『モスクワの伯爵』エイモア・トールズ/残ることについて。(千葉集)

文字数 1,774文字

本を読むことは旅することに似ています。

この「読書標識」は旅するアナタを迷わせないためにある書評です。

今回は千葉集さんが、エイモア・トールズ『モスクワの伯爵』について語ってくれました。

うかつに外に出られない今日このごろなのですし、外に出られない人の話でもしましょうか。


ロシア革命から第二次大戦後にかけての激動期に翻弄される個人の運命を描いた大河ドラマ、といえば、まず名があがる作品はパステルナークの『ドクトル・ジバゴ』でしょうか。『ドクトル・ジバゴ』のユーリ・ジバゴとおなじく、本書の主人公であるロストフ伯爵も革命によって奪われる側に属していました。なにしろ生粋の貴族。革命政府にとっては打倒すべき帝政の象徴です。


革命勃発時にはロシア国外にいた伯爵でしたが、どういうわけか危険を承知で祖国へまいもどり、捕えられて裁判にかけられます。通常なら即刻死刑……でしたが、革命行動に影響を与えた詩の作者であったことから情状酌量され、モスクワの一流ホテル〈メトロポール〉の狭小な屋根裏部屋に軟禁されます。終身刑です。一九二二年、伯爵は三十二歳。それがはじまりの年です。


そこから一九五四年、伯爵六十四歳までの三十二年間が、普通の単行本よりやや大きめの判型で620ページぶん、みっちり描かれます。それだけ壮大な物語なら広大な北の大地を悲壮な面持ちであっちいったりこっちいったりしそうなものですが、この本の伯爵は三十二年間、かろやかにホテルに留まりつづけるのです。


そう、留まりつづけること。


それこそが伯爵の特質です。彼が革命前と変わらぬ気高き紳士としてホテル内で立ち振る舞っているあいだにも、ホテルの外では彼の馴染みだった百貨店やパン屋は味気のない無個性な店名に変更され、レーニンが死に、スターリンの大粛清の嵐が吹き荒れ、大祖国戦争で数千万単位の市民が死んでいきます。世の中は刻々と動いていく。しかし、それらの歴史的な奔流は伯爵へ直接影響しません。


共産党支配下でもひそかに「閣下」と呼ばれつづけるかれは、いわば歴史に取り残された亡霊です。戦後にはロシアどころか世界じゅうから消えてしまう、紳士階級の最後のひとりです。理想の未来へ邁進していくソビエト連邦で、旧時代の居残りがいったいなんの役に立てるというのでしょう。


逆です。居残ったものだからこそ果たせる役目がある。


料理やワインの質を下げろという圧力を意地の悪い支配人からの受けたならば、〈メトロポール〉内のレストランのマネジャーや料理長といった「同志」たちと手を結んで抗います(料理や食事は本作におけるとても重要なパートです)。


外交における紳士のコードを知りたいと教えを乞うてきた片田舎出身の党幹部がいれば、その生まれ持った洗練を教授します。


海外からの賓客がくれば、二十世紀初頭のメトロポリタンらしい鷹揚な人懐っこさでたちまち知己を得ます。


たまにふらりと偏屈な旧友が来訪してくれば、よろこんで文学談義の相手になってやります。


とある人物から娘を匿ってほしいと頼まれれば、保護者代わりの任をつとめるべく奮闘します。


三十二年のホテル暮らしを通じ、伯爵はさまざまな国籍や身分のひとびとと縁を結んでいくのです。


そうして、留まり、交わりつづけることこそが彼の大事なものを守ることにもつながります。彼の大事なもの。それは壊れやすいものであり、失われてしまったものであり、なにより純粋でうつくしいものです。いずれ旅立っていくものです。本書の大部分は、実はその大事なものとの関わりにおいて描かれます。


ホテルというのは本来、一時的な羽休めの場所です。長い目で見れば、一日滞在するのも、三十年滞在するのも、そう変わらないのかもしれませんね。けっきょく、ひとはいずれは外に出ないといけないわけですし……。

『モスクワの伯爵』エイモア・トールズ/宇佐川晶子 訳(早川書房)

千葉集

ライター。はてなブログ『名馬であれば馬のうち』で映画・小説・漫画・ゲームなどについて記事を書く。

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