〈5月19日〉 早坂吝

文字数 1,379文字

 爽やかな朝の日差し。小鳥のさえずり。薄暗い部屋に少女の声が響き渡る。
(かね)! 金! 金!」
 バン!
 布団から伸びた枯れ木のような細腕が赤毛の編みぐるみを叩くと、声は止まった。
 それから一時間おきに人形は叫び続ける。
「金! 金! 金!」
 バン!
 その都度、腕が彼女を黙らせるのだ。
 日が昇って沈み、室内が白から赤に変わる頃、少女は最後の一声を振り絞る。
「金! 金! 金!」
「うーん」
 細腕の主が布団から這いずり出てくる。
 早坂(やぶさか)、覚醒。
 彼は時計を見て驚きの声を上げた。
「何で起こしてくれなかったの!?
「何度も起こした。何度も何度もな」
 枕元に置かれた赤毛の編みぐるみが答える。早坂吝のシリーズ探偵、(かみ)()らいちの魂が封印されている編みぐるみだ。
「でも実際に起きてないじゃん! 起きたという結果が伴わない限り、君のした行為は『起こそうとした』という自己満足でしかない」
「永眠させたろか」
「ああ、時間がない時間がない」
「おや、ニートらしくない台詞」
「講談社の企画で5月19日に関するエッセイを書くことになってな。だから今日何らかの有意義な体験をしておかないといけなかったのに」
「そんなのニュースについて一言物申しとけばいいじゃない。ほら新聞」
「うーん、緊急事態宣言が段階的に解除されていくのは喜ばしいことだけど、例のアレはここで書くようなことでもない……」
「じゃあ5月19日が何の記念日かとか、過去にどんな事件があったかとかで蘊蓄(うんちく)書くパターンで。ほらWikipedia」
「おお、その手があったか!」
「5月19日はボクシングの日らしい」
 シュッシュッと交互にジャブを繰り出すらいち人形。
「ボクシングで書くことないしなあ。かといって他にも特に……」
「ボクシングの日」シュッシュッ
「それはもう分かったから! あー、どうしよ、日付が変わっちゃう!! 5月20日になっちゃううううう!!!」
「アホがあああああ!!!!」
 らいち人形の左ストレートが早坂の顔面を撃ち抜いた。
「お前は重大な勘違いをしている……」
「!?」
「大切なのは5月19日に『他人が何をしたか』ではない。『自分が何を成し遂げたか』だ。そうだろう?」
 霧が晴れた感覚。
「ありがとう、ようやく気付いたよ。俺にできることは小説を書くことだけだって」
 そう言ってパソコンに向かう早坂の後ろ姿を、らいち人形は変わらぬ笑顔で見送るのでした。
「ようやく『目が覚めた』ようだな……」
 今日あなたは悔いのない一日を送れていますか?


早坂吝(はやさか・やぶさか)
1988年、大阪府生まれ。京都大学文学部卒業。京都大学推理小説研究会出身。2014年に『○○○○○○○○殺人事件』でメフィスト賞を受賞しデビュー。同作で「ミステリが読みたい!」新人賞を受賞。「上木らいちシリーズ」の『虹の歯ブラシ 上木らいち発散』『誰も僕を裁けない』『双蛇密室』『メーラーデーモンの戦慄』の他、近著に『殺人犯 対 殺人鬼』『犯人IA(イア)のインテリジェンス・アンプリファー 探偵AI 2』などがある。

【近著】

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