著者待望の新シリーズ、『水無月家の許嫁』第1巻を先行試し読み!

文字数 4,238文字

「かくりよの宿飯」「浅草鬼嫁日記」「鳥居の向こうは、知らない世界でした」シリーズで人気の友麻碧(ゆうま・みどり)、2年ぶりの新シリーズ「水無月家の許嫁」が始動!


待望の第1巻『水無月家の許嫁 十六歳の誕生日、本家の当主が迎えに来ました。』は3月15日(火)に発売されます。


すでにSNSで話題沸騰中の本作、「待ちきれない」というお声もあり、特別に第一章を丸ごと無料公開いたします!


孤独な少女と敵多き本家当主。二人の恋物語の始まりをお楽しみください。

第一話 六月六日


六月六日。天気予報は曇りのち雨。

前に、お父さんが教えてくれた。

六月のことを、陰暦で水無月っていうらしい。


「ところで水無月さんって、何の病気だったのかしら」

「それが凄く変わった病気だったらしいのよ。ここだけの話……皮膚に光る石が生えて、体がミイラみたいに干からびてたって。だからお通夜もお葬式も、誰も呼べなかったって」

「ええ? 何それ、そんな病気聞いたこともない」

「娘さんの六花ちゃん、これからどうするのかしら。ほらあそこ、父子家庭だったし」

「こういう時って母方が引き取るのかしらね」

「それはないわよ。だってあそこの母親、六花ちゃんを虐待してたんですって。それで離婚したって噂よ」

「まあそうなの? 酷い話ねえ……」

 喪服姿のご近所の人たちや、父の職場の人たちが、折り詰めを持ってセレモニーホールの外に出て行きながらヒソヒソと話をしていた。

 同情しているようで、人ごとのような会話。

 私の耳は、そんな声をも聞き取ってしまう……


 四月の中旬に、父が奇妙な病で亡くなった。

 お通夜やお葬式は、人を呼んでまともにできる状態じゃなかったから、今日の四十九日法要に父の知り合いを呼んで、簡潔に執り行った形だ。

「六花ちゃん、あたしちょっと家族に電話して来るから、ここで少し休憩してて」

「……はい」

 法要の後、何かとお世話になっているアパートの大家さんの計らいで、エントランスの椅子で少し休憩をしていた。どうやら迎えのタクシーが遅れているみたいだ。

 疲れていたし、一人でぼんやりとしたかったので、ちょうどよかった。

「……お父さんのお骨、どうしよう」

 私は今日ずっと、そのことばかりを考えていた。膝の上には、骨箱に収められた骨壺がある。

 四十九日を迎えても納骨ができない。それを納めるお墓がない。

 父は親戚との関係を完全に絶っていたから、私は父の実家や、故郷の場所すら知らない。

 いっそ、ずっと手元に置いてちゃダメなのかな……

「…………」

 ふと、セレモニーホールの庭園に咲く紫陽花の花が気になった。

 雲行きが怪しかったが、私は少しだけその花を見るつもりで、骨箱を抱えたままエントランスから外に出る。

 新緑の中、大きな青と紫の紫陽花の花が点々としている。

 実は今日、六月六日は、私の十六歳の誕生日だ。

 この日にわざわざ父の四十九日法要を行ったのは、この日しか会場が空いてなかったのもあるけれど、私はこの日を、ただただ、忘れていたかったからかもしれない。

「あ……」

 パラパラと、小雨が降り始めた。それが徐々に強くなってきて、自分も、お父さんの骨箱も濡れてしまうというのに、体が竦んで動けずにいた。

 取り留めのない、未来への不安。

 父が亡くなった直後は、なぜだか実感がさほど湧かなくて、だけど悲しいと言えば悲しくて。やることもたくさんあったし、色々と、深く考えないようにしていた。

 だけど、じわじわと。そして、ガクンと。

 深い穴に沈むような喪失感と孤独感は、ひと月が経った頃からやって来た。

 今日、忌明けの法要が終わったことで、私は自分自身の、現実的な未来のことをも考えなければならなくなった。

 これから、どうしよう。私はどこへ行くのだろう。

 帰りたい。

 無性に、どこかへ帰りたい。

 でも、どこへ?

 今日もこの後は、父のお骨を抱えて、ひとりぼっちの家に帰るだけ。

 その家すら、もうすぐ出ていくことになっている。

 すでに荷造りはほとんど終えているし、私は多分、少し遠い場所にある施設に行くことになるだろう。私には、こういう時に頼れる親戚が一人もいないから。

 お父さん以外に私の家族はいなかった。私を愛してくれる人は、いなかった。

 ……いや。

 そもそもお父さんは、私を、愛していたのだろうか?

 お父さんの最期の言葉は、何だったっけ。

「……っ」

 突然、ズキンと左手の甲が疼いた。私は顔をしかめて、その手を確かめる。

 左手の甲に、世にも美しい、青緑色の石がポツポツと生えている。

 これは、父を死に至らしめた病と同じ症状だ。

「……昨日より、大きくなってる」

 私は淡々とつぶやいた。

 父と同じ病にかかっていることを、まだ誰にも言ってない。

 言ったところで、どうなるものでもない。

 これが増えて、大きくなって、体の血と水と栄養を吸い取って育つ。

 そうして体が動かなくなって、干からびて死ぬ。私、知ってる。

 ずっと、この病に苦しむお父さんを見てきたのだから。

「私も……もうすぐ死ぬのかな」

 なら、未来のことを不安に思う必要なんて、ないのにね。


「死ぬくらいなら、うちに来ませんか」


 ────え?

