【書評】「トロッコ問題に挑む、精緻な時間ミステリー」大森望

文字数 1,520文字

<STORY>

裁判所書記官として働く宇久井傑(うぐいすぐる)。ある日、法廷で意識を失って目覚めると、そこは五年前――父親が有罪判決を受けた裁判のさなかだった。冤罪の可能性に気がついた傑は、タイムリープを繰り返しながら真相を探り始める。しかし、過去に影響を及ぼした分だけ、五年後の「今」が変容。親友を失い、さらに最悪の事態が傑を襲う。未来を懸けたタイムリープの果てに、傑が導く真実とは。リーガルミステリーの新星、圧巻の最高到達点!

 義理の娘に対する強制わいせつ――最悪の罪状で起訴され有罪となり、服役した父親。だが、もしそれが冤罪だったとしたら? タイムスリップ(現在の自分の意識が過去の自分の肉体に戻るパターン)で裁判の第一回公判期日に戻された若き主人公(職業は裁判所の書記官)は、顔も覚えていない生き別れの実父を救うために奔走する。

 ――というのが、ふつうのタイムスリップ法廷ミステリーの黄金パターンだろう。ドラマにもなりそうな王道エンターテインメントの舞台は整っているが、『幻告』には、そういう簡単な解決ルートも、わかりやすいゴールも存在しない。冤罪であることを証明し、無罪を勝ちとった先には、もっと不幸な事件が待ち受けている(そういう未来が自動的に確定することが、事実としてわかってしまう)。

 過去を変え、転轍機で線路を切り替えたとしても、トロッコはより大きな犠牲を生むルートに進むことになる。もしかしたら、たとえ真実を捻じ枉げてでも、不幸をより小さくするルートを選択するのが正解ではないか。

 ……出口の見えないこの〝トロッコ問題〟に直面してなお、針の穴を通すような新しい一本のルートを探るのが本書の醍醐味だ。

 その前提になるのが、タイムスリップが発生する条件の解明。過去に戻ること自体は超自然現象だが、そこには一定の法則性と、〝神の摂理〟とも言うべきロジックがある。みずからが体験したありえない出来事をもとに、主人公はひたすら理詰めで考え抜いて〝ルール〟を解き明かす――その過程が、そのままスリリングなミステリーになっている。過去と現在をつなぐのは、物語の主舞台となる南陽地方裁判所にある、青(藍碧)と赤(紅蓮)、新旧二つの法廷。二つの裁判はいったいどう関係しているのか?

 すべての過去は基本的にとりかえしがつかない(なかったことにできない)が、とりわけ裁判の判決は、一度確定してしまうと、ひっくり返すのは非常にむずかしい。もし仮に、裁いた側が自分の誤ちに気づいたとしても、やり直すことはできない。だが、時間遡行による歴史改変が可能なら、超法規的な(超自然的な)〝やり直し〟の道が開ける。裁判は、厳密にルール化された〝人生の縮図〟。その意味では、リーガルミステリーとリプレイ系の時間ループものは相性がいい。タイムスリップという、天が与えた特殊設定を使って、過去に秘められた謎を解きつつ、果たして幸福な未来へとたどりつけるのか。すべての事件、すべての人物が周到に配置されて、複雑極まりないプロットに奉仕し、二重三重のサプライズを用意する。タイムトラベルとミステリーの組み合わせは最近の流行だが、ここまで精緻に組み立てられた作品も珍しい。


大森望

1961年、高知県高知市生まれ。京都大学文学部卒業。書評家、翻訳家。責任編集の『NOVA』全10巻、共編の『年刊日本SF傑作選』で、第34回・第40回日本SF大賞特別賞。著書に『21世紀SF1000』『同 PART2』『新編 SF翻訳講座』『50代からのアイドル入門』など。訳書に劉慈欣『三体』(共訳)、テッド・チャン『息吹』など。「ゲンロン大森望SF創作講座」主任講師。

ツイッター:@nzm

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