第3話 不倫ネタを掴んだ、週刊スラッシュ編集部では

文字数 3,307文字

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『僕と彼女には共通の友人がいて、それで、相談に乗っていただけだ』
『どういったご相談ですか?』
『その友人と彼女はつき合っていたんだけど、別れたんだよ。彼女にアイドルをやっている十代の新しい彼氏ができたらしくてね。それで、嫉妬(しっと)に狂った友人がリベンジポルノをすると脅(おど)してきたらしい。なんでも、情事の際の写真を何枚も撮らせていたみたいなんだ。まあ、ほかの男のことだったら相談に乗ったりしないけど、僕の友人だから知らない顔もできなくてね』
『それで、昔、不倫相手を連れ込み離婚の原因になった松濤のマンションでカナンさんの相談に乗っていたわけですね?』
『そ、そんなわけないだろう! き、君、僕にたいして失礼じゃないか! 彼女を自宅には入れてないっ。偶然に……』
『お嬢ちゃんがあんたの豪邸から出てくるところも撮ってるんじゃよ~。ほれ』
『い、いつのまに、こ、こんな写真を……』

「声が裏返ってしどろもどろになって、図星だと言っているようなものだな」
 雑然としたニュース部のフロア。
 デスクチェアに座るロマンスグレイのオールバックの男性――編集長の福島(ふくしま)が、正面に立つ立浪に愉快そうに言いながらICレコーダーの停止ボタンを押した。
「必死に冷静さを装っていましたが、かなり動転した様子でしたね」
「そりゃそうだろう。せっかく好感度を取り戻して仕事量も全盛期に近いほどに増えてきた矢先に、未成年淫行記事だからな。しかも十七だぞ、十七!」
 福島が他人事のように言った。
 そう、しょせんは他人事――写真週刊誌は、人の秘め事を暴(あば)いて飯の種にする商売だ。
 芸能人、スポーツ選手、女子アナの不倫や薬物、政治家の汚職……秘め事をする人間が有名であればあるほど、秘め事が大きければ大きいほど部数が伸びる。
 弱肉強食――シマウマがかわいそうだとライオンが躊躇(ちゅうちょ)していたら、親も子も餓死してしまう。
 なにより、ライオンが見逃してもヒョウやハイエナの獲物になるだけだ。
 この世界は情に厚い人間は真っ先に死に、非情な人間だけが生き残る。
 ターゲットへの同情は、令和の時代においての公衆電話ほどの価値もない。
「相変わらず、立浪ちゃんのツッコミはエグイねえ。昔の傷口を切り裂いて塩を擦(す)り込むような……おおっ、怖っ」
 福島の隣のデスク……編集長代理の近田(ちかだ)が、おどけた調子で身震いして見せた。
 小太りで雪だるまのような体型をしている近田は、ひょうきんな性格も相まって殺伐(さつばつ)としたニュース部の癒しキャラの役割を担っている。
「お~、嫌だ嫌だ。ニュース部だけには、異動になりたくないね~」
 土色の顔をした痩せた男性……文芸部の鈴村(すずむら)が勝手に立浪のデスクに座り、ノートパソコンのディスプレイに表示された藤城とカナンの画像に視線をやりながら言った。
「そんなに嫌なら、こなければいいだろう?」
 立浪は言いながら、ノートパソコンを閉じた。
 鈴村は三十三歳の立浪と同い年の同期で、五年前までは同じ文芸部でともに編集者として働いていた。
 人のスキャンダルを暴き立てて部数を伸ばす「スラッシュ」編集部に立浪はいい印象を抱いていなかった。
 鈴村も同じような考えの持ち主で、その当時は二人の関係は良好だった。
 立浪が局長に志願して「スラッシュ」編集部に異動してから、鈴村との関係は悪化した。
 原因は自分にあるということが、立浪にはわかっていた。
 写真週刊誌の編集者になってからの立浪は、文芸部にいたときとは別人になった。
 あれほど忌(い)み嫌っていた著名人のスキャンダルを血眼になって追い、容赦(ようしゃ)なく世に晒(さら)すような男になった。
「こっちだって、好きできたんじゃないよ。『スラッシュ』で連載中の北原(きたはら)先生の小説が来週号で終わりだから、刊行時期の打ち合わせに寄ったんだ。これ、いつ載るんだ?」
