『誤配書簡』ウォルター・S・マスターマン/怖いご趣味ですのね(千葉集)

文字数 1,370文字

次に読む本を教えてくれる書評連載『読書標識』。

木曜更新担当は作家の千葉集さんです。

ウォルター・S・マスターマンの『誤配書簡』について語っていただきました。

書き手:千葉集

作家。はてなブログ『名馬であれば馬のうち』で映画・小説・漫画・ゲームなどについて記事を書く。創元社noteで小説を不定期連載中。

一般に探偵小説において、謎の真相を読者の目から隠すことが探偵作家の第一の責務であるとすれば、批評家の第一の義務もまた同様にそれを公にしないことであろう。したがってわたしも自分の口を手でふさがねばならない。この小説の最大の秘密を明かすことは、たとえ拷問を受けてもしてはならない。……なにか明かせることがあるとすれば、作者が書かなかったことを挙げるしかない。作者が書かなかったことを積みあげるという手段によってのみ、わたしは堅固な鋼鉄の塔を築けるだろう。

――G・K・チェスタトンの本書序文より

わたしもチェスタトンにならって口を手でふさぎながら語ることにしよう。


本書における名探偵、シルヴェスター・コリンズは、ロンドン警視庁の警視である友人のアーサー・シンクレアに協力を要請され、内務大臣殺人事件の捜査に乗り出す。


コリンズ自身は自分の探偵業を「趣味のようなもの」と形容する。


そして、それを聞いたある人物は、コリンズに対してこんな感慨を漏らすのだ。


「怖いご趣味ですのね」


探偵は怖い。


本来当事者でもなく、ときに自分に課された業務ですらない事件に容喙してはその暗部をえぐり出す。


殺人犯であろうとなかろうと、人には隠しておきたい秘密があるものだ。してみると、それを暴き出す探偵とは誰にとっても「怖い趣味」なのかもしれない。


シルヴェスター・コリンズも怖い探偵だ。


シャーロット・ホームズにも譬えられる怜悧な知性で、手早く状況を把握し、整理し、人に会っては最短距離でズケズケと聞きたいことを聞く。匿名の犯人らしき人物から脅迫めいたメッセージを受け取っても物怖じしない。人間の良心を信じる登場人物が「罰は人ではなく神が与えるべき」と主張しても、「犯罪者に良心を期待するのは無駄です」と切って捨てる。自分が探偵であること、探偵行為をすることに迷いがない。


彼の相棒であるシンクレア警視も、コリンズは「気になったことはなんだろうと放ってはおけず、手出しせずには気が済まない」性分であると評している。


探偵だから首をつっこみたがるわけではなく、首をつっこみたがるから探偵になる。その遠慮のなさが物語の速度にも影響を与え、本書を手軽に読める尺にまとめている。探偵であることは物語世界のサイズすらも規定してしまうわけだ。怖い怖い。


プロット的にもトリック的にもシンプルで、核となるしかけそのものは今となってはさして珍奇でもない。なにせ、1920年代の作品だ。


しかし、だからこそというべきか、殺人的なテンポの良さでジャンル的真理をあられもなくつきつけてくる。


そう。探偵小説っていうのは、怖いんだ。


その怖さは百年経っても古びない。

『誤配書簡』ウォルター・S・マスターマン/夏来健次 訳(扶桑社)
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