『消失の惑星』早川書房/消えた星の重力に引かれる(千葉集)

文字数 1,719文字

次に読む本を教えてくれる書評連載『読書標識』。

木曜更新担当は作家の千葉集さんです。

今回は『消失の惑星【ほし】』について紹介していただきました。

書き手:千葉集

作家。はてなブログ『名馬であれば馬のうち』で映画・小説・漫画・ゲームなどについて記事を書く。創元社noteで小説を不定期連載中。

「街の人たちががけの上を見にいったら、なんにも残ってなかった。人も、建物も、信号機も、道路も、木も、草も。月の上みたいに、なんにもなかったんだって」


「みんなどこにいっちゃったの?」


「流されたんだよ。波が全部さらっていっちゃったの。こうやって」


――ジュリア・フィリップス、井上里・訳『消失の惑星』

夏休みに浜辺で遊んでいた幼い姉妹が、忽然と消え失せる。目撃者の証言によると、正体不明の男に連れ去られたようで、警察は誘拐事件として捜査に乗り出す。一方、事件の起こった田舎のコミュニティでは、だれもかれもが姉妹誘拐を話題のネタとして消費していく……。


無垢な少女の失踪、誘拐。そんなあらすじだけ見れば、アメリカのミステリ作品のようです。その感覚は案外的外れでもなくて、作者のフィリップスはアメリカ生まれのアメリカ人。しかし、フィリップスが舞台に選んだのは、ロシアのカムチャツカ半島でした。


カムチャツカ半島は日本列島から見て北東に位置している地域です。ロシアの広大な国土の東端にぶらりと垂れている、あのあたりですね。日本と韓国を足した程もある面積の土地に、スラヴ系や先住民系を取り混ぜた約三十六万人が住まっているのですが、そんな場所にも――あるいは寂しく閉ざされた場所だからこそ――暴力は息づいている。


本書における暴力とは殺人や誘拐といったわかりやすい形のみならず、個人の日常にのしかかってくる息苦しさとしても表れます。それは他者からのの束縛であったり、少数者への抑圧であったり、迫る死への不安であったり、愛する人や存在との突然の別れであったり。


物語は事件の発生した八月を起点として、一月ごとに一章分、中心となる登場人物を入れ替えながら全十三章で進行していきます。視点人物はすべて女性です。彼女たちは立場も人種も年齢もバラバラで、物語もそれぞれで独立しています。しかし、読み進めるうちにあるチャプターで脇役だった人物が別のチャプターで主役になっていたりして、ゆるやかなつながりが見出されていきます。


たとえばオーリャという女の子は親友の母親ワレンチナから突然「ウチの娘と今後一切話さないで」と通告されます。ワレンチナは、どうもオーリャの家庭が片親世帯であることが気に食わないらしい。オーリャのチャプターでは、ワレンチナの内心は伺いしれず、彼女が移民やシングルマザーに対して差別的な意識をもっていることが断片的に示唆される程度です。


しかし別の章でワレンチナが主人公となると、ソ連時代を懐かしむ懐古主義兼排外主義者であることはたしかなのだけれど、そのマインドの由来のようなものが垣間見え、彼女も彼女で結構ギリギリの状態で生きているのだなと知れます。


そして、オーリャの不安にもワレンチナの不安定さにも姉妹誘拐が陰を落としています。ふたりにかぎらず、どの章でもそうです。


いっけん関連の薄い複数人がそれぞれの人生の鬱屈と暗闘しつつ、やがてクライマックスのある一点に至って弾ける構成は、最近だとトミー・オレンジの『ゼアゼア』も想起させますね。


※『ゼアゼア』の書評記事はこちら


消えた姉妹は、カムチャツカに生きる女性たちのゆるやかな声たちをひとつらなりのポリフォニーとしてつなぎとめるか細い縫い糸の役割を果たします。そこから消えることで重力を発するようになり、さまざまな人の人生の影響を与えるのです。そしてそういうふうに作用する劇中の天体は姉妹だけではありません。彼女たちひとりひとりに惑星が設定されている。


おそらく、わたしたちにも。

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