大人のショート・ショート⑤「居酒屋妖怪」/井口貴史

文字数 2,777文字

あっという間に読めてあっと驚く結末。

5分で読める大人のためのショート・ショート。

ちょっぴりダークで不思議な世界をのぞいてみませんか。

 居酒屋妖怪


「こんばんは」

「へい、らっしゃい」


引き戸の間から、青白い顔をした女がこちらを見ている。


「あ、どうも。さあ、どうぞお入り下さい」


来店したのは妖怪ろくろ首であった。女はニョロニョロと長い首を店内に伸ばしてきた。


「いつも鼻で引き戸を開けてすみません。胴体はまだこちらに向かっている途中なのですが外が寒くて。今晩も首だけ先にお邪魔しても大丈夫ですか?」


ろくろ首はとても長い首をしている妖怪だが、気遣いのできる優しい性格の持ち主である。


「何を水臭いことを言っているのですが、気にしないでくださいよ。今日も熱燗からお出しして大丈夫ですか?」

「ええ、今晩も寒かったから、ぜひとも熱燗をお願いします」

「はい、ご注文ありがとうございます!」


私は注文を受けると慣れた手つきで熱燗を作り、いつものようにカウンターテーブルの上に酒を差し出した。


「へい、お待ち」


徳利には耐熱ガラスで作られたストローが入っている。


「いつもお気遣いいただいて、ありがとうございます」


女は安心したような表情で浮かべ、微笑んでいた。


「いえいえ、どうぞ熱いうちに。今、お通しもお出ししますんで」

「はい、ありがとうございます。いただきます」


女はストローを咥えて、ゆっくり酒を飲んでいる。


「まあ、おいしい。大将、お酒おいしいですよ」

「ありがとうございます!」


引き戸は女の首の幅分だけ開いているので隙間風が入ってくるのだが、換気にちょうど良いので何の問題もない。私は女が食べやすいように、鮭とばとナスの浅漬けをスティック状にし、えんぴつ立てのように、それぞれ茶碗蒸しに使う器に盛り付けた。


「へい、お通しです」

「まあ、鮭とば私大好きなんです。それにナスも美味しそう」

「それはよかったです」


女は酒と酒肴を楽しんでいるようで、ポッと頬を明るくして、首がリズミカルに揺れていた。いろんな客に酒を提供しているが、不思議とこの女を見ているとなんだか癒される気持がある。お酒が好きなのに弱いところもなんだか可愛らしく思えた。


「食べたい料理ありましたら言ってくださいね、すぐ作りますんで」

「ありがとうございます」

「そういえばお客さん、もろきゅう好きですもんね」

「そうなんです。今夜も是非食べたいんです。大将、私の好物を覚えてくれて嬉しい」

「もちろん覚えていますよ」


私はもろきゅうの調理を進めようと、さっそく冷蔵庫の様子を見に行った。


「あー、まさか。うそだ。しまった」

私は大きな独り言を言ってしまった。どうやらいつの間にか味噌を切らしてしまったようだ。


「どうしたんですか」


振り向くと、女の顔が心配そうに私の顔を覗き込むように近づいてきていた。


「あ、すみません。お恥ずかしいところを見せてしまいまして。実は味噌を切らしてしまってまして…」

「まあ、それは大変」


今日はまだ営業時間もしばらくあるので、ここで味噌が切れるのは誠に問題がある。


「あの、お客さん!大変申し訳ないのですが、私、自転車ですぐに味噌を買ってきますので、20分くらい店をあけていいですか?」

「ええ。分かりました。全然構いませんよ」


女は、快く了承してくれた。


「でも、お客さんに万が一ご迷惑があってはいけませんので、このタブレットをカウンターに置いてビデオ通話にしておきます」

「タブレット?」


私は自分の持っているスマートフォンとタブレットを操作して、ビデオ通話画面を開いた。


「これで何かあっても私のスマートフォンとこのタブレットがビデオ電話で繋がっています。これで何かあっても対応できますので」

「まあ。素敵。他のお客さんが来ても、これなら何も問題ないですね」

「じゃあ、行ってきます!すぐに戻りますので」

「はい。行ってらっしゃい」


私は小銭を握り締めて、愛用のママチャリに飛び乗った。

10分くらい全力で自転車を漕ぐと、いつも利用しているスーパーに辿り着いた。

私は迷うことなくお決まりの味噌を手に取り、レジに向かった。


「それでは、お会計が462円でございます」

「はい、じゃあ。これで。え、ええ?嘘だ。やばい。まいったな」


レジで清算をしている途中、私は五百円玉と百円玉を間違えて持って来てしまったことに気がついた。


「あー、やっちゃった!せっかく来たのに…。弱ったなあ」


急いでいたとはいえ、大きなミスをしてしまった。私お金が足りない事情を店員に告げ、頭を下げた。仕方なく商品を元の棚に戻し、店に帰ろうかと思った時…。私は驚くべき姿を発見した。


「はっ、うそ、こんなことあるか~」


スーパーの入り口付近、買い物袋を手に持ったろくろ首の胴体が立っていることに気がついた。私は急いでスマートフォンを取り出して、店で酒を飲んでいる女に呼びかけた。


「お客さん!お客さん!すみません私です!聞こえてますか?」


私が問いかけると、すぐに頬を紅色に染めた女が、スマートフォンの画面に現れた。

女はニョロニョロと揺れながら「ふぇ~どうしましたのですか~」と明らかに酔っ払った表情で返答してくれた。私が事情を説明すると画面の中で女は笑い、すぐ目の前で立っている胴体がこちらを向いた。そうして買い物袋を持っていない左手の指でOKのサインをくれ、ゴソゴソと上着のポケットから千円札を取り出し私の前に差し出してくれた。


「ありがとうございます!これで味噌が買えます。急いで帰って美味しいもろきゅう作りますので、もう少し待っていてくださいねえ~」


私が深々とスマートフォンに頭を下げて、女に伝えると…。女は呂律の回っていない声で「ふぁーい。首を長くしてお待ちしております~」と、言った。


井口貴史(いぐち・たかし)

兵庫県淡路島出身。東京都在住。
2018年より『5分後に意外な結末』シリーズ(株式会社 Gakken)や『意味がわかると鳥肌が立つ話』シリーズ(株式会社 Gakken)に参加。近著として2023年7月発売『5分後に意外な結末ex インディゴを乗せた旅の果て』(株式会社 Gakken)にて『見てる』と『ちっぽけ』を収載。主にショートショート作品を創作。
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