〈5月31日〉 西村京太郎

文字数 1,122文字

 コロナで外出せず、一日中本を読み、TVを見て、原稿を直す。充実しているがつまらぬ。
 今日はダービーである。売れない頃、一年間、府中の東京競馬場で警備員のアルバイトをしていた。昔々の話である。日当五百円。G1の日は百円、ダービーの日は二百円のボーナスが出た。
 私の記憶にある名馬といえば、誰が何といおうとハイセイコーである。地方競馬(大井だったと思う)出身で、血統もよくわからぬ。何処(どこ)の馬の骨ともわからぬが、大柄な馬体で、中央競馬に出てくるや連戦連勝、それもハナとか1/2馬身というケチな勝ち方ではなく、何馬身も引き離しての圧勝に、たちまち地方出身の若者たちや不遇を嘆く連中がハイセイコーのファンになった。
 そしてダービーに登場。予想はガチガチの本命。誰もが、いならぶ名馬を蹴散らしての圧勝――しなかった。コロリと負けてしまったのである。しかし、
(バカヤロウ! 肝心の時に負けやがって!)
 とは、ならなかった。それどころかコロリと負けたハイセイコーを、みんな一層好きになった。毎日一所懸命がんばってるのに、肝心の時ヘマをしてしまう連中も、ただの怠け者も、不遇な連中は、みんな自分をハイセイコーに投影したのだ。売れない作家の私も。
 結局、われらがハイセイコーは、連戦連勝とG1コロリを繰り返して終ったような気がするが、だからこそ、みんなハイセイコーを愛したともいえる。
 引退したあと、ハイセイコーの騎手(ジョッキー)が、『さらばハイセイコー』というレコードを出した。素人歌手だから、声がふるえる。それがまた哀切を帯びてたまらなかった。競馬の歌で、ベストセラーになった例を他に知らない。
 私も歌った。途中の歌詞を忘れても、最後に「さらばハイセイコー!」と叫ぶと、何故か涙が出た。不覚である。
 今年のダービーは、ピカピカの血統馬が予想どおり圧勝した。こういう競馬も悪くはないが、私としては、第二のハイセイコーが出て来て欲しい。これは本気である。


西村京太郎(にしむら・きょうたろう)
1930年、東京生まれ。1963年に『歪んだ朝』でオール讀物推理小説新人賞、1965年に『天使の傷痕』で江戸川乱歩賞を受賞。1981年に『終着駅(ターミナル)殺人事件』で日本推理作家協会賞長編部門を受賞。鉄道推理に新境地をひらき、トラベルミステリー隆盛の先駆者となった。人気・実力ともに他の追随を許さない超流行作家である。2004年に第8回日本ミステリー文学大賞、2019年に「十津川警部」シリーズで第4回吉川英治文庫賞を受賞。

【近著】  

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