山本一力・物書きの杖 「藤沢周平」

文字数 1,568文字




 古希を過ぎて、はや一年。足跡を振り返っていまさらながら知るは、長い時間を読書に費やしてきたことだ。

 単行本や文庫本が手の届くところにあり始めたのは、十八で社会人になってからだ。

 今日までに読みあさった小説は、かなりの数だ。が、ジャンルは意外に狭い。

 中三で郷里の同級生から教わった「ヒッチコックマガジン」が読書の端緒。長らく翻訳ミステリーを手当たり次第に読みまくった。

 そんな読書が続いたがゆえ、藤沢周平さんを読むことは一九八八年までなかった。

 その年の梅雨どきに、親友Qから仕事場に電話がかかってきた。

「藤沢周平の【蝉しぐれ】を、もう読んだか?」

 相手の声が昂ぶっていた。

 映画・落語・読書の好みが、Qとはピタリと合っていた。互いに藤沢さんの作品は、一冊も読んではいなかった。

「読んでない……読むわけがないだろう」

 わたしの返事に得心したうえで、Qは強くこの一冊を読めと薦めた。

「そこまで言うなら、帰りに書店に寄る」

 答えたものの、そのときはJ・アーチャーの文庫を読み始めたばかり。数寄屋橋の書店に出向いたのは二日後だった。

 平積みの一冊を手に取ったものの、C・カッスラーの文庫に目が泳ぎ、それも購入。ダーク・ピットを先に読み始めてしまった。

「もう読んだか?」

 電話のQの声は焦れていた。読了するなり、互いに評価しあうのが常なのに、一向にわたしの電話がなかったからだ。

「今日から、かならず読み始める」

 約束したものの、まだダーク・ピットの読後興奮が残っていた。

 あまり気乗りしないまま読み始めた。

「……組屋敷の裏を小川が流れていて、組の者がこの幅六尺に足りない流れを至極重宝にして使っている……」

 読み始めるなり、藤沢さんの筆に搦め捕られた。

「浅い流れは、たえず低い水音をたてながら休みなく流れるので、水は澄んで……」

 書き出しから幾らも読み進まぬところで、本を閉じた。目も閉じた。

 脳裏にくっきりと浮かんだ情景は、海坂藩ではなかった。わが郷里、高知城下町の築地塀と、武家屋敷前を流れる水路だった。

 昭和二十年代後半の高知城下には、まだ多数の武家屋敷が水路の前に連なっていた。生活排水を流していても、水は清んでいた。

 金魚の餌になる【あかこ】が、水路の小石にへばりついている。週に二度、水路に入ってあかこを取った、小四(一九五八年)の初夏。

『蝉しぐれ』を読み始めたことで、三十年も昔の光景を鮮明に、音までついて思い出した。

 読書とは、高度な脳アクションあっての悦楽である。読者は文字で表記されたことを、脳内で映像変換しながら読み進む。

 変換される映像は個人ごとに異なる。

 長屋組屋敷の光景も、文四郎やおふくの容貌も、読者個人個人のものである。

 藤沢さんの筆の妙味で、わたしはのっけから『蝉しぐれ』の中に身を浸した。

 藤沢さんの筆は静謐であると感ずる方も多かろう。わたしは熱々だと思っている。

 読了当時、販促企画営業に従事していた。「聞く小説」化したくて、藤沢さんのご自宅に電話した。

 電話には、ご当人がお出になられた。

「蝉しぐれをぜひ、音源化させてください」

 一面識もないのに、ひたすらお願いした。

「目の不自由な方への制作に限っています」

 静かながらも、ゆるぎのない拒絶だった。

「文字で読んでもらうために、推敲を重ねて書いています」

 企画は実現しなかったが、わたしは深い感銘を受けた。あの折、藤沢さんが言われた言葉は、いまも物書きの杖である。

「小説現代特別編集二〇一九年五月号」より

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