私的ダイエット本の決定版!?/『ダイエット』

文字数 3,408文字

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「1人前食堂」を運営する、料理・食材愛好家のMaiによる初書評連載。


動画に映り込む本棚、そこに並ぶ数々の本。

Maiによって選び抜かれた1冊1冊に秘めた想いが明かされる。


第3回は、大島弓子の『ダイエット』(『つるばらつるばら』所収)。

太っては痩せ、太っては痩せを繰り返す福ちゃん。彼女は果たして“何”を求めて食べていたのか?

私の家では漫画と甘いもの禁止条例が下されていた。

当時教育熱心だった母は、その理由を漫画は頭が悪くなり、甘いものは歯が悪くなるからだと言った。

さらに私がどうしても読みたいとねだった少女漫画に関しては、小さい我が子が色気づくのを許すまいといっそう監視の目を厳しくした。


思春期のあいだ、母から伝染した漫画蔑視の思想に縛りつけられてきた私だったが、漫画家大島弓子との出会いによりその呪いは一瞬で解けることになる。

彼女の諸作品は、当時母が私に買い与えた実用本に負けず劣らず、いやそれ以上に知的で文化的であり、まさに人生の指南書であるといっても過言ではない。


ところで先の呪いを解いたおまじないというのが、皮肉にもこれまた食育にも厳しかった母が見たら発狂しそうなタイトルの短編漫画だった。

このイージーなタイトルからは想像がつかないが、初めて出会うにはもってこいの大島弓子色が最高密度の作品なのだ。

“わたしの高校には体重規制校則がある。上限八十キロ下限三十キロをこえると人間とみなされなくて処分されるわけ”


冒頭、ふくふくと太った標縄福子(しめなわふくこ、通称福ちゃん)という主人公のショッキングなジョークからはじまる。

これは世の中の暗黙の校則であるらしいが、彼女はそんなこと知ったものかと食べる食べる。なぜなら、その過食の果てに福ちゃんにとって極上の快感=”ニルバーナ”が待っているから。


咀嚼することで脳の記憶中枢を刺激して、昔に自分と母親を捨てた父の思い出たちが馬鈴薯(じゃがいも)ほりみたいに堀り起こされ……その忘れられない馬鈴薯(おもいで)をあえて鮮明に磨き上げ、甦らせまた意識の奥底に貯蓄する……その作業が完了するころには福ちゃんは満腹になり意識もなにもかもすっ飛んでハイになることで現実逃避できる。ニルバーナとは、そんな快感のシステムのことだ。

福ちゃんには黒豆数子(カズノコ)という友達がいる。

福ちゃんは、カズノコのいつも“思考がすっとぶがあったかい”ところが好きらしい。


ある日、カズノコは意中の相手である角松くんとお付き合いすることになるのだが、女同士の友情を繋ぎ止めるためであろうか、自分が痩せたご褒美に二人のデートに参加させてほしいと言う福ちゃん。

“なぜ福ちゃんがやせたらご褒美をあげなくちゃなんないんだろう”と不審に思うカズノコ。


それでも、今となっては使い古されているダイエット法(3食りんご・全身浴・つま先立ちなど)で見事に痩せた福ちゃんを約束通りデートに招待する。

もれなくくりくり二重まで頭角を現し、モデル体型の美少女になった福ちゃんは学校の男子生徒内でファンクラブができるほどモテモテになった(少女漫画……!!)。


例の3人によるデート当日、カズノコの彼氏角松くんに優しく接され夢心地になるのも束の間、「これも私が痩せたから?」と勘ぐる福ちゃん。

彼の本心を探るべく、また形状記憶合金のように太った体型に戻った。


ファンクラブは即解散したものの、角松くんのジェントルマンぶりは健在だった。

それからというもの福ちゃんは太ったり痩せたりを繰り返し、周囲が自分を受け入れてくれるか反応を伺い自己解決しようとするが、相変わらず食欲が波しぶきのように押し寄せ常に飢餓状態だった。

しきりに2人の間に入りたがる福ちゃんにカズノコそして読者の私は、福ちゃんに角松くんをとられるのではないかと疑心暗鬼になる。

しかし角松くんの見立てでは、福ちゃんはカズノコに対して友達として好き以上の何かを抱いているようであり、典型的な少女漫画的三角関係の構図に当てはめるのはまだ早い。


カズノコと角松くんの恋のお邪魔虫を演じているように思われた福ちゃんだったが、3人の恒例になりつつあるデートの日、“家族づれ”という言葉に不意に胸を突かれた様子をみせる。

