揮した状態であり、コロナはその能力のすごさを見せつける「舞台」であったと言っても過言ではない。

ひきこもりを脱して外で生きようとしている人間は、逆に自分の恵まれた才能をドブに捨てるような真似をしていないか、今一度胸に手を当てて考えてほしい。


しかしコロナがひきこもりのみならず、様々な「人の繋がり」を断ってしまったというのも事実である。


家族であれば「3年会ってないからもうお母さんではない」ということはないが、中には「顔を合わさなくなった時点で切れる縁」というのもある。

おそらく卒業後全く顔を合わさず、そのまま縁が切れてしまった友人がいるという人は多いと思う。

こちらに言わせれば、縁が切れる友人がいただけでもましで、最初からない縁は切れることすらできないのだが、仲が良かったのは学校という「毎日顔を合わす場所」があったからであり、それがなくなると途端に疎遠になるケースというのは多い。


コロナ前には「月イチのどうでもいい集会で必ず顔を合わすから、何となく話していた人」みたいな人が結構いたが、コロナにより不要不急の集会が禁じられたことにより、そのような不要不急の縁が根こそぎ切れてしまった人もいるのではないだろうか。


しかし、学校やなぜ参加しなければいけない集会で出来る縁というのもバカにできないし、むしろそういう強制力でもなければ、好きなだけひきこもり、人との縁が作れないという人間もいる。


それを考えると、内容は虚無でも「とりあえず人間が集まる場」というのは、ある意味必要悪なのかもしれない。


しかし、学校やなんかの集会でも、誰とも話さず、終わった瞬間消えている人間というのはどこにでもいる。

人がいる場所にいけば自動的に縁ができるわけではない、むしろ「不気味な人」として認知される恐れがあり、そういうタイプはまさに「ひきこもりの才能がある人」なので、ひきこもっていた方がまだいい。

カレー沢薫

漫画家・コラムニスト。長州出身の維新派。漫画作品に『クレムリン』『アンモラルカスタマイズZ』『ニコニコはんしょくアクマ』『やわらかい。課長 起田総司』『ヤリへん』『猫工船』『きみにかわれるまえに』。エッセイに『負ける技術』『もっと負ける技術』『負ける言葉365』『猥談ひとり旅』『非リア王』など。現在「モーニング」で『ひとりでしにたい』連載中&第1巻発売中。最新刊『きみにかわれるまえに』(日本文芸社)も発売中

★次回更新は11月26日(金)です。

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