自分を変えるために必要なこと それは、自分を受け入れること/『匿名』

文字数 1,362文字

どんな本を読もうかな――。

そんな悩みにお答えすべく、「ミステリー」「青春・恋愛小説」「時代小説」「エッセイ・ノンフィクション」のジャンル別に、月替わりで8名の選者が「今読むべきこの1冊」をオススメ!


今回は吉田大助さんがとっておきの青春・恋愛小説をご紹介!

吉田大助さんが今回おススメする青春・恋愛小説は――

柿原朋哉著『匿名』

です!

 今年四月に活動終了したチャンネル登録者数一四〇万人超えの二人組YouTuber「パオパオチャンネル」のメンバーで、映像作家の顔も持つぶんけいが、本名の柿原朋哉名義で小説家デビュー作となる長編『匿名』を発表する。商業出版では通常、既刊本と全く同じタイトルを新刊には付けない。おそらく「匿名」の二文字オンリーは、誰かが使っていそうで、まだ誰も使ったことのないタイトルだろう。この一点だけ取っても、著者のセンスを感じることができる。


 物語には二人の語り手が登場する。一人目の語り手・越智友香は、故郷を出て渋谷の一等地にある会社で契約社員として働く二五歳の女性。極端なまでに自分の感情を押し殺し、他者の顔色を窺いながら生きてきた友香の唯一の支えは、ビルの屋上から飛び降りようとした日に出合った、Fという名の新人覆面女性アーティストの存在だ。ツイッターで匿名のファンアカウントを開設し、Fに関する情報を仕入れることが友香の人生にとっての喜びとなっていく。二人目の語り手は、Fだ。彼女もまた匿名の自分となることで、生まれ変わった過去があった。かけ離れた存在である二人の運命は、どう交錯するのか?


 大胆不敵にして緻密な構成が採用された物語の中に、自分を変えるとはどういうことか、という骨太なテーマが宿っている。そのテーマに対する一つ目の答えは、匿名の自分を作ることだ。それは決してネガティブなものではないと綴る文章の中に、自身もYouTuberとして匿名で活動し、匿名のファンの感情を受け止めてきたリアリティが息づいている。しかし、二つ目の答えにこそ著者の思いが乗っているような気がしてならない。自分を変えるために必要なこと。それは、自分を受け入れることだ。自分を知ることから、「変わる」が始まる。


 主人公たちはそのイニシエーションとなる出来事に遭遇していたが、読者にとってはこの小説を読むこと自体が、自分を受け入れるための儀式となる。柿原朋哉は、本気で読者を救おうとしている。


 二〇一〇年代末以降の出版界は、YouTuberのエッセイ集がベストセラーリストを彩っている。YouTuberの動画は九九%がドキュメンタリーであり生き様のノンフィクションであるため、エッセイ集とは相性が良かった。しかし、これからはYouTuberとしての経験をそのままアウトプットするのではなく、フィクションへと変換させる書き手が増えていくかもしれない。その時、新しい小説が生まれる。『匿名』を読んで、そう期待したくなった。

この書評は「小説現代」2022年9月号に掲載されました。

吉田大助(よしだ・だいすけ)

1977年生まれ。「ダ・ヴィンチ」「STORY BOX」「小説 野性時代」「週刊文春WOMAN」など、雑誌メディアを中心に書評や作家インタビューを行う。Twitter @readabookreview で書評情報を発信。

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