 ふたたび立浪のノートパソコンを開いた鈴村が、藤城とカナンの画像を指差し訊ねた。
「いまから事務所に連絡を入れて、来週号には間に合わせようと思っている」
 立浪は言った。
 記事掲載に至るまでの流れは、月曜日の十一時から編集者一人とフリー記者三人を一グループとして、ニュース部A班とB班それぞれ三グループずつの合計六グループでプラン会議が行われる。
 フリー記者達は三、四本ずつネタを持ち寄り、編集者にプレゼンする。
 衝撃度、信憑性(しんぴょうせい)、写真の入手確率など、総合的に判断して部数が伸びそうなネタを四本選び、十四時からのゴールドプラン会議で編集長と編集長代理にプレゼンする。
 ゴールドプラン会議には、A班の三グループのそれぞれの編集者が四本ずつ……合計十二本の代表ネタを持ち寄る。
 この十二本の中から部数の伸びが見込め写真を押さえられるネタが採用される。
 採用されるのが一本のときもあれば、十本のときもある。
 すべては、ネタの良(よ)し悪(あ)し次第だ。
 ゴールドプラン会議が終われば、ネタが採用された記者に連絡を取り、写真がない場合は一便締め切りの木曜日までに確保するように伝える。
 ネタが採用されなかった記者へのフォローも忘れてはならない。
 記者の週の固定給は五万円で、ネタが不採用になればほかに一円も入らない。
 プラン料一万円、スクープ料五万円、原稿料三万円、張り込み費六時間につき五千円は、ネタが採用になった場合にしか貰えない。
 採用本数がゼロでも月に二十万の固定給を貰える計算にはなるが、現実には一本も企画が通らないとニュース部に顔を出しづらくなるので自然解雇状態になる。
 記者への報告が終わるのが五時頃で、その後は基本的に自由行動だ。
 記者とともにターゲットの写真確保に自宅や行きつけの店に張り込んでもいいし、新しいネタ探しに芸能人の出没頻度が高い西麻布(にしあざぶ)、六本木(ろっぽんぎ)、中目黒(なかめぐろ)などの繁華街をパトロールするのもありだ。
 火曜日は終日自由行動で、出社しなくても大丈夫な日だ。
ほとんどの編集者は、月曜日のゴールドプラン会議で採用されたネタの裏取りをしている場合が多い。
 写真の確保の次に重要なのが、ターゲットの自宅周辺の住民、行きつけの店、仕事関係者の証言を集めることだ。
 芸能人ならばADやヘアメイクから情報収集するのは定石(じょうせき)だ。
 とくにヘアメイクは長時間やることがないので、芸能人のほうからプライベートな話をしてくる場合が多い。
 水曜日は昼頃に出社し、十五時から進捗(しんちょく)会議が行われる。
採用されたネタを次号に掲載できるか否かを、編集長、編集長代理、グループ代表の編集者と担当記者を交えて行われる。
 写真の確保が難しそうな場合は、保留扱いになり掲載を見送ることになる。
 木曜日は地獄の締め切り日だ。
 出社は体力を温存するために午後からで、十六時から最終会議が行われる。
 A班、B班それぞれ五本ずつ記事のタイトルを決定しなければならない。
 表紙に掲載されるタイトルによって読者が買う気になるかならないかが決まるので、販売部数に直結する命綱だ。
 近年、立浪が担当した記事で部数を伸ばしたタイトルは、『Jリーグの得点王、六本木のキャバクラ終わりにPK決めまくり』、『抱かれたい男優ナンバー1の残念なベッドテクニック』、『国民的癒し系女優・花岡(はなおか)みゆ、リアル「牡丹(ぼたん)と薔薇(ばら)」の鬼の素顔』などがあった。
 タイトルは奇をてらった複雑なものでなく、一目で記事内容が想像できて購買意欲をそそる、シンプル且(か)つインパクトのあるものにする。
 タイトルの次はレイアウトを決め、それぞれの記者があげてきた原稿をチェックし、内容が弱い場合には書き直しを命じたり、そういったやり取りを繰り返して一便の入稿が終わる頃には翌朝の六時か七時になっているのが常だ。
(第4話につづく)

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