なぜかフランス

文字数 1,106文字

「ツール・ド・フランス」という、桁外れに大規模な自転車ロードレースが存在することを知ったのは、昭和の終わりごろだったと思う。西暦でいえば1980年代の後半であるから、日本はバブル景気の真っただ中。いまから35年ほども前の話だ。きっかけは、たまたま見ていたNHKの特集番組だった。アメリカ人として初めて総合優勝したグレッグ・レモンが大きく取り上げられていた。実は同じ年、スピードスケートから転向したエリック・ハイデンもツール・ド・フランスを走っているのだが、3週間にわたって開催されるレースの第18ステージで途中棄権をしている。当時の日本では、レークプラシッド冬季オリンピックで5種目完全制覇を成し遂げたハイデンのほうが圧倒的に有名だった。あのハイデンがリタイアを余儀なくされるとは、なんて過酷なレースなんだと妙に感心した記憶がある。
 ツール・ド・フランスが、もともとはスポーツ新聞の売り上げを伸ばすために考案されたものだというのは有名な話だが、過酷といえば、世界一過酷なモータースポーツと言われる「パリ–ダカール・ラリー」(現在の名称は「ダカール・ラリー」)も、発案したのはフランス人だった。いや、待てよ。それだけじゃない。自動車レースの最高峰がF1グランプリ(正式名称は「F1世界選手権」)であるのは誰もが認めるところだと思うが、その原型となったレースも、フランスが発祥の地だったはず。いやいや、まだある。「ル・マン24時間レース」が開催されるのもフランス……。
 パリ・ジェンヌという言葉があったり、首都が芸術の都と呼ばれていたりと、お洒落なイメージのあるフランスだが、フランス人の本質はむしろこちら(過酷な冒険やレースが大好き)にあるのじゃないかと思ってしまう。それって遡れば、自由を求めて戦ったフランス革命にまで行き着くに違いない。などと勝手な妄想を膨らませつつ、今年のツール・ド・フランスが待ち遠しい今日このごろである。



熊谷達也(くまがい・たつや)
1958年宮城県仙台市生まれ。東京電機大学理工学部数理学科卒業。中学校教員、保険代理店業を経て、’97年『ウエンカムイの爪』で第10回小説すばる新人賞を受賞して作家デビュー。2000年『漂泊の牙』で第19回新田次郎文学賞を受賞。’04年『邂逅の森』で第17回山本周五郎賞、第131回直木賞を史上初のダブル受賞。近著に『リアスの子』『ティーンズ・エッジ・ロックンロール』『浜の甚兵衛』『揺らぐ街』『我は景祐』『鮪立の海』『いつもの明日』『無刑人 芦東山』など。

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