犬は、可愛い!

文字数 1,337文字

 犬は可愛い。
 そう改めて実感したのは、とある小説の企画が通り、いざ執筆開始! というタイミングでのこと。記録的な大型台風が迫っていた夏の夜だった。

 現在は生活様式がすっかり様変わりしたが、当時、私は昼夜を問わず外での執筆が多かった。その台風が迫る夜も、ファミレスへと向かうべく自転車で家を出て――住宅街の中の十字路で、急ブレーキをかけた。
 何かが、ダッ、と目の前を横切ったからだ。
 猫にしては大きかったような? と疑問に思っていると、「すみません」と声がした。それが謝罪だと気づいたのは、一人のお爺さんが息を切らして走ってきてからだった。散歩中に犬のリードを放してしまったという。
 見れば、少し離れたところに若い柴犬がいた。
 舌を出して、パタパタ尻尾を振っている。完全に遊びたいモードだ。しかし、既にパラパラと小雨が降り始めている。
 手伝いますよ、と自転車から降りて、私は捕獲協力を申し出た。
 犬について、私は多少の心得がある……と思っている。実家が犬と縁の深い家で、物心つく前から触れ合う機会が多かったためだ。今でも通りすがりの犬によく懐かれる。
 逃走中の柴犬も同じだった。触れられるほどの距離まで接近してきては、手をかわしてダッシュ。その繰り返し。とても楽しそうだったが、散歩前にお酒を飲んできてしまったというお爺さんは体力が尽きて途方に暮れている。風雨も強まってきている。
 さて、どうしたものかと考えていると、柴犬がどこかへ向かって駆け出した。時々、立ち止まってはこちらを振り返り、また駆けてゆく……あ、なるほど。
「ご自宅はあちらですか?」
「ええ、そうですが……あっ」
 道の先を見て尋ねると、疲労困憊だったお爺さんも気づいたらしい。柴犬が消えた角を曲がると、とある家の門前で彼は待っていた。「あそこ、うちです」とお爺さんが安心したようにため息をつく。こうして賢い柴犬は、ご主人を先導して帰宅したのだ。
 一方、大して役に立たず、柴犬に遊んでもらっただけの私は、その晩、台風に吹き飛ばされそうになるファミレスの一角で、思いがけず出会った柴犬を思い出しながら、予定通りとある小説――豆柴犬が元気にお散歩する物語『豆しばジャックは名探偵』を書き始めたのだった。

 ちょっと手のかかることがあっても、それでも犬は可愛い。
 その気持ちを、今月2巻が出る本シリーズで読者の皆様と共有できれば嬉しい。そして台風の時や、今の季節なら寒さの厳しい夜には、どうか外飼いの愛犬も家の中にしまってやってください。



三萩せんや(みはぎ・せんや)
宮城県生まれ。埼玉県在住。第7回GA文庫大賞奨励賞、第20回スニーカー大賞特別賞、第2回ダ・ヴィンチ「本の物語」大賞を受賞し、『神さまのいる書店 まほろばの夏』(KADOKAWA)でデビュー。主な著作に「後宮妖幻想奇譚」シリーズ、「魔法使いと契約結婚」シリーズ、『鎌倉やおよろず骨董堂 つくも神探偵はじめました』(双葉文庫)、映画ノベライズ『弱虫ペダル』(角川文庫)などがある。


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