-追悼 西村賢太- 西村賢太さんの文章/町田康

文字数 3,216文字

撮影/森 清

作家・西村賢太氏が2022年2月5日、逝去されました。

謹んでお悔やみを申し上げます。


作家の町田 康氏による追悼文を転載します。(「群像」2022年4月号より)

 平成二十三年頃、ふと手に取って読み始めた西村賢太氏の小説がおもしろくてならず、そのまま最後まで読み、それから暫くの間は中毒のようになり、他に読むべきものがあるのにもかかわらず、そんなものはおっぽらかして、西村賢太氏の小説だけを読み耽り、とうとう家にあるものは全部読んでしまい、新しい本が出るのを心待ちにするようになった。


 そのとき西村氏は既に、「苦役列車」で芥川賞を受け、人気作家になっていたから、私のような読者が多くいたということだろう。


 といってそれまで読んでいなかったわけではなく、デビュー作の『どうで死ぬ身の一踊り』が出たときから、その他にない書きように注目していた。ただそこには、それはどんな作品についてもそうだけれども、どうしても同業としての意識が働いて、分析的に読んでしまう部分がどうしてもあり、特に西村氏の作品については、当時自分が選考委員を務めていた文学賞の候補作として読んだことなどもあって、ただの読者としてこれを楽しむということはなかなかできなかった。


 だけどこの時はそうではなくて、なにも考えず、というのは妙な話だが、まるで音楽を聴くように読書を楽しむことができたのは不思議なことだった。


 そしてそれは西村氏の小説に限って起こる現象で、他の作者・作品ではそういうことはけっして起こらない。


 なぜ西村氏の作品に限ってそういうことが起こるのだろうか、というとそれこそが西村氏の小説の魔力であり、魅力であるように思う。


 どういうことかというと、人間には、誰にも見栄・虚栄心というものがあるが、それがどんな分野に現れるか・発揮されるか、というのは人により異なる。服飾に見栄を張る人もいれば、住居で見栄を張る人もある。贈答品において見栄を張る人もある。これらはそれによって快楽を貪るということではなく、別の言い方をすれば、見栄を張るということはそのことについて内心のこわばり・劣等感のようなものがあるということなのかもしれないが、それはよいとして、兎に角、見栄を張る点は人によってそれぞれ違う。


 ただ、どんな人も一様に見栄を張る、なるべく自分をよく見せよう、とすることがひとつだけある。それは文章を書くときである。文章を書くとき人は、どんなに開け広げな人であっても、文体において凝り、気取り、内容において善人・賢人であろうとすることから免れない。


 それは文章を書く技術に優れている詩人や小説家もそうで、というか、普通の人の何倍も何十倍も文章で見栄を張りたい質の人が、その技術を磨きまくった挙げ句、ムチャクチャに文章が巧くなった、みたいなところがある。


 その頂点にあるものは素晴らしく、自分などはとても真似ができないものなのだけれども、根底にそうしたものがあるから、やはり臭みというか、演出のようなもの、を感じてしまうということもこれはある。


 ところが西村氏の文章の全体からはそうした、自分をよく見せようという気配がまったく感じられず、そのとき眼前にあったものとそれを見て自分の頭の中に起きた考えが、そのまま正確に表されていて、他にない迫力と興趣を感じ、その文章の世界に酔い痴れるのだった。


 ではなぜ西村氏だけがそれを免れていたのか。西村氏は一切の見栄を張らぬ性質の人だったのか、というとそんなことはなかった。西村氏とて、そもそも人間が有する虚栄心から免れているわけではなく、彼にも人と同じく自我があり、それに由来する虚栄心はあったと思う。


 ではどういうことなのかというと、余のことについては人並みに見栄を張りたい西村氏は、不思議なことにどんな人も、それをしようとするといい格好をしたくなる、文章を書く場合においてのみ、一切の虚栄心から免れていた、ということであろう。


