酒井順子・「裏」を見つめる目 「水上勉」

文字数 1,527文字





 水上勉作品は『飢餓海峡』くらいしか読んだことがなかった私が、「あっ」と思ったのは、今から十余年前。京都に滞在中、『五番町夕霧楼』を読んでみた時、「この小説って、あの小説と題材が同じだったのか」と、仰天したのです。

「あの小説」とは、三島由紀夫の『金閣寺』。『五番町夕霧楼』もまた、昭和二十五年に起きた金閣寺放火事件を描いた作品であることに、私はその時、遅まきながら気づいたのです。仰天ついでに調べてみると、水上は『金閣炎上』という、金閣寺放火事件に関するルポルタージュ的作品も書いていました。

 なぜ水上は、金閣寺放火事件に対して、強い興味を示したのか。この疑問が、私にとって水上世界へと通じる扉となります。

 放火事件を起こしたのは、金閣寺で修行をしていた、林養賢という青年僧侶でした。彼は今で言う京都府舞鶴市の、小さな半島にある寒村の寺に生まれています。息子の将来を案じた父親が、林が中学生の時、金閣寺の徒弟として預けたのです。

 一方、水上は、林の故郷と同じく若狭湾に面した、福井の貧しい家の次男として生まれました。十歳の時には、口減らしのために家を出て、京都の寺の徒弟となります。その時のつらい体験談をベースにした作品が、直木賞の受賞作である「雁の寺」。

 水上は、林を自らと重ねて考えずにはいられなかったのでしょう。水上は一人の人間の苦悶を林の上に見ていたのに対して、三島『金閣寺』を読めば、「溝口」と名をつけられた放火犯は、三島の美学を表現するための駒として、動かされている。

 そんな三島に対する違和感の表明が、『五番町夕霧楼』であり、『金閣炎上』でした。当時「裏日本」と言われた日本海側に生まれ、苦労の末に作家となった、水上。東京のお坊ちゃまとして生まれ育ち、学習院、東大、大蔵省から作家へと日の当たる表の道を歩み続けている三島とは全く異なる事件への視線が、そこにはあります。

 今となっては使用されない言葉となった「裏日本」ですが、水上は、自身の裏日本性に対して自覚的な人でした。古来、京都という都に対して、物質的にも人的にも仕えてきた、丹後や若狭といった日本海側の国々。みやこが東京に移っても、その構造は変わりませんでした。
 水上作品には、裏日本の出身者や、舞台としての裏日本がしばしば登場します。「裏」の物語は、日本が必死で明るさと豊かさを求めていた高度経済成長期における、人々の「本当にこれでよいのか」という一抹の不安感を刺激し、水上作品は大いに売れたのです。

 水上は、自らの裏日本性を隠すわけでも恥じるわけでもなく、また小難しく考えることもせず、意識的に「活用」していました。以前、瀬戸内寂聴先生に水上についての話をうかがった時は、
「なんかあの人は、芝居がかっている所があったわね。額に垂れた前髪をこう、かきあげたりしてね」
 といったことをおっしゃっていました。日の当たる表の世界を恨むのではなく、自身の中の「裏」要素が魅力になることを自覚し、アピールすることによって、モテたり書いたりしていたそうなのです。

 今の若者は、「裏日本」という言葉を知りません。北陸へ新幹線も走り、日本は均質化し続けています。

 そんな時代に、水上が描いた「裏」の世界は、私達に陰影や湿り気が持つ深さを、気づかせてくれるのでした。影などというものは存在してはいけないかのようなフラットな世界に日本がなりつつあるからこそ、影に目を凝らす作家の力は再び、意味を持つような気がするのです。

「小説現代特別編集二〇一九年五月号」より

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