『夜のこと』pha/永遠に文章を書き続けていたい(岩倉文也)

文字数 2,213文字

書評『読書標識』、月曜日更新担当は詩人の岩倉文也さんです。

『夜のこと』(pha)について語ってくれました。

書き手:岩倉文也

詩人。1998年福島生まれ。2017年、毎日歌壇賞の最優秀作品に選出。2018年「ユリイカの新人」受賞。また、同年『詩と思想』読者投稿欄最優秀作品にも選出される。代表作に『傾いた夜空の下で』(青土社)、『あの夏ぼくは天使を見た』(KADOKAWA)等。

Twitter:@fumiya_iwakura

ぼくは人間の持つもっとも美しい感情は〝あこがれ〟だと思っている。あこがれ。「物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂(たま)かとぞ見る」という和泉式部の和歌が示すとおり、あこがれとは本来、からだから魂が離れてしまうことを意味していた。強くなにかを思うとき、魂は身を抜け出して、人はうわの空になる。そうして生まれた抜け殻の身体にこそ、あらゆる創作の契機はひそんでいる。


pha(ファ)さんの新刊である『夜のこと』は、内容だけ見るのなら、これは性愛にまつわる短編をまとめた連作小説集ということになるだろう。しかしその外殻を形成しているのは、小説を書くとは、また自分を語るとは何なのかという、絶えざる問いの意識である。いや、より正確に言うのであれば、本作のプロトタイプである同人誌版と本作との比較を通して、そうした著者の苦闘の跡が、ありありと浮かび上がってくるのである。


思えば、昨年の文学フリマで頒布された『夜のこと』及び『夜のこと2』をはじめて読んだときのぼくの衝撃は大きかった。同人誌版では作品が小説であるともエッセイであるとも明示されておらず、いきなり本編がはじまるため、ある種の戸惑いと浮遊感を抱いたまま一気に読み通したことを覚えている。文体はあくまでエッセイ的に軽やかであり、けれど内容はかなり露骨に性愛について語っている。不思議だ。くらくらする。虚構とも実話ともつかぬその語り口に、ぼくはすっかり魅了されてしまった。


それで今回、それら同人誌版を再構成し、増補した書籍版と、元となった同人誌版とを読み比べながら、ぼくは端的に、小説とはなんだろう? と思った。


たとえば「23時錦糸町」という短編の末尾は同人誌版ではこうなっている。

僕が見ていることに気づくと、彼女は僕に体をくっつけてきて、顔はうつむいたまま、

「また遊ぼ」

と言った。

僕は、

「うん」

と答えた。

これは後朝を描いた場面であり、女性と共に帰りの電車に乗っているのである。同人誌版ではここで終わっているのであるが、書籍版では次の一文が追加されている。

電車が隅田川を渡る橋に差しかかって、音を立てて揺れ始めた。川の水面は陽の光を受けてきらきらと輝いていて、その真ん中を、近未来的なフォルムの船が下流から上流へとまっすぐに進んでいった。

また、これはあまりに些細であると思われるかもしれないが、見落としてはならない変更点が「温泉旅行」には見られる。これは男友達と「僕」が旅行に出かけるという内容の短編で、旅先へと向かう際、駅の売店で「僕」が購入する弁当が同人誌版では「牛そぼろ弁当」であるのが、書籍版では「特撰炭火焼き牛たん弁当」に変更されているのである。


一体、小説とはなんだろう? とぼくは再び思う。それはたぶん、ディテールという名の、小説〝らしさ〟の集積のことなのだ。人は何をもって小説を小説とするのか。風景が描写されていれば、結末に余韻があれば、また細々とした物品に具象的な名前がついていれば、人はそれに小説を感じる。「牛そぼろ弁当」よりも「特撰炭火焼き牛たん弁当」の方がより小説的なのだ。


そして小説を書こうという著者の試みは見事に成功している。ぼくは本作に、まぎれもない小説を感じた。構成は緊密であり、新たに「現在」の視点が追加されることで、作中の短編との間に時間的な隔たりが生まれ、一種の枠物語として機能しているところにも唸らされた。


だけど、とついぼくは欲張ってしまう。本作が小説として、一個の読み物として完成されていればいるほど、元の同人誌版にあった怪しい魅力が、感じられにくくなっていると思えてしまうのだ。


ぼくは、よく分からないものが好きなのである。

書くことと恋は似ていると思う。それはどちらも、よくわからない未知のものに向かって手を伸ばす行為だ。そしてそれはどちらも、実際に手に入れてしまうと最初の輝きを失ってしまうものだ。(中略)それならば、僕は手に入れないままでいい。何も手にしないままで、遠くに見える光をずっと追いかけていたい。終わらない片思いの中で、永遠に文章を書き続けていたい。

その点、本作最終章に据えられたこの言葉はぼくの胸に響く。数々の恋愛も、虚無も、生きづらさも、全てが後景に退き、ただ未知にあこがれながら、純一に文章を書きつづけることを願う「僕」の姿が、最後には現れる。


小説だとかエッセイだとか、本当はそんなものどこにもないのだ。あるのはただ書くことへの意志と、書き記された言葉だけ。


本書はそれ自体が、書くという行為に対する、著者のしたたかな決意表明にもなっているのである。

『夜のこと』pha(扶桑社)

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