第62話 芸能人の薬物疑惑をSNSで公開したことで――

文字数 2,584文字

「俺が昔から趣味のない仕事人間だってことは、お前が一番よく知ってるだろう?」
「ああ、そうだったな。文芸部にいたときは、村越泰山(むらこしたいざん)先生の自宅前に停(と)めた車の中で締め切りのたびに徹夜していたよな。一人じゃ暇だからって、担当じゃない俺を呼び出してトランプや将棋を朝まで付き合わせたよな? 迷惑だったけど、小学校時代の修学旅行を思い出して楽しかったよ」
 鈴村が懐かしそうに眼を細めた。
「忘れたよ」
 立浪は、開きそうになる記憶の扉を閉めた。
「こっちに、戻ってくればいいじゃないか」
 鈴村が柔和(にゅうわ)な瞳で立浪をみつめた。
 突然、ドアが開いた。
「立浪君っ、やってくれたね!」
ゆるふわの天然パーマに赤縁の丸眼鏡(まるめがね)……編集長の伊佐見(いさみ)が、ヒステリックに叫びながらミーティングルームに入ってくると立浪を睨みつけた。
「編集長、とりあえず座って話しましょう」
 続いて現れた編集長代理の近田(ちかだ)が、伊佐見に椅子を勧めた。
「花巻なんてブラックジャーナリストと繫(つな)がっていたのも驚きだが、牧野健を陥れるために薬物を仕込んだっていうのは本当なのか!?
 伊佐見は立ったまま、立浪を問い詰めた。
「結論から言います。薬物を仕込んだりしてません。『YouTube』での花巻さんの発言は、すべてでたらめです」
 立浪は立ち上がり、伊佐見に言った。
「君が牧野健に薬物を仕込んだというのがでたらめでも、『帝都プロ』のドル箱タレントの薬物スキャンダルを動画で拡散したのは事実だろうが!」
伊佐見が金切り声を上げながら、立浪を指差した。
「はい。なにか問題がありますか?」
立浪は涼しい顔で訊(たず)ねた。
「な、なにか問題があるかだと!? 立浪君っ、君は開き直ってるのか!」
伊佐見が、人差し指をさらに立浪の顔に近づけた。
「開き直ってなんかいませんよ。私は写真週刊誌の編集者として、トップタレントの薬物スキャンダルを報じただけです。会社に迷惑がかからないように、『スラッシュ』の誌面ではなく個人のアカウントを使いSNSで拡散しました。個人のアカウントを使ったことに問題があるんですか?」
「まあまあまあ。立浪ちゃん……そんな言いかたしないで、編集長に謝ったほうがいいって。編集長も落ち着いてください。立浪ちゃんも犯人扱いされて、イラ立っているだけですから」
 近田が立浪と伊佐見の間に割って入り、明るい声で執(と)り成(な)した。
「君は引っ込んでろ!」
伊佐見が一喝(いっかつ)すると、近田が首を竦(すく)めた。
「いいか!? 『帝都プロ』と問題を起こしてはならない、所属タレントをターゲットにしてはならないというのはウチの……いいや、マスコミ界の常識でしょうが! それを、事務所で一番の稼ぎ頭の牧野健をスクープするなんて……大いに問題だろう! 個人のアカウントを使ってSNSで拡散しているから関係ないみたいな言いかたをしてるけど、『スラッシュ』の編集部に君の籍がある以上、火の粉(こ)はすべて私にかかってくるんだよ!」
 伊佐見が赤縁眼鏡の奥の眼を見開き、金切り声で立浪を責め立てた。
「そうです。私は『スラッシュ』の編集者です。私が薬物を仕込んだのなら、どんな責任でも取ります。ですが、私がやったのは世間の注目を集める売れっ子タレントのスクープを撮ったことです。部数増も確実だし、普通なら褒(ほ)められることはあっても激怒されることはありません。少なくとも、圧力を恐れて大手プロダクションに忖度(そんたく)するよりましだと思いますが」
「な、な、なんだって!?
立浪の言葉に、伊佐見が血相を変えた。
「立浪ちゃん、その言いかたはよくないよっ。謝ったほうがいい」
 慌てて近田が立浪を諭した。
 鈴村はため息を吐(つ)きながら、首を横に振っていた。
「もう遅いよ! 編集長を馬鹿にする編集者を置いておくわけにはいかない! これだけのことをやったんだから、覚悟はできているんだろうな!?
伊佐見がふたたび指を突きつけ、立浪を恫喝(どうかつ)してきた。
 立浪は伊佐見の人差し指を握った。
「本当に世の中に伝えなければならないスクープを揉み消し、弱い者いじめの記事しか出さない写真週刊誌なんて、こっちから願い下げです」
 立浪の言葉に、鈴村が頭を抱え近田が顔を強張らせた。
「君って奴は……私にたいしてこんな態度を取ったことを必ず後悔させてやるからな!」
「いまやるべきことをやらないほうが、百倍後悔しますから。では、やることがあるので私はこれで」
 立浪は伊佐見の腕を払いのけ、フロアを出た。
「おい、待てよ。どこに行くんだ?」
エレベーターに乗り込んだ立浪のあとを追いかけてきた鈴村が、怪訝な顔で訊ねた。
「警察だ」
「警察? あ、達臣の動画を渡しに行くのか?」
「いいや」
 立浪は即答した。
「だったら、なにをしに行くんだ? 花巻さんがあんな動画を出したから、警察はお前を疑って……」
「だからさ。まずは警察に出向いて疑いを晴らしてくるつもりだ。疑念を抱かせたままだと、なにかと厄介(やっかい)だからな」
 爆弾を投下する前に、足元の地雷を撤去する必要があった。
「まずは……って、お前、なにをする気だ?」
 鈴村が不安そうな顔を立浪に向けた。
「なにって、決まってるだろう」
 立浪は、燃え立つ瞳で鈴村を見据えた。
「まさか……」
 鈴村が息を吞んだ。
「ああ。抹殺しなければならない相手が、もう一人増えたよ」
 立浪は冷え冷えとした声で言い残し、エレベーターを降りるとエントランスを出た。
                   ☆
 警察署を出た足で立浪は、まっすぐに西新宿に向かった。
 警察では長期戦になると覚悟していたが、予想に反して立浪は十五分もかからずに解放された。
 立浪は「リアルジャーナル」の入る雑居ビルの前で足を止めた。
「あんた……いったい、どういうつもりだ?」
 立浪は脳内に浮かぶ花巻に語りかけ、エントランスに足を踏み入れた。

*つづきは発売中の『嫌われ者の矜持』(1870円 光文社)でお楽しみください。

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