戦百景 大坂夏の陣 完全ガイド③
文字数 1,631文字
日本の歴史に残る有名な合戦を活写&深堀りして大好評の矢野隆さんの「戦百景」シリーズ。
第8弾は、戦国時代の終焉を飾る大合戦を描いた『戦百景 大坂夏の陣』です!
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「戦百景」シリーズ好評既刊
第1弾『戦百景 長篠の戦い』は「細谷正充賞」を受賞!
第2弾『戦百景 桶狭間の戦い』
第3弾『関ヶ原の戦い』
第4弾『川中島の戦い』
第5弾『本能寺の変』
第6弾『山崎の戦い』
第7弾『大坂冬の陣』
「冬の陣」の和議で裸城にされた大坂城のその後は━━⁉ 時系列に沿って追ってみました!
「冬の陣」の和議で裸城にされた大坂城。
豊臣方は打って出るしかなかった。
持久戦の能力を失った豊臣方が狙うのは家康の首。
乾坤一擲をめざす真田信繁の作戦とは……⁉
大好評書下ろし歴史小説シリーズ‼
★冬の陣の和議は、家康の策略だったのか。
条件となった二の丸・三の丸・惣構えの破却、埋め立てによって
すでに夏の陣ははじまっていたのだ。
1614年 12月 冬の陣の和議が成立し、堀の埋め立てなどが開始される
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1615年 3月 京都所司代・板倉勝重が、豊臣方の堀の復旧などを家康に報告
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同年 4月 家康は牢人の放逐か秀頼の移封を要求。豊臣は拒否し、開戦へ
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同年 4月29日
〈樫井の戦い〉奈良から紀伊へ向かった豊臣方の大野治房の隊が、徳川方の浅野長晟勢に遭遇。大野隊先方の塙直之が討死
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同年 5月6日
〈道明寺・誉田の戦い〉奈良と大坂城の中間の地で豊臣方の主力が徳川方に激突。豊臣方の後藤又兵衛が討死。その後、豊臣方の真田信繁・毛利勝永が伊達勢に打撃を与えるも後退
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同日 〈八尾・若江の戦い〉豊臣方の長宗我部盛親らが徳川方の藤堂高虎勢に善戦するも井伊直 孝の出現で後退。豊臣方・木村重成が討死
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同年 5月7日
〈天王寺・岡山の戦い〉真田信繁・毛利勝永・大野治房ら豊臣方の決死の突撃に徳川本陣が一時混乱。信繁の戦死でついに決着
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同日 大坂城は落城し、翌日に淀殿と秀頼が自害。豊臣家は滅亡した
地図制作/ジェイ・マップ
慶長20年(1615年)3月、戦乱の気配が再び漂い始める。
前年の暮に成った、いわゆる「大坂冬の陣」の和議が早くも崩れようとしていた。和議の条件で棄却された二の丸、三の丸の堀や柵が再建され始めていたのだ。
それに対し徳川方は、牢人の解雇か豊臣家の移封を求めるが、豊臣家はそれを拒否。徳川と豊臣はついに手切れとなった。総勢15万を下らない徳川方に対し、豊臣方はその約半分。しかも「冬の陣」のときと違って、堀のない城では豊臣方は打って出るしかないのだ。
──緒戦で命を懸けて戦う後藤又兵衛や藤堂高虎、浅野長晟。豊臣を滅亡させることを躊躇う徳川家康。牢人衆を制御できない大野治長。乾坤一擲を狙う真田信繁。呪縛を乗り越えようとする豊臣秀頼。
諸将の思惑が入り乱れるなかで、いよいよ戦乱の世に終止符が打たれる!
矢野隆(やの・たかし)
1976年福岡県生まれ。2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞。その後、『無頼無頼!』『兇』『勝負!』など、ニューウェーブ時代小説と呼ばれる作品を手がける。また、『戦国BASARA3 伊達政宗の章』『NARUTO-ナルト‐シカマル新伝』といった、ゲームやコミックのノベライズ作品も執筆して注目される。また2021年から始まった「戦百景」シリーズ(本書を含む)は、第4回細谷正充賞を受賞するなど高い評価を得ている。他の著書に『清正を破った男』『生きる故』『我が名は秀秋』『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』『大ぼら吹きの城』『朝嵐』『至誠の残滓』『源匣記 獲生伝』『とんちき 耕書堂青春譜』『さみだれ』『戦神の裔』『琉球建国記』などがある。