 といって、いや、或る種の気取り無しにあのように完成されたスタイルの文章は書けないでしょう、と思わないではないが、やはりそれは違うように思う。


 というのは西村氏があの文章を書くとき、体裁を整えようとはしておらず、書く快楽、を感じていたのではないかと思うからで、それは西村氏ひとりが、人が文章を書くとき免れない気取りから免れていた理由でもあるように思える。


 西村氏の文章は滑らかであった。そしてその滑らかな文章のなかに今、殆ど使われなくなった語彙が効果的に使われていた。また、まるで油断したような表現も意識的に使ってあった。どの表現も自信に満ち、迷いやためらいがまるで感じられなかった。その内容は告白的でありながら、多くが断言され、これにも迷いや恥の意識から来る暗さや湿り気がまったくなかった。


 それを支えていたのは自分の文章に対する信頼と私小説家として事実を超えた真実を描いているという信仰のような力だったのだろう。どれほど遜っても傷つかぬ強靱な文章を西村賢太は持っていた。


 その結果、西村氏は私などが、どうあがいても絶対に到達できないところに、最初から至っていた。そしてそこに居るのは現今、西村氏ただひとりであった。誰もが胸に持つこと、だけども誰も描けないことを西村氏は描いていた。仰ぎ見る存在であったが、西村賢太という作家が此の世にいて書いているということが私の心の支えだった。死の直前まで書き続けた西村賢太氏の冥福を祈る。

西村賢太(にしむら・けんた)

1967(昭和42)年7月12日、東京都江戸川区生まれ。中卒。新潮文庫、及び角川文庫版『根津権現裏』『藤澤清造短篇集』、角川文庫版『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら他』、講談社文芸文庫版『狼の吐息/愛憎一念 藤澤清造 負の小説集』を編集、校訂、解題。著書に『どうで死ぬ身の一踊り』『暗渠の宿』『二度はゆけぬ町の地図』『瘡瘢旅行』『小銭をかぞえる』『随筆集 一私小説書きの弁』『人もいない春』『苦役列車』『寒灯・腐泥の果実』『西村賢太対話集』『一私小説書きの日乗』(既刊6冊)『棺に跨がる』『形影相弔・歪んだ忌日』『けがれなき酒のへど 西村賢太自選短篇集』『薄明鬼語 西村賢太対談集』『随筆集 一私小説書きの独語』『疒(やまいだれ)の歌』『下手に居丈高』『無銭横町』『夢魔去りぬ』『藤澤淸造追影』『風来鬼語 西村賢太対談集3』『蠕動で渉れ、汚泥の川を』『芝公園六角堂跡』『夜更けの川に落葉は流れて』『羅針盤は壊れても』などがある。2022年2月逝去。

町田 康(まちだ・こう)

1962年大阪府生まれ。1997年『くっすん大黒』で野間文芸新人賞、ドゥマゴ文学賞、2000年「きれぎれ」で芥川賞、2001年『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞、2002年「権現の踊り子」で川端康成文学賞、2005年『告白』で谷崎潤一郎賞、2008年『宿屋めぐり』で野間文芸賞を受賞。他の著書に『猫にかまけて』シリーズ、『スピンク日記』シリーズ、『パンク侍、斬られて候』『人間小唄』『リフォームの爆発』『ギケイキ』『珍妙な峠』『関東戎夷焼煮袋』など多数。
5月13日発売

父親の性犯罪によって瓦解した家族。その出所が迫り復讐を恐れる母。消息不明の姉。17歳・無職の貫多は……。傑作「私小説」4篇。


性犯罪による父親の逮捕を機に瓦解した家族。出所後の復讐に怯える母親。家出し、消息不明の姉。罪なき罰を背負わされた北町貫多は17歳、無職。犯罪加害者家族が一度解体し、瓦礫の中から再出発を始めていたとき、入所から7年の歳月を経てその罪の張本人である父親が刑期を終えようとしていた。──表題作と“不”連作の私小説「病院裏に埋める」、〈芝公園六角堂跡シリーズ〉の一篇「四冊目の『根津権現裏』」、“変化球的私小説”である「崩折れるにはまだ早い」の全四篇を収録。


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