どうやら福ちゃんは、カズノコへの執着心や角松くんへの恋心から2人の間を割って入っていたわけではなく、3人の団欒を小さい頃から自分には享受されることのなかった家族の姿と重ね、居心地の良さを感じるようになっていたようなのだ。

“あのこあたしたちの子供なのよ”


ついに摂食障害で病院に運び込まれた福ちゃんのお見舞いの帰り道、カズノコが角松くんに向けて発したこのセリフに、当時の私は衝撃のあまり食べていたビスケットを上手く飲み込めなかった。

なんだ、福ちゃんはカラダではなく“心が飢餓状態”なんだ。憂鬱をのせて口に運ぶ食べ物は、福ちゃんの中で脂肪という名の孤独として蓄積されてしまった。そしてカズノコに母性を求め、角松くんに父性を求めたんだ。


単純に美味しいフードが登場する物語とは一線を画し、”食べる”という当たり前の日常を取り上げられてしまうようなおっかない漫画である。

大島弓子の作品はこの他にも統合失調症(「ダリアの帯」)、早老症(「8月に生まれた子供」)、アダルトチルドレン(「夏の夜の獏」)などをモチーフにしたものがあるが、ただそれらを心や体の病状として提示するのではなく、まるで彼や彼女たちの幻想世界の中で起こるドラマとして色鮮やかに処理してゆく。


私たちは、ある年齢に達したり、ある精神状況に陥ったりすると、突如あたりまえのことがあたりまえのようにできなくなることがある

ドラゴンボールの孫悟空が修行のために重力室に入った途端、歩くのさえもままならなくなるシーンのように、ふつうの生活を送ることは想像の何倍も精神力や労力が必要なのだ。

そこでようやく日常茶飯なこと、食べることであったり家族のことであったり、ごく自然なことが実は維持するのは難しく、尊いものであると思いしらされる。

物語の終盤、カズノコと角松くんは、心は5歳児のままの福ちゃんをこれから”育てる”と決意する。

そして、カズノコの焼いた手作りクッキーを病室で食べた福ちゃんは“はじめて食べ物を「おいしい」と感じた”のだ。


カズノコの”育てる”発言はまるで非現実的な子どもの戯言のように聞こえるのだが、不可逆な過去に傷つき、成長をやめてしまった心は今からでも育て直し、ゆっくりあたため癒すことができるという作者の希望が込められているように思える。


カズノコと角松くんが自分の子ではない他者を育てると決意した瞬間、私もあの子を育て直すんだ、私を育て直すんだ、世界を育てなおすんだ、世界は自由自在に変えられるんだと、力がミキミキ湧き上がる。

それが目の前の現実を生きるエネルギーになるのだ。


すると心を閉ざしていた私は世界にやさしくなり、暗闇に包まれた世界は私にやさしくなる。

福ちゃんの言葉を借りるなら、大島弓子の“思考がすっ飛ぶがあったかい”ところが好きだ

大学の夏休み、実家に帰った際に、子供時代の積年の恨みを晴らすべく、大島弓子の漫画集をリビングのソファーでごろりと寝転がり一日中読み耽ってやった。


もちろん母が何か茶々を入れてこようものなら、100倍返しで大島弓子の素晴らしさについての講釈を垂れてやろうとささやかな復讐の準備はできていた。

その期待というか予想ははずれ、昔あれだけうるさかった母は漫画にひとことも触れて来ず、わたしの隣で最近癖づいてしまったらしいスマホ首をのそりと垂らしモンスト(スマホゲーム)に熱中していた。

……時代は変わったのだ。


母に「昔なんで……」と言いかけてやめた。やはり過去の幸福追求はむずかしそうだ。

しかし、この世は恨みっこなし。足りないものは自分たちで育てればいいのだから。

Mai

料理・食材愛好家。Youtubeで料理動画投稿チャンネル「1人前食堂」の運営をしている。

著書に『私の心と体が喜ぶ甘やかしごはん』『心も体もすっきり整う! 1人前食堂のからだリセットごはん』など。


Twitter:@ichininmae_1

Instagram:@mai__matsumoto

Youtube:1人前食堂

次回は7/23(金)18時!

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