日本人はなぜ対米戦争を始めたのか? 『世紀の愚行』/太田尚樹・著

文字数 1,495文字

20世紀最大の愚行の謎に迫る! 日本人はなぜ対米戦争を始めたのか?

戦前外交失敗の本質を問い直す、教科書では教えない昭和史。

戦前日本外交痛史 1932—1941年


最後通牒とされたハル・ノートに秘められた巧妙な罠。暗躍したコミンテルン、国際防諜活動。

無防備だった日本指導部・中枢エリートたち。激動の時代から今が見えてくる。 

安倍政権から続く不透明な政治状況、日本学術会議委員選任問題、学問・言論の自由への統制的な姿勢……。どこか戦前に近いムードを感じ、多くの人が危機感を抱いている。


2020年12月8日は日米開戦から79年。当時20歳で兵士だった証言者・語り部は来年100歳ともなり次々と鬼籍に入った。平成生まれからすれば、それはレトロな昭和時代の遠い出来事でしかなく、戦争の記憶は消滅し、文字通りの歴史になりつつある。だが時代は平成を挟み令和となり、ようやく冷静に過去を検証することができるというのも事実である。


GDP4倍のアメリカに挑み、全国を焼土とし、推計戦没者軍民310万人。戦死者の約6割が病死・餓死だったという惨禍。最後通牒とされたハル・ノートをあくまで叩き台に交渉継続し、開戦回避ができれば、米ソ冷戦構造の中、20世紀中盤に重要なプレイヤーとなることも可能だったはず。一億総玉砕を叫び、市民と兵士、英霊の膨大な犠牲のうえに立って我々は一体何を望んだのだろう。日本を含めた各国及び国際政治が不安定化している現在、歴史的な大失敗の本質を学ぶことが肝要だ。


日露戦争後まで極めて良好だった日米関係。世論の反発により、南満州鉄道の米資本との共同経営が頓挫して以降、アメリカは日本を仮想敵国とみなしていく。日本の北進を恐れたソ連による外交的駆け引き、国際防諜活動が活発化、日中戦争の泥沼化により、軍指導部は南進策を選ぶ。多くの国民も大陸進出や開戦の熱に浮かされ、戦時体制に進んで協力し、世論が開戦への最大の圧力ともなりました。


最終局面にいたる外交交渉過程では数々の愚策が重なり、冷静で明晰な対応がとられることなく、外交という国際政治の舞台で身動きがとれなくなった。その遠因は満州事変後リットン調査報告書の誤読と外交交渉の稚拙さにまで遡ることになる。2・26事件以降、陸軍は統制派が主流となり全体主義に傾斜し、海軍にも条約派と艦隊派のせめぎあいがあり、日米交渉の最大の足枷となった日独伊三国同盟を捨て去ること能わず、長期戦ともなれば負けること必定であった戦争に突入することになった。


短絡的に軍部暴走と言われてきた開戦までの経緯を、外交を縦軸に検証していくことにより、日本人と日本の組織が犯してしまいがちな誤謬、短視眼的で戦略よりも精神主義に偏る傾向を直視し、個人より組織の論理を優先してしまうという、今を生きる我々にも通じる、失敗の本質に目を逸らさないでほしい。



(太田尚樹/東海大学名誉教授)

『太平洋戦争・日米開戦前夜 世紀の愚行 日本外交失敗の本質  リットン報告書からハル・ノートへ』定価740円(税別)

書き手:太田尚樹

1941年東京生まれ東海大学名誉教授。専門は比較文明論。著書『満州裏史』、『赤い諜報員』、『愛新覚羅王女の悲劇』(以上講談社)、『尾崎秀実とゾルゲ事件』(吉川弘文館)、『ヨーロッパに消えたサムライたち』(角川書店)ほか多数。 

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