第6回/『何者かになりたい』と『「何者」かになりたい』を読みました。

文字数 2,902文字

「オモコロ」所属の人気ライター【ダ・ヴィンチ・恐山】としての顔も持つ小説家の品田遊さんに、”最近読んで面白かった本”について語っていただくこの連載。


第6冊目はインターネットで暴走しがちな承認欲求がテーマ? 同時期にほぼ同じタイトルの本が出るという奇妙な現象が起きた、『何者かになりたい』と『「何者」かになりたい』という2冊の本について語っていただきました!

私が「何者かになりたい」という悩みの普遍性を認識したのは2010年代に入ってからだったと思う。就活に翻弄される大学生の自意識を描いた朝井リョウの小説『何者』が刊行されたのが2012年なので、世間的にもおそらくそれくらいだろう。もちろんこの種の悩みは今に始まったことではないが、「何者か」というワードが当てはめられ、共通認識として語られるようになったのはその頃だ。


2021年には、「何者」を扱う書籍がほぼ同時期に2冊発売された。『何者かになりたい』(熊代亨)と『「何者」かになりたい 自分のストーリーを生きる』(三浦崇宏)だ。奇しくも「何者かになりたい」というフレーズが共通している。


熊代亨の『何者かになりたい』は、いわゆる「何者問題」の入門書であり啓発書である。現代人が直面しがちな「何者かになりたい」という欲求の原因を読み解き、いかに「何者かになりたい」という欲求と付き合っていくべきかのガイドを示す。


『「何者」かになりたい 自分のストーリーを生きる』は、広告プランナーである三浦崇宏と合計9人のクリエイターの対談集だ。「何者」は必ずしも中心的テーマではないが、多くの対談において似た話題が登場する。


『何者かになりたい』(熊代亨)によれば、「何者かになりたい」という欲求は「アイデンティティを獲得したい」という欲求とほぼイコールであるという。アイデンティティとは、大まかにいえば「『自分はこういう人間である』という自分自身のイメージを構成する、ひとつ一つの要素のこと」(『何者かになりたい』p.69)である。そのアイデンティティを獲得したいと欲望することこそ「何者問題」なのだという。


熊代氏は、自らが何者かになりたいと思う欲求は自然なものであると認めつつ、なるべく健康的な実現の方法をケース別に解説する。所属や年齢によって性質の異なる「何者問題」が存在していることがよくわかる。


では逆に「何者かである」とはどういうことなのだろうか? それはもう一冊の何者本である『「何者」かになりたい 自分のストーリーを生きる』(三浦崇宏)を読んで体感できた。本書は対談集の形式をとっているが、読んでいて印象に残るのは著者自身の「スタイル」だ。対談の合間には頻繁に三浦氏のTwitterでのつぶやきやインタビューの抜粋が挟まれる。

いきなり最初からいい仕事なんてこないよ。まずは目の前の仕事を好きになること。小さいところからでもいい。そうして結果を出していくうちに、仕事を選べるようになる。そこで、自分らしいスイングでホームランを打てば、最終的には、仕事から選ばれるようになるんだ。焦らず、急げ。謙虚に、欲張れ。


三浦宗宏 Twitterより

(『「何者」かになりたい 自分のストーリーを生きる』)

読者は本書を読みながら「三浦流」の思考を浴びせられる。本人が「あきれるくらい広告屋だなってよく言われる」と自嘲する通り、彼の言葉は常にキャッチーかつ完成されたフレーズの集合である。対談形式をとってはいるものの、対談が始まった時点ですでに三浦氏の思想は完成していて、会話を通じてその思想を象徴するフレーズが適宜引き出されるような形態だ。


分量的にも三浦氏の発言が全体の半分以上を占めており、上記のようなTwitterの引用に加えて三浦氏による対談後の感想録も収録されている。これほど両者の扱いが不均衡なインタビューはなかなか珍しいが、それゆえに表題でもある「何者問題」の実践的な解決を感じることとなった。本書は熊代氏の『何者かになりたい』のように理論的ではないが、より実践的な「何者問題」の解消を示しているように感じられるのだ。


思えば、現代は人々が思考スタイルを誰かに与えられ、それが可視化される時代だ。Twitterを開く。トレンド欄に最新の時事ニュースを象徴するキーワードがある。リンクをたどると、そのキーワードが含まれる「意見」が大量に流れ込んでくる。いまどき「事実」と「意見」を摂取するタイミングはほぼ同時だ。あるニュースに怒りを覚え、批判的な意見をツイートする。しかし、そのツイート内容や、そこに込められた怒りでさえ、どこかの誰かの言葉に触発して出てきたものかもしれない、という感覚が薄くまとわりつく。


「何者かになりたい」というフレーズを聞いて連想するのは、なんらかの社会的地位や財力や承認を獲得するようなイメージだ。しかし、実際に欲求されているのは「自分の"ペース"が欲しい」ということなのではないか。YouTuber、インフルエンサー、作家、アスリート……ときに憧れの的となる「何者か」である彼らは、地位や財や承認だけでなく、その基盤に「自分のペース」とでも呼べるようなものを持っている。少なくともそう見えるし、見えるような演出が施されている。

いわゆる「承認欲求をどんどん充たそう」という方向性では、自分が何者かになったと実感し続けるのは難しい、という認識を私は持っています。


(『何者かになりたい』p.37)

現代で「マイペース」を貫くのは本質的にとても困難だ。周囲にはあなたに影響を与えようという力の流れが無数に存在しているし、その影響から完全に逃れることはできない。だから人々の心の底には「外部に侵食されない『自分』を持ってみたい」という欲求が眠っている。『「何者」かになりたい 自分のストーリーを生きる』を読むと、三浦氏はいかにも「何者か」であるような感じがする。それは本書において彼自身のマイペースが余すところなく演出されているためだろう。そこにまた読者による「何者か」へのあこがれの萌芽がある。


重要なのは、自分が本当はいったい何にあこがれているのかを認識することかもしれない。好きなことで生きていく動画配信者にあこがれたとしても、自分が動画を配信したいと思っているとは限らない。「休みをとって本を丸一日読み続ける」「地図アプリで見つけた知らない池をなんとなく見に行く」……そのような仕方で確立するアイデンティティは存在する。表題の「自分の物語を生きる」とはそういうことだろう。

書き手:品田遊(ダ・ヴィンチ・恐山)

小説家・ライター。株式会社バーグハンバーグバーグ社員。代表作に『名称未設定ファイル』(キノブックス)、『止まりだしたら走らない』(リトルモア)など。

【Twitter】@d_v_osorezan@d_d_osorezan@shinadayu

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