『地図 初期作品集』太宰治/太宰治の執念(岩倉文也)

文字数 2,612文字

次に読む本を教えてくれる書評連載『読書標識』。

月曜更新担当は作家の岩倉文也さんです。

今回は太宰治の『地図 初期作品集』をご紹介していただきました!

書き手:岩倉文也

詩人。1998年福島生まれ。2017年、毎日歌壇賞の最優秀作品に選出。2018年「ユリイカの新人」受賞。また、同年『詩と思想』読者投稿欄最優秀作品にも選出される。代表作に『傾いた夜空の下で』(青土社)、『あの夏ぼくは天使を見た』(KADOKAWA)等。

Twitter:@fumiya_iwakura

太宰治について何かを語ろうとすると途端に困惑を覚える。ぼくが生まれて初めて読んだ文学書は太宰治の『人間失格』だったし、高校に行かなくなった日に学校をサボって公園で読んでいた本は太宰治の『お伽草子』だった。もう好きであるとか嫌いであるとかを超越して、ぼくの中で太宰治はほとんど〝語り得ぬ何か〟にまでなっている。ぼくに文学的素養というものがもしあるとすれば、その大半は太宰治によって培われたものだ。ぼくが外国文学を読むようになったのも太宰治の影響だし、日本の古典を読むようになったのも古典好きの太宰治の影響だった。


ぼくは新潮文庫から出ている太宰治作品は全部読み、書簡集も読み、伝記も読み、文庫未収録のエッセイは全集を買ってまで読んだが、この『地図』だけはずっと読めずにいた。本書は太宰治の初期作品、すなわち太宰治を名乗る以前、主に本名の津島修治名義で書かれた中高生の頃の作品を集成したものだ。そうした初期作品に加え、太宰治名義で発表されながらも文庫未収録だった作品や、最近になって太宰治作だと認定された「断崖の錯覚」など、本書には計二十八篇の作品が収録されている。


ではなぜぼくが本書だけを読まずにいたのかと言えば、自分の才能のなさが露呈するのが怖かったからである。


ところでぼくは、文庫の巻末にたまに置かれている著者の年譜を読むのが好きだ。殊に、その著者が自分と同じ年齢のとき何をしていたか見るのが好きである。するとどうだろう、大抵の作家は十五六の頃から文学を志し執筆をはじめ、二十代前半には優れた作品をものにし作品集などを刊行していることが多い。ぼくは十七くらいの時から今にいたるまで、年を重ねるごとにこう思っている。「おれくらいの年であれば、もうどんな傑作を書いていてもおかしくはないぞ。おい、しっかりしろ、しっかりしろ……」。


だから、漠然と小説家を志し、しかし一作もまともに小説なぞ書いていなかった中高生当時のぼくにとって、自分と同じ年の頃に太宰治が書いた小説は毒でしかなかったのだ。ぼくはあらかじめ自尊心に傷がつくのを恐れ、これを避けたのである。太宰治の初期作品など、出来がいいに決まっているのだから。


それで今回、意を決して本書を手に取ったのである。そして案の定、いま読んでよかったと思った。どの作品も紛れもなく太宰治であった。もっと早くに読んでいたら、ぼくの自尊心は完膚なきまでに叩き潰されていたであろう。特に「角力」「犠牲」「負けぎらいト敗北ト」「私のシゴト」「瘤」などは一六七の頃書かれたものだが、後の太宰文学を規定する〝自意識〟や〝自尊心〟の問題が、主に兄弟や友人との葛藤を通して瑞々しく描かれている。そこにはまだ絶望や悲惨の影はなく、むしろ自意識が文学のテーマになり得ることを発見した少年の、無邪気な喜びすら読み取ることができる。自身の戯画化もいまだ徹底しておらず、時おり無防備な津島修治が顔を出すところも微笑ましい。


しかしそんな無邪気さも、十九歳の時に書かれた「彼等と其のいとしき母」あたりから陰りを見せはじめる。本作は腎臓を悪くした兄を見舞いに、母と共に田舎から上京するという内容であるが、作品全体を言いようのない暗鬱な空気が覆っている。


本作の結末近く

彼は先刻の事を又思い出して見るのだった。──新宿の歩道の上で、小さな石塊がのろのろ這って歩いているのを見たのだ。

──石が這って歩いているな。

ただそう思うて居た。併し、その石塊は彼の前を歩いている薄汚い小供が、糸で結んで引摺って居るのだという事が直ぐ判った。…………

考えれば考える程淋しかった。子供に欺かれたのが淋しいのではない。そんな天変地異をも平気で受け入れ得た彼自身の自棄が淋しかったのだ。

と主人公は回想する。この文章は後に第一作品集『晩年』の巻頭に置かれた「葉」の中に、ほぼそのままの形で引用されている。当時の太宰治作品に横溢する退廃的な感覚を見事に象徴する一節であると思う。


さらに時代が下り二十四歳の時、黒木舜平名義で書かれた「断崖の錯覚」に至ると、一般的にわれわれが想起する太宰治的な文体はほとんど完成されている。

その頃の私は、大作家になりたくて、大作家になるためには、たとえどのようなつらい修行でも、またどのような大きい犠牲でも、それを忍びおおせなくてはならぬと決心していた。

という一文からはじまる本作は、太宰治を思わせる主人公が新進作家になりすまし旅館に宿泊し、そこで出会ったカフェの女給に恋をするが、行きがかりから彼女を崖から突き落して殺してしまうという筋である。鎌倉での自身の心中事件に基づいて作られた本作には、作家たらんとする気負いも、屈折した自意識も、心中相手を殺して自分は生き延びてしまったという悔恨も、何もかもが混然一体となってくしゃくしゃに織り込まれている。だが語り口だけはあくまで飄々としており、そこから太宰治の泣き笑いに歪んだ顔がほの見えるようである。


本書全体を通読すると、いかに太宰治が長い間、作家になることを夢見ていたかが分かってくる。十二年である。太宰治が初めて小説を書いたときから、『晩年』が出版されるまで、実に十二年の歳月が必要だった。太宰治はそれだけの間、小説を書き続けた。これは執念である。太宰治は気取り屋であったかもしれない。作家の肩書に憧れていただけだったかもしれない。しかし彼は作家を志し、苦心惨憺、なるべくして作家になった。その端的な事実を、本書はなによりも雄弁にわれわれに語っている。

『地図 初期作品集』太宰治(新潮社)
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