樹来と私

文字数 1,117文字

 私にとって初めての連作短編集『交換殺人はいかが?』の続編となる長編小説『消えた断章』が、このたび光文社文庫で文庫化されることとなりました。

 うれしいかぎりですが、前作を読まれた方は、また小学生の安楽椅子探偵ものかと思われるかもしれません。けれど時代は流れて、いまや樹来もりっぱな大学生。老人ホームで余生を送るじいじと連携して、ある誘拐事件の謎に迫ることになっています。

 ところでこの樹来シリーズですが、実を申しますと、私にとっては少々思い入れのある作品なのです。といいますのも、ふつうは、私が創作した作中人物はすべてモデルがいない完全なる空想上の存在なのですが――そりゃ、私の作品はどれもこれも陰惨な殺人事件だらけなので、身近に具体的なモデルがいるようでは困りますよね――あのじいじと樹来の和やかな交流場面に関しては、いまは亡き私の父と私の息子の人間関係を下敷きにしているからでして、じいじの溺愛ぶりといい、樹来の甘えぶりといい、いまとなってはとても懐かしい思い出です。

 とはいえ、私の父は元刑事ではありませんし、息子にしても、名探偵どころか推理小説マニアですらありません。樹来との共通点はせいぜい7月生まれだというくらいなのですが、子供心にもじいじを尊敬し、ふたりで熱心に語り合っていた姿は樹来そのものだといっても過言ではありません。

 当時はあんなにしっかりしていた父もしだいに歳をとり、心身の衰えは如何ともし難いものがありましたが、最後までじいじ呼びのまま、やさしく接してくれた孫息子の存在は、父にとって人生最高の幸せの一つだったと思います。

 ちなみに、その息子もいまや一児の父。奇しくもその子も7月生まれですが、私が何もいっていないのに、命名に先立ち、「樹来にはしないからね」とお断りが入りました。

 って、誰がそんな名前にしたいかって!



深木章子(みき・あきこ)
1947年東京生まれ。東京大学法学部卒。元弁護士。2010年に『鬼畜の家』で島田荘司選第3回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞し、デビュー。同作は'14年、啓文堂書店文庫大賞を受賞し、大きな話題となる。続く第2作『衣更月家の一族』、第3作『螺旋の底』は、それぞれ第13回・第14回本格ミステリ大賞にノミネートされる。その他に『殺意の構図 探偵の依頼人』『ミネルヴァの報復』『猫には推理がよく似合う』『消人屋敷の殺人』『欺瞞の殺意』『罠』などの著書がある。緻密な構成力と本格ミステリーの王道を貫く確かな実力が多くの読者を唸らせている。

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