 この耳に、凜と響いて残る、印象的な声がした。

 驚いて振り返ると、雨に濡れた私の方へと傘を傾ける、喪服姿の青年がそこに立っていた。

 喪服の黒とは対照的な、色素の薄い端正な面立ち。

 涼しげな目元の、右目の下にポツンとある泣きぼくろが印象的だ。

 憂いを帯びた美しさが、むしろ私を強張らせた。

 誰だろう。浮世離れしていて、まるで、人ではないみたいだ。

「初めまして、水無月六花さん。僕は水無月家五十五代目当主、水無月文也と申します」

 青年は落ち着いた佇まいで頭を下げた。彼の背後に控えていた大人の男性も、同じように頭を下げる。

 この人たちにまるで覚えはなかったが、目の前にいる青年の、銀糸を彷彿とさせる細い髪が、どこか父を思い出させて、私の胸を一層ざわつかせていた。

 それに何だか、不思議と心地よい、落ち着いた澄んだ声をしている。

「水無月……?」

「あなたとは曾祖父が同じ、はとこに当たる者です」

 はとこ。要するに、少し遠い親戚ということだろうか。

 私は自分の親戚というものに、生まれて初めて出会った。

「六花さん。行くところがないのでしたら、水無月の本家に来ませんか?」

 予期せぬ言葉だったうえに、私は頭が真っ白になっていて、すぐに言葉が出なかった。

 そして露骨に視線を逸らす。骨箱を抱きしめ、恐ろしいものを前にしているかのように、僅かに後ずさる。

「あ……っ、あなたたちは、人、ですか?」

 妙な質問をしてしまったと思った。だが、

「ええ。妖怪やあやかしの類ではありません。あなたや六蔵さんと同じ、見えている者ではありますが」

 青年の返事に、私はジワリと目を見開く。

 彼は、目ざとく私の手の異変に気がついた。

「……その手の石ですが」

「あっ」

 慌てて左手を背に回し、隠そうとした。

 しかし青年は、強い口調で「見せてください」と言う。

 どうしてか、その言葉に逆らえない気がして、私は素直に左手を差し出していた。

 彼は躊躇いもなく私の左手に触れて、自分の方へと引き寄せる。

「いつからですか?」

「え……」

「いつから、この青緑色の石が?」

 いつ、だったっけ。確か最初に気がついたのは……

「お、お父さんが死んだ……翌日の朝に……」

 私は青年に手を取られたまま、目を泳がせ、おどおどと答える。

 最初はキラキラした砂粒のようで、気のせいかとも思っていた。だけどそれは徐々に大きくなり、今は米粒ほどの大きさだ。

 目の前の青年は、目を凝らしてじっと見ている。

 そして、背後にいた大人の男性と少しばかり視線を交わすと、私に告げた。

「実のところ、これは〝月帰病〟と言って、我々水無月の一族にしか発症しない病なのです。普通の病院で治すことはできません。ですが、六花さんの状態は、まだ初期段階と言えるので、水無月の治療で完治が可能です」

「……え?」

 キョトンとしてしまった。

 だって、未知の病と聞いていた。どんな医者もお手上げだった。

 それなのに、この青年はいったい何を言っているのだろう。

 水無月の一族にしか発症しない病?

 水無月の治療で、完治可能……?

「わ、私、別に長生きしたいと思っていません。私が死んだって、もう、困る人は誰もいませんから……っ」

 首を振って、また手を引っ込めて、縋るように父の骨箱を抱きかかえたまま青年に背を向けた。まるで触れられたカタツムリが、ヒュッと触覚を引っ込め、すぐさま自分の殻に閉じこもるように。

 治さなくていい。死んだっていい。

 この先、たった一人で、どうやって生きていけばいいのかわからないのに。

「あなたに死なれたら、僕が困ります」

 だが、魔が差し続ける私の思考を遮るように、青年がよく通る声で私に語りかける。


「水無月六花さん。ご存じないでしょうが、僕とあなたは〝許嫁〟の関係にあるのです」

…………え?

 何かを聞き間違ったのだと思い、流石に振り返る。

 しかし目の前の青年の眼差しは力強く、噓を言っているとは思えないほど、真摯に私を見つめている。

 許嫁。許嫁って……

 それは、確か、結婚を約束した相手のことだ。

 何もかも訳がわからないが、それは、生きることに意味を見出せずにいた私を、強引にでも〝生〟に引き止めるような言葉だった。

「だーっ、もうあかん! ボンのダイレクトアタックや。その話は色々と落ち着いてからって言うたでしょ! この調子じゃ恋の駆け引きも期待できそうにないわ~っ」

「やかましいぞ皐太郎。場を弁えろ」

 後ろにいた大人の男性が、嘆きながら頭を抱えていたのを、青年が単調な口調のまま叱る。

 私はというと、地蔵のごとく固まって瞬きすらできずにいた。

 その間にも世界は移ろい、雨は上がって、雲間から光がさす。

 その柔らかな光を受けて、雨粒を纏った紫陽花も、キラキラと輝いていて……

「あ」「あ」

 私はこの二人の前で、父の骨壺をひしと抱きしめたまま、パタンと倒れてしまった。

 全てのことがいっぱいいっぱいで、限界だった。

 頭がぼんやりとして、体が熱い。気が遠くなっていく。

 六花さん、六花さんと、私の名前を呼ぶ誰かの声も遠ざかる。

 だけど、わかっているわ。

 何一つ期待してはいけない。この時代に許嫁だなんて……

 私がいよいよ壊れたか、おかしくなってしまったのだろう。

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