第49回

文字数 2,617文字

本気であったかくなってきた! 春のうららかな陽光にもマケズ、ひきこもりを続けるぞ。


どんな季節も自室に籠城、

インターネットが私たちの庭なんです。


脳内とネットでは饒舌な「ひきこもり」の代弁者・カレー沢薫がお届けする、

困難な時代のサバイブ術!

「ひきこもり」とひと言でいっても色んなタイプがおり、それに至った経緯も様々である。


ひきこもりの発生には時代や環境も大きく影響しているため、必ずしも本人だけのせいとは言えないのである。

よって、甘ったれるなと猛ビンタをかまして外に引きずり出せば解決するというものでもない。

むしろそれは逆効果であり、よりひきこもるか、外には出てきたが履歴書の代わりに日本刀や火炎瓶を持っている、という事態になりかねない。


ひきこもりは本人だけのせいではない。


だが交通事故の過失割合も、停まっている車に追突でもしない限り、なかなか10対0にならない。

それと同じように、「ひきこもり」も、見知らぬ人間に部屋に監禁されているなど、ひきこもりというよりもはや「拉致」でないかぎり「全く本人のせいではない」というケースはあまりない。

その過失割合は様々であり、中には限りなく「10:0」に近いひきこもりもやはりいるのだ。


それが前回書いた、「ひきこもりがただの面倒くさがり野郎であることも否定できない」という話である。

私のように他者から明確に攻撃されたり、はじかれた経験があるわけでもなく、ただ外に出て他人と関わるのが「面倒」でひきこもっているタイプも少なくはない。


ある意味これが一番いかんともしがたい。

例えばパワハラが原因でひきこもったなら、そういったことが起こらない環境さえあれば社会復帰できる可能性が高いが、面倒くさがりという性質を変えるのは合法の範囲ではなかなか難しい。


「怒り」や「妬み」など負の感情に振り回されてしまう人間は多いし、「尊い」というポジティブな感情が過ぎて死んでしまうオタクという人種もいる。


しかし有害感情は数あれど、この「面倒」ほど人命を直接脅かすものはない気がする。


一応「憤死」という死に方もあるが、あまりメジャーとは言えず、憤死した有名人で調べてみても「ボニファティウス8世」というはじめましてな人の名前が出てくる。

ちなみに「三国志」にも憤死が多く、その原因は大体諸葛亮孔明にあるそうだ。

それはもう憤死というより「死因:孔明」な気がする。


孔明と関わらない限りは滅多にすることがない憤死に対し、面倒が死因になっているケースは非常に多い。


まず「呼吸が面倒」になったら確実に死ぬ。

それだけではなく、「安全確認を面倒くさがったがための事故」というのは非常に多い。

また、病気もどれだけ気をつけても罹る時は罹るが、生活習慣で防げる病(ビョウ)も多い。

それにもかかわらず「十分な睡眠とバランスの取れた食事に適度な運動」という生活が死ぬほど面倒くさいという理由でリアル死を迎える人間は後を絶たないのだ。


人間関係でも「ひと言断っておけば起こらなかった誤解」も多いし「ありがとう、のひと言で防げた離婚」もある。

もちろん「一言多い」というケースもあるが、面倒くさがったせいでこじれてしまう人間関係は多い。

例外として「部屋に行く前にコンビニに寄るのを面倒臭がったせいで生まれた生命」という、面倒臭さが新しい命を生み出すケースもあるが、奪うケースの方が圧倒的に多いのだ。


あいさつも「おはようございます」や「お先失礼します」ぐらいは言えるし、むしろその二言しか発さない日もあるのだが、会社を出たり入ったりするたびに言うのは面倒だし、仕事納めの日に「よいお年を」などと言うのは、面倒を越えたハードルの高さを感じる。


しかし、そういった「面倒だからしない」の積み重ねが「社会性がない」「無礼」「気が利かない」という、社会的死因に繋がることも珍しくないのだ。


このように、あらゆる死を招く「面倒」という感情だが、最近は「アンガーマネージメント」という怒りをコントロールする方法が注目を集めている。


これと同じように「面倒」もコントロールできれば、ひきこもりだけではなく、あらゆる事故を未然に防げるのではないだろうか。


まず「面倒」という感情はどうして生まれるのか。

「面倒」という感情はただ時間や体力を使う行為に起こるものではない。


漫画の刃牙にも「人間はトイレにいくのも面倒くさがることがあるくせに、旅行のためなら何時間もかけて何万キロも移動したりする」というシーンがあったような気がする。


何故、旅行のための長時間移動に面倒という感情が起きないかというと、行先であるインドやアムステルダム、カナダの一部地域に興味津々だからである。

ちなみに場所に他意はない。


片や「己の排尿行為に興味津々」という人は少なく、大体の人がトイレに行かないともっと面倒なことになるか、状況によっては社会的に死ぬので「仕方なく」行っていると思う。


このように、「面倒」という感情は興味のないものに対し起こりやすいのだ。

つまり面倒くさがりな人間というのは、「怠惰」なだけではなく「興味の幅が著しく狭い」可能性がある。


よって、興味が持てないことに関して「便座に座ってからどれだけ我慢できるかタイムを競う」など、少しでも興味を持てる要素を見つければ、面倒という感情はかなり軽減されるのではないだろうか。


だとすると、面倒くさがりタイプのひきこもりは「外の世界と他人に興味がなさすぎ」ということにもなる。


周囲に理解が得られずひきこもってしまうケースも多いが、まず自分が他人に興味を持っていないのに、周りに自分のことをわかってくれというのも無茶な話なのだ。

カレー沢薫

漫画家・コラムニスト。長州出身の維新派。漫画作品に『クレムリン』『アンモラルカスタマイズZ』『ニコニコはんしょくアクマ』『やわらかい。課長 起田総司』『ヤリへん』『猫工船』『きみにかわれるまえに』。エッセイに『負ける技術』『もっと負ける技術』『負ける言葉365』『猥談ひとり旅』『非リア王』など。現在「モーニング」で『ひとりでしにたい』連載中&第1巻発売中。最新刊『きみにかわれるまえに』(日本文芸社)も発売中

★次回更新は4月9日(金)です。
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