第4回/『超短編! 大どんでん返し』を読みました。

文字数 1,844文字

「オモコロ」所属の人気ライター【ダ・ヴィンチ・恐山】としての顔も持つ小説家の品田遊さんに、”最近読んで面白かった本”について語っていただくこの連載。


第4冊目は誰もが通る道!? ショートショートが好きな人におすすめしたい、小学館『超短編! 大どんでん返し』を読んだ感想を語ります。

書店に行くと『意外な結末』をテーマにした、ジュニア向けの短編集が並んでいるのをよく目にする。小中学生が「朝読書の時間」などに読むのだろうか。見かけるたびに少し懐かしくなる。


私が小説を読むようになったきっかけは、星新一のショートショートである。


読書の原体験について語る機会があると、いつも少し気恥ずかしい。この出会い方があまりに典型的すぎる気がするからだ。しかし、事実なのだから仕方がない。胸を張ろう。


最初の星新一体験ははっきり記憶している。小学校低学年の頃に古本屋で手に取った『未来いそっぷ』というショートショート集。はじめて自分のお金で買った文芸書だったはずだ。短ければ2ページ程度、長くても10数ページという文量は、堪え性のない子どもにもとっつきやすい。なにより、物語をしめくくる意外な結末が私の胸を躍らせた。多彩なアイデアに驚き、予想を裏切られる不思議な快楽を知った。


以来、図書館に通って星新一作品を借りまくり、貪るように読みふけった。小学生のうちに1000を超える星新一の全ショートショートを読み終えてしまった。他の作家の短編集も次々に読んだ。『世にも奇妙な物語』のようなドラマも楽しみに観たし、藤子・F・不二雄や藤子不二雄Aの異色マンガ短編集にも手を伸ばした。


数年して、飽きた。


だんだんと分かってきた。意外性そのもののバリエーションには限界がある。予想の裏切り方にはいくつかの「型」があり、ショートショートも長編ミステリも、型の組み合わせで構成されているらしい。読みながら「このパターンならこのオチだろうな」という予想がついてしまうことが増えた。


裏切りのアイデアは無限ではない。この気付きに最初は落胆した。読書の楽しみは鮮烈で純粋なアイデアの摂取にこそあると思っていたからだ。しかし、時間の経過とともに、別の楽しみ方もわかるようになってきた。


形式が有限だからこそ、演出の手法に滲む作家性が際立つ。同じようなオチであっても、語り部の演出によって印象はまるで違ってくる。


それは大道芸にも似ている。大道芸人のやることは、人によってそれほど代わり映えがない。火のついた棒のジャグリングにせよ中国ゴマにせよ、観客のほとんどはそれがどういうものであり、何が起こるのかを最初から知っている。にもかかわらず、パフォーマンスが成功すると観客は興奮し、喝采が送られる。なぜなら、観客の興味は芸そのものの凄さだけに向けられていないからだ。約束された結末に至るまでの話術と演出に特別なものを見出している。


『超短編! 大どんでん返し』は、約2000文字の超短編小説を30編あつめたオムニバス文庫だ。執筆陣は北村薫、恩田陸、辻真先、西澤保彦、東川篤哉――ほか、錚々たる顔ぶれとなっている。


どの短編も表題の通り"大どんでん返しもの"ばかりだが、「短いページで意外な結末」というネタ振りに応える作家陣の工夫は三十者三十様であり、予想の裏切り方のアイデアよりもそこへ至る道筋の個性が記憶に残った。ページ数が限られているとき、この人はこういう景色を切り取るのか、と、それぞれの作家から凝縮されたエッセンスが見える企画になっている。

 

特に印象的だったのは米澤穂信『白木の箱』、呉勝浩『花火の夜に』、翔田寛『墓石』、乙一『電話が逃げていく』など。いずれも、結末の意外性はもとより語り口の巧みさに引き込まれた。


ただ意外な物語を手軽に楽しみたいという需要に応えるだけでなく、作家ごとの持ち味を楽しむカタログのように読むこともできる。その意味で、ショートショート的なものにかつてのめり込み、そして飽いた経験のある読者にもお勧めしたい本だった。

書き手:品田遊(ダ・ヴィンチ・恐山)

小説家・ライター。株式会社バーグハンバーグバーグ社員。代表作に『名称未設定ファイル』(キノブックス)、『止まりだしたら走らない』(リトルモア)など。

【Twitter】@d_v_osorezan@d_d_osorezan@shinadayu

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