大人のショート・ショート⑧「蚊」/井口貴史

文字数 1,358文字

あっという間に読めてあっと驚く結末。

5分で読める大人のためのショート・ショート。

ちょっぴりダークで不思議な世界をのぞいてみませんか。


「あー、なんだよ。もう…」


右の人差し指の先がとてつもなく痒い。それに首元や右手首も痒い。

痒い箇所を乱暴にボリボリと掻いていると、両足首もなんだか痒い気がする。

熟睡していたはずだったのに…

私の睡眠は不快な痒みで無残にも妨害されたのだ。


「ちくしょう…ったく…」


とにかく体のあちこちが痒い。

この痒さは蚊に刺されたに違いない。

無性に怒りがこみ上げてくる。

蚊がいる。間違いなく蚊がいる。

やられた。

人の睡眠を邪魔しやがって。ただでさえ、睡眠不足なのに。

仕留めてやる。

電気を付けると本格的に睡魔がどこかに行ってしまうので、私は静かに暗闇の中で耳を澄ませる。両手を肩幅まで開き、物音を立てずにただ待つのだ。

獲物を狙うハンター。まさにそんな心境だ。六畳一間、響く羽音に全神経を集中させる。


ぷーん


容易に蚊が近づいてくるのが分かる。

お前を仕留める体勢は完璧に整っている。


ぷーん


こういう時は焦らずにジックリと待つのだ…。


ぷーん


いよいよ射程距離に蚊が入ったにが分かる…。


ぷーん


…ぷ


「そこだ!」


パンッ!


蚊の羽音がする空間。

そこを瞬時に両手でパチンと潰した。


暗闇の部屋の中、手の中で何かが弾けるような音が響く。

獲物を捕らえた!手ごたえがあった。

と、思った瞬間、私はぞっとした。

手の中が生暖かく、感触的に大福くらいの大きさと弾力があったからだ。

そのまま私は暗闇の中、手を宙に突き出したまま固まった。

私は一体何を両手で潰してしまったのだろう?

その物体は両手の中で息を絶やそうとしているのか、ドクン、ドクン、と脈打っている。


「私は何を潰してしまったのだろう…」


恐怖で体中、ベッタリと汗をかいているのが分かる。


ぷーん


ぷーん


蚊が飛んできた。


ぷーん


ぷん…


どうやら蚊は、私が突き出したままの腕に止まったようだ。

そして蚊はなんの躊躇もなく私の血を吸い始めた。

動かない私は格好の標的である。

しかし、そんなことはもうどうでも良い。

今、私が両手で潰しているこの物体は一体なんなんだ!


暗闇の中、引き続き私は固まったままだ。

これからどうしていいのかが分からない。

両手のひらを合わせているので、お祈りするような形で状況の改善も願うものの…。

閉じられた両手の隙間から、何かが「ぎょえ、ぎょえ、」と苦しそうに鳴いている。


井口貴史(いぐち・たかし)

兵庫県淡路島出身。東京都在住。
2018年より『5分後に意外な結末』シリーズ(株式会社 Gakken)や『意味がわかると鳥肌が立つ話』シリーズ(株式会社 Gakken)に参加。近著として2023年7月発売『5分後に意外な結末ex インディゴを乗せた旅の果て』(株式会社 Gakken)にて『見てる』と『ちっぽけ』を収載。主にショートショート作品を創作。
最新刊!

『5分後に意外な結末 ベスト・セレクション 金の巻』


胸熱の友情や家族愛、キュンとする恋バナ、身の毛がよだつサイコホラー。
たった5分で読めて、あっと驚く結末の20話のショート・ショートと、
ページをめくると驚きの結末が待ち受ける、全編イラストつき「5秒後に意外な結末」19話を収録。
どこから読んでも、いつ読んでも楽しめる超人気シリーズの傑作集!

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