〈4月9日〉 志駕晃

文字数 1,118文字

「四月九日木曜日、時刻は八時になりました。お早うございます。垣島武史です」
 非常事態宣言が発出されても、ラジオの生放送は止められない。スタジオに入る時は体温チェック、さらに目の前には透明なアクリル板が設置されている。拘置所の接見室のようなアクリル板は、向こう側に座る女子アナとの飛沫感染を防ぐためのものだった。
「お早うございます。アシスタントの山口美穂です。今日の天気は晴れ、最高気温は十八度、夜には俄雨が降るかもしれません」
 そんなアクリル板があっても、ラジオのスタジオはとても狭く、防音上密閉されている。しかもこれから三時間喋りっぱなしなので、「三密」は避けられない。
「人との接触を八割減らすと言ってるけど、国と東京都の足並みが揃っていないね。都知事が具体的な自粛要請を示すらしいけど、昨日僕が入ったお店には、『当店は従業員の給料を払うために、今後も営業します』という張り紙が貼ってあったよ」
「お店の方も生活がありますからね」
「自粛している人がしていない人を非難したり、街に出てる老人と若者がいがみ合ったり、なんか殺伐としたことが多いよね」
「映画を見ているみたいで怖いですね」
 不安を煽るテレビのコメンテーター、ネットでも過激な言葉が飛び交っている。しかし生活に寄り添うラジオはそれではいけない。
「この番組は、いつも通りバカバカしくやりたいよね。笑っていれば免疫力は上がるらしいから」
 垣島が微笑みながらそう言うと、アクリル板の向こう側に可愛らしい笑顔が咲いた。
「垣島さんの言う通りですね」
 CMに入ると美穂から話し掛けられた。
「私こんな非常時には、真面目に放送しないといけないんだと思ってました。でもこんな時だからこそ、くだらない放送がいいんですよね。私、垣島さんを見直しました」
 その言葉に軽いショックを受ける。そんなに普段の放送はくだらなかっただろうか。確かにダジャレや下ネタは少なくないが。
「ま、まあそうだよ。こういう時こそ、人間の器の差が出るからね」
「ゴホン」
 その時、美穂が咳をした。
 垣島は大きく目を見開き、その目線が宙を舞う。
「俺、ちょっとトイレに行ってくるわ」


志駕晃(しが・あきら)
一九六三年生まれ、明治大学卒業。第十五回「このミステリーがすごい!」大賞・隠し玉として『スマホを落としただけなのに』で二〇一七年にデビュー。同作は北川景子主演で映画化され大ヒットした。他の著書に『ちょっと一杯のはずだったのに』『あなたもスマホに殺される』『オレオレの巣窟』などがある。

【近著】


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