自分で売った本を自分で買い戻した場合

文字数 1,649文字

「我が子が成人したときのような気持ち」ではやや物足りなく、「我が子が地元の有名企業に就職したような喜び」あたりで、まあそれなりに得心(とくしん)していたわけですが、そもそもどっちも未体験のため、やはりわからない、という結論に至り、無理に何かに(たと)えることをやめ、ただしみじみと「文庫化」という福音(ふくいん)堪能(たんのう)しております。

『ずっと喪』の単行本は現在、版元が事実上解散してしまい品切れの状態が続いていました。そしてネットでは「中古」が定価の4倍近くの値で販売されていたのです。全く弱ったものです。しかしながら、実はこのプレミア化の原因は私にあったのではないか、そんな気がしてならないのです。また、さっきから文体が「獄中記」過ぎる気がしてならないのです。

『ずっと喪』の単行本が発売されたとき、必死でした。私は版元から数十冊を自腹で買取り、それを人様に「手売り」するという手段を採りました。往来を行き交う人に声をかけ、ジップロックにしまった拙著を売り歩いたのです。これは、何でしょうか。多分、日本唯一の、(ちょく)(バイ)ヤーでした。さて、東京の人混みのなかには物好きな人(厳密にはとても酔っ払っている人)もいて、幸い、手元の在庫は徐々に減っていきました。

 そのかわり、目に見えて増えてきたのが「中古」です。きっと私から購入した方が帰宅後、風呂に入り、我に返って売ってしまわれたのでしょう。以後、ネットに多数の「中古」が出現することになります。風呂になんか入らなければいいのに。さて、慌てた私は正価流通を保とうという思いに駆られ、画面に並ぶ中古たちを、次から次へと注文していきました。数日後、自宅にはあのとき「手売り」した拙著が「ただいまあ!」「ただいまあ!」と(はな)を垂らして続々と帰ってきました。

 こうして買い戻した「中古」たちは今も、人様に売られた身であることなどつゆ知らず、我が家の棚で呑気(のんき)にひしめきあっています。たまに自宅に遊びに来た友人が持っていきます。中古になってないか心配です。

 そして、始まったのが例のプレミア化です。版元解散で新刊の在庫が無くなり、中古のみが流通するフェーズへ突入しました。中古を買い漁れば、供給に対し需要が上回り、値が上がっていくのです。二千円、三千円、四千円……こうなると自分の本を買うだけの余裕もなくなります。上がっていく値段を眺めながら「中学のとき、『公民』の、需要曲線のとこで、習った通りだなあ」というアホな感慨に(ふけ)ったのです。

 振り返ってみると値段高騰の一因は私がせっせと「中古購入(ただいまあ!)」を繰り返したことによるところも少なくないでしょう。高値で購入された方には懺悔(ざんげ)したい、そんな気持ちもまたふつふつと湧いてきます。どうやら、この文のテンションが「獄中記」過ぎた原因はここにあったようです。

 ようやく文庫化で、『ずっと喪』は正価を取り戻します。全く嬉しい限りです。なんだか正価を取り戻したことだけが嬉しいみたいになりました。そもそも文庫化自体、掛け値無しに飛び上がるほどの朗報です。だからこそ文庫は末長く皆様のお手元に置いていただけるよう、それはもう地元の有名企業に就職したつもりで、立派に頑張って欲しい、そう願っています。



洛田二十日(らくだ・はつか)

新潟県新潟市出身。早稲田大学文化構想学部卒業。大学卒業後は放送作家事務所に所属し、テレビ、ラジオ番組の構成作家として活動。第2回ショートショート大賞にて応募作「桂子ちゃん」が大賞を受賞。2018年ショートショート作品集『ずっと喪』でデビュー。以降も短編を中心に作品を発表中。

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