最終話「未来予想図」

文字数 2,235文字

矢部嵩さんによるホラー掌編連載『未来図と蜘蛛の巣』。挿絵はzinbeiさんです。ついに最終話。お楽しみください。

 *

 最後の課題で未来予想図を作ることになった。それまでの授業よりも簡単な課題だったが、隣の席の友人は苦労している様子だった。
「描けないの」
「描けない」描くことすらやめて彼女は俯いていた。私の視線に気付くと目線をこちらへ向けてきた。「あなたは?」
「終わったよ」
「終わったの? 描けたってこと?」
「描けてない終わりがあるの?」
「死ねば終わりだよ人は」いって彼女が机に寝そべり、私は戸惑い彼女の方を見ていた。手の動いていない私達を見咎め先生が私と彼女を呼び出し、ついでに彼女は白紙の理由を聞かれていた。
「遊んでいたの」
「ではないです。描けないんです」
「何でだろうか」
「簡単にいえば未来はまだないからです」彼女はいった。「ないものは描けません」
「予想を図化すべし」
「そうなんですけど」彼女は弱った。
 翌週も彼女は弱っていた。邪魔しないよう私は横で違う絵を描いた。未来予想図は景色の課題だったが、彼女の描くのは自画像のようだった。下書き途中で最後の授業が終わり、先生からは提出期限の相談があって、どうせ進路も決まっているのに、今更提出物の一つくらいと私は思ったが、彼女はそうは考えないらしかった。
 不器用ながらも実践的な子だと思っていたので、こういう手詰まりの仕方は私からは珍しく見えた。戻った教室は既に誰もいなくて、その日は二人で一緒に帰った。校舎の掃除は終わった後で、冬でも空気が水っぽくって、彼女について入った駐輪場は少し埃臭く、雨避けには蜘蛛の巣が残っていた。
「未来のことは考えたくない」空のコップに彼女がこぼした。「一生懸命今日もやるから、先の話は許して欲しい」
「面白いこというね」
「あなたは怖くない?」
「もっと怖い物いくらでもあるよ」「確実に来るものでも?」「枠が判んないよ」放課後のファミレスは未来を描くには心地良く、有意義を働くにはスペースが足りず、春が来た後一緒に行く高校の話を私達は二人でして、そこで起こることは何もかも予想できるようにも、何一つ予想できないようにも思えた。
「どうして未来が怖い?」
「まだない未来を本当は予想してるから」店員さんが皿を片付けていった。「私はこれから大きく遅れて、色々ついていけなくなると思う」
「何に遅れる?」「色々だよ勉強とか。幸せとか。あなたとか。私達が今一緒にいるのはたまたまなんだよ。私本当に駄目な人間なの」「そうかな」「そう。あなたに怖くていえないことだらけだよ」そういい彼女は私を見てきた。「あなたはきっと大丈夫だよ。あんたは本当すごい人だから」「同じ高校行くのに……」
「誰かがしている未来の話は私を置いてく計画のようだ」帰り道に自転車を押し暗闇を進む彼女の背中は必要以上に細く見えた。「私だって成功したい。成功を想像するのは怖い」
「坂の向こうがどうなってるかってこと?」黙って彼女が私を見てきた。寂しいということみたいだった。「違うの?」
「たまたまだったの」彼女の息が見えなくなった。「私が高校やめても友達でいてくれる」
「いいよ」
「私が腐乱しても許してくれる?」彼女が続けてそういった。短い付き合いの私達だったが、他人の劣化や堕落を許せないのはどちらかといえば彼女の方だった。
 三月最後の授業が終わり、彼女の姿を探すと美術室の隅で提出物を作っていた。夕日が校舎の奥まで差して、油と木の粉の匂いまで照らされていた。
 コートを着たまま鏡と向き合い、未来の自分を描いていた彼女は私に気付くと顔を上げこちらを見た。出来そうかどうか私が訊くと、もうすぐといって彼女は笑った。
 私は彼女の絵を覗き込んだ。未来予想図は完成間近だった。描かれているのは彼女だろうが、面影があるわけではなかった。顔は随分骨張っていたし、髪は半分抜け落ちていたし、頬には大きな穴ぼこが空いて、裏の奥歯を覗かせていた。右の目玉は大きく露出し、表面に三つ蝿が止まって、左の眼球は眼窩から流れ落ち、重力に吸われ紡錘形になっていた。空の眼窩を蛆虫が埋め尽くし、涙袋が倍ほど膨れ上がり、ぽっかり開いた口の中とか、鼻の中に蛆蝿や甲虫が犇めいていた。
 髪の毛のない側頭部には節足昆虫が群がっていて、頭に開いた大きな穴から百足が脳を食べているらしかった。胸元辺りの骨は露出し、鎖骨の向こうにも蛆虫の巣があった。唇だとか目蓋はなくて、顔も首も大半は蛆に集られていたけれど、残った皮膚とか目の一部とか、背景などは血で赤かった。写実的ではなかったけれど、イラスト調というのも褒め過ぎで、映画の子供の落書きみたいだったけれど、それなりに健気ではあった。
「未来のことを考えないのは無理だ」というようなことを彼女はいった。「だけど上手に考えられない」
「ふうん」私は慰めようと思った。「でも描いたじゃない」
「こんな未来しか思い描けない」
「そっか」私は彼女の肩に触った。「あなたと一緒に死ねないけどさ、あなたも私も死ぬのはよかったね」
「ありがとう」彼女がこちらを見た。西日がきつくて私には顔が見えなかった。どういう顔を彼女が今しているのか、予想してみたが判らなかった。



本文:矢部嵩
挿絵:zinbei

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