『天を測る』刊行記念 対談 今野敏×小栗さくら「本当の幕末をお教えします」②

文字数 2,604文字

「隠蔽捜査」「ST」などの人気警察小説シリーズを手掛ける今野さんが、今回、初の歴史小説を執筆! そこで、歴史を舞台にマルチな活躍をするタレント・小栗さくらさんと幕末について語りあいました! 大河ドラマ『青天を衝け』放送前に必読です!


【構成・文】末國善己

今野敏(こんの・びん)

1955年、北海道三笠市生まれ。78年「怪物が街にやってくる」で問題小説新人賞を受賞しデビュー。以後旺盛な創作活動を続け、執筆範囲は警察・サスペンス・アクション・伝奇・SF小説など幅広い。2006年『隠蔽捜査』で吉川英治文学新人賞、08年に『果断 隠蔽捜査2』で山本周五郎賞及び日本推理作家協会賞、17年には「隠蔽捜査」シリーズで吉川英治文庫賞を受賞。空手の源流を追求する、「空手道今野塾」を主宰。

小栗さくら(おぐり・さくら)

博物館学芸員資格を持つ歴史好きタレントとして活動中しているほか、歴史番組・イベント・講演会等で、講演やMCとして多数、出演している。また、歴史系アーティスト「さくらゆき」のヴォーカルとして、戦国武将を中心に幕末志士、源平時代など様々な時代の人物をテーマに、日本全国でライブ活動中。「小説現代」2018年10月号にて、初小説「歳三が見た海」が、2020年4月号には、中村半次郎を主人公とした「波紋」が、2020年11月号には小栗忠順とその養子・又一を扱った掲載されている。

〇第二回 従来の歴史観を覆せ!


──二作とも、開明的な幕臣とされることが多い勝海舟が、否定的な描かれ方をしていましたね。


小栗 同じ幕臣といっても小栗家は先祖が家康から「又も一番槍」という意味で「又一」の名を賜ったとされる由緒ある名門。同じ幕臣でも忠順と海舟は徳川家への思いや立場が違っていたはずです。


今野 実際、海舟は口が巧いものの、実務能力に長けておらず、誇るべき業績はないんですね。


小栗 最後の将軍・徳川慶喜に仕えていた渋沢栄一が彼の記録をまとめた『昔夢会筆記』で、海舟の談話は盛られている、といった意味のことを書いていました(笑)。


今野 海舟が偉大な人物とされているのは、間違いなく司馬遼太郎さんの影響ですね。


小栗 忠順と海舟はライバル関係に描かれることも多いですが、私は立場が違うと思っています。海舟と同じように忠順も日本の行く末を気にしていましたが、一方で小栗家が仕える徳川家を捨てることができなかったと思います。忠順は最初、主戦論を唱えていましたが、慶喜が恭順したら上州で隠棲しています。彰義隊の渋沢にも誘われたようですが大義がないと断わった一方で、再び徳川が世に立つことになったら自分も参加すると発言していたそうです。


今野 現代人には理解できませんが、それが幕臣の普通の感覚だったと思います。幕府を拠り所にしているから、というのではないのですね。


小栗 今野さんの作品では、江戸の人たちの幕府への想いも自然に描かれていました。


今野 江戸の人たちは最も偉い将軍を尊敬するというのは、子供が親を尊敬するのと同じで当時、普通のことだったと思っています。


小栗 まさに忠順が幕府を親に喩えていて、親が病気の時に見捨てる子供はいないと述べていました。その後、忠順はその優秀さを買われ、幕府の中で次々と役職を替えていきました。合理主義で直言癖があったので敬遠する人物もいたようですが。忠順が処刑された原因については、幕府の軍備を担当したとか、幕府のお金を持って逃げたとか有り得ない憶測が多くはっきりしていません。


今野 海舟の陰謀説もありますよね。海舟は、忠順の悪口を吹聴してますし、友五郎のことも悪くいっています。


小栗 本当に海舟の陰謀だったかは別として、助命はしてくれませんでした。学問とは違い、小説は史実を客観的に追うだけでは書けません。忠順の視点で幕府の動向を考えていたら、海舟には腹の立つ部分もありました(笑)。


今野 小説を書くために必要なのは、モチベーションです。憤りとか、生きざまに感動するとかがなければ、小説は書けません。その意味で、小栗さんが描く忠順は本当にかっこよかったです。


小栗 幕臣は古くさいというイメージで語られがちですが、実は先進的で、攘夷が不可能なことも、開国が必要なことも分かっていました。忠順は、何も言い残すことなく亡くなりましたが、潔くも、後世の人間からすると歯がゆくもあり……。


今野 本当に、幕府のトップは頭がよかったと思います。交易をして国力をつけ、欧米と互角の外交をするところまで視野に入れていたんですから。また、江戸時代の科学力はあなどられていますが、和算で微分積分の問題を解いていたんですから、実際はかなり進んでいました。


小栗 今野さんもお書きになった友五郎とアメリカ人の測量対決や、アメリカで忠順が貨幣の金と銀の含有量を検査したことなどは、日本の国力のアピールになったと考えています。また、使節団の人たちが世界一周して帰って来る時に、欧米列強に支配されている世界の現実を目にしました。特に香港で現地の人たちが西洋人に鞭打たれているのには、危機感を抱いたはずです。そこからは、攘夷という発想は出てきません。


今野 外国を見てきたら戦争しても勝てないことが理解できるので、関門海峡で外国船を砲撃するような無茶は絶対にしません。

 幕府は、明治維新前に何度も欧米に使節団を送っているので、先進的な思想を持っていました。現代の日本人は、海舟が最も開明的だと考えがちですが、海舟は表面的な知識を持っていただけで、本当に外交問題に真剣に取り組んだのはもっと上の首脳です。二六〇年間、戦争をせずに国を守り、そのシステムを維持してきた幕臣たちはエリート集団ですから、当然、幕府の瓦解も予見していたでしょうね。


小栗 はい。忠順についても、幕府がなくなっても、横須賀の製鉄所に象徴される「土蔵」(忠順は製鉄所を「土蔵付きの売家」と表現しました)があれば、新しい買手がやっていけると考えて、幕府の滅亡を予感しつつも職務に邁進したんです。

1月25日更新・第3回につづく(全4回)
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