孤独の中で生きた者たちが見つけた希望の光

文字数 2,002文字

話題の作品が気になるけど、忙しくて全部は読めない!

そんなあなたに、話題作の中身を3分でご紹介。

ぜひ忙しい毎日にひとときの癒やしを与えてくれる、お気に入りの作品を見つけてください。

今回の話題作

『52ヘルツのクジラたち』町田そのこ

この記事の文字数:1,581字

読むのにかかる時間:約3分9秒

文・構成:ふくだりょうこ

■POINT

・『52ヘルツのクジラたち』、「52ヘルツ」って?

・主人公・貴瑚の半生と「52ヘルツの声」

・世の中には「52ヘルツの声」があふれている

■『52ヘルツのクジラたち』、「52ヘルツ」って?


「このクジラの声はね、誰にも届かないんだよ」


 ほかのクジラが聞き取れない高い周波数で鳴く、世界で一頭だけのクジラ。それが52ヘルツのクジラだ。どんなに鳴いても、すぐそばに仲間がいたとしても、その存在に気がついてもらえない、世界で一番孤独な存在。


 2021年本屋大賞第1位となった町田そのこ氏による『52ヘルツのクジラたち』。

 祖母が残した大分にある古い家に引っ越してきた三島貴瑚。無職で、周りの人たちとも交わろうともしない貴瑚は田舎町ゆえに近所の老人たちの噂の的となってしまう。

 そんな貴瑚がある雨の日に出会ったのは、話すことができない少年。伸び切った髪、やせ細った体、薄汚れた服に隠された無数の痣。そして、母親からは「ムシ」と呼ばれている。

 虐待を受けている少年に、貴瑚は自身を重ね合わせ、助けの手を差し伸べる。

■主人公・貴瑚の半生と「52ヘルツの声」


 物語の冒頭、家の修繕にやってきた業者の村中から「風俗やってたの?」と聞かれ、貴瑚は反射的に平手打ちをくらわす。その部分だけ読むと、気の強い女性を想像する。しかし、貴瑚は心にほころびを抱えながら田舎町へとやってきていた。

 母子家庭だった貴瑚。母が再婚し、弟が生まれるが両親は弟をかわいがるばかり。まともな食事を与えてもらえず、身だしなみも整えてもらえない。高校卒業後、寮付きの会社に就職が決まり、ようやくそんな家族から離れられるのかと思いきや、難病になった義父の介護を押し付けられ、その義父からは暴力を振るわれる。

 そんなときに出会ったのが高校の同級生・牧岡美晴の同僚、岡田安吾だった。彼はあっという間に貴瑚を実家から引っ張り出した。トラウマに苦しめられつつも、美晴や安吾の支えもあって自立し、笑顔を見せられるようになっていく。恋もする。しかし、その恋さえも--。

 苦しい中で、ずっと貴瑚は助けの声を上げ続けていた。でも誰にも届かない。「52ヘルツ」の助けの声。それに気づいたのが安吾だ。負の連鎖から救い出されて、貴瑚はやっと幸せになれるはずだった。それでも、心にも体にも傷を抱えて彼女が田舎町に来ることになったのは、大切な人の「52ヘルツ」に気づけなかったからだった。

■世の中には「52ヘルツ」の声があふれている


 貴瑚が「ムシ」と呼ばれる少年に手を差し伸べたのは、自分がかつて他人の52ヘルツの声に気づけなかったことへの贖罪の意味もあるのだろう。

 少年が受けてきた仕打ちは思わず目を覆いたくなるようなものだった。しかるべき行政に頼ればどうにかなるものなのか。なるかもしれないが、ならない可能性も高いことを貴瑚は知っていた。我慢して、我慢して、人はやがて諦める。すでに諦めてしまっている少年のためにできることを貴瑚は模索し始める。


 多くの人は「普通の人生」を望む。それでいて、平凡な人生は疎む。しかし、その平凡な人生とやらはただ生きているだけで手に入れることができない。作中に出てくる人物たちの人生はいわゆる“平凡”とは異なる。そのために苦しみ、助けの声をあげている。唯一、“平凡”に近い人生を歩んでいる人物の生活が本作ではなんとも輝いて見える。

 穏やかな明日が来ない毎日は苦しく、痛い。耐えていれば、その痛みはやがて麻痺していく。しかし、それでも助けを求める声を上げることをやめてはならない。可能性は少ないかもしれないけれど、その声に気が付き、一緒に助けてくれる人がいるかもしれないから。

 苦しみと悲しみが積み重なっていく本作だが、ぜひ救いを信じて、最後まで読み切ってほしい。いま、世の中に絶望していても、少しだけ光が見つけられるはずだ。

今回紹介した本は……


52ヘルツのクジラたち

町田そのこ

中央公論新社

1760円(1600円+消費税10%)

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