第8回 文章講座 秋元康③

文字数 3,352文字

メフィスト賞作家・木元哉多、脳内をすべて明かします。


メフィスト賞受賞シリーズにしてNHKでドラマ化も果たした「閻魔堂沙羅の推理奇譚」シリーズ。

その著者の木元哉多さんが語るのは――推理小説の作り方のすべて!


noteで好評連載中の記事が、treeに短期集中連載決定!

前回はこちら

    乃木坂46の『サヨナラの意味』という歌詞を取りあげます。


    電車が近づく    気配が好きなんだ    高架線のその下で耳を澄ましてた

    柱の落書き    数字とイニシャルは    誰が誰に何を残そうとしたのだろう

    歳月(とき)の流れは    教えてくれる

    過ぎ去った普通の日々が    かけがえのない足跡と


「電車の音が聞こえてくる」と書かずに、「電車が近づく気配が好きなんだ」と書くところがいい。これだけで、近づいてくる電車の音に耳を澄ましている女の子の姿がイメージできます。

「高架線の下」とあるので、場所は河川敷でしょうか。川の向こう岸から、橋を渡って電車の音がガタンゴトンと近づいてくる。その場所だと、電車自体は見えないのかもしれません。

    ただ、音だけ聞こえる。冒頭から「電車の音」が強調されています。これだけでも五感を刺激して、映像を喚起させています。

    なぜ彼女は電車の音が好きなのか。

    その場所は、子供のころによく遊んだ場所で、楽しい思い出があるのかもしれません。


    秋元康の歌詞は、数十秒の情景を切り取ったものが多い。絵画や写真より、数十秒の動画という感じです。

『12秒』は、目を閉じてキスされるまでの十二秒。『センチメンタルトレイン』は、電車が駅に着いて、好きな女の子が乗り込んでくるまでの数十秒。そして『サヨナラの意味』は、電車が近づいてきて、通り過ぎるまでの数十秒です。

「柱の落書き」も映像喚起力の強い言葉です。その柱に、意味不明の数字とイニシャルが書かれている。それがなぜか、彼女の目にとまる。

    彼女はこのあとサヨナラをしなければならない状況にあります。恋人や友人に別れを告げるのかもしれないし、故郷を(親元を)離れるのかもしれない。あるいは学校を卒業するのかもしれない。そこはどう捉えてもいいように、余白を残しています。

    サヨナラをするのは寂しいことだし、勇気のいることです。それで心細くなって、楽しい思い出のある場所に来てしまったのかもしれない。

    そういうときは、普段は気にならないものが、たとえば柱の落書きが、なぜか気になってしまうものです。


    この歌詞のポイントは、「電車、足跡、柱の落書き」を人生のメタファー(暗喩)としてうまく使っている点です。

    電車は基本的にバックせず、前にしか進みません。同様に、人生も前にしか進まない。過去には戻れない。

    電車が通り過ぎたあとには、しばらくのあいだ、電車の走行音は残ります。でも、それもやがて消える。

    同様に、人生が過ぎ去ったあとも足跡(そくせき)は残るし、人間が歩き去ったあとにも足跡(あしあと)は残る。しかし、それもやがて風化して消える。

    柱の落書きも、しばらくは残りますが、風雨にさらされてやがて消え去ります。

「電車、足跡、柱の落書き」。この三つに共通するのは、前にしか進めず、あとに残るものはやがて消えるということです。

    ひとことで言えば、無常。

「電車、足跡、柱の落書き」をメタファーとして使って、人生の無常を表しています。この短い歌詞のなかに、一つの言葉の無駄もなく、全部収まっています。


    特に「柱の落書き」に注目します。

    人生を電車に例えるのはままあります。人生を登山やマラソンに例えるのがよくあるように。

    ですが、「柱の落書き」を持ってくるのは普通のセンスじゃない。

    これを分かりやすく説明するために、電車が近づいてきて通り過ぎるまでの情景を、小説風に書いてみます。


    電車の音が近づいてくる。

    僕は高架線の下に腰を下ろし、音だけを聞きたかったから、目を閉じた。

    音は少しずつボリュームを上げて、真上を通り過ぎる。その振動で、僕の体は少し震えた。やがて音はかなたに消え去り、僕は目を開ける。

    ふと、高架線の柱に、小さな落書きがあるのを見つけた。

    HY9834、とある。

    どういう意味だろう。

    僕は「HY9834」とつぶやき、ちょっとだけ想像してみる。ここにこれを書いた人間のことを。

    もしかしたら1998年3月4日に、ここにHYさんがいたのかもしれない。そのHYさんはヤマダヒサシさんかもしれないし、ヨシダヒロユキさんかもしれない。そして彼は1998年3月4日に、まさに自分がここにいたという記録を残すために、HY9834と落書きしたのかもしれない。

    でも、なんで?

    野球部の部室なら分かる。高校三年間、ここで汗を流して青春を過ごした記録を残したくて、卒業式の日に部室の壁に自分の名前を書き残すみたいに。

    僕は想像する。

    1998年3月4日に、HYさんがここに立って、柱に落書きしているところを。

    その落書きは、二十年以上の風雨にさらされて消えかかっている。だけど、その落書きは叫んでいる。僕は1998年3月4日にここにいたんだと。

    HYという名前のついた僕が、確かにここに立っていたんだと。

    ふと思う。HYさんはもうこの世にいないのかもしれない。1998年3月4日にここにいたHYさんは、そのあと病気かなにかで、もう死んでいるのかもしれない。

    いや、1998年3月4日にHYさんはここにいなかった可能性もある。

    ここにHY9834と落書きしたHYさんは、銀行口座の暗証番号を忘れてしまったときのために、ここに書きとめておいただけかもしれない。

    だとしたら、HYさんはかなりの変人だ。

    僕はここに落書きした二人のHYさんを想像して、ふと笑ってしまう。

    ふたたび電車の音が近づいてくる。

    僕は立ちあがり、歩きだす。

    高架線を通り過ぎるその轟音に、僕の足音はかき消された。


    という感じです。「電車、足跡(足音)、柱の落書き(数字とイニシャル)」の三つのワードを、三題噺ふうに組み合わせて小説的に「無常」を表すと、こんな感じになります。

    物語としては1998年3月4日に、まさにその場所で電車にひかれて自殺した人がいたことを知って、彼は事件に巻き込まれていきます(僕は書かないので、もし書きたかったらどうぞ)。

    小説の文体は、読者を主人公に感情移入させて、ストーリーを運ばせることを目的としています。逆に歌詞や俳句は、わずかな言葉で情景を浮かびあがらせることを目的としています。

    歌詞や俳句の文体をそのまま小説で用いると、ストーリーを走らせるスピード感が損なわれるので、一般的によくありません。

    ただ、もちろん共通する部分はあります。

    この歌詞のいいところは、「柱の落書き    数字とイニシャルは    誰が誰に何を残そうとしたのだろう」という、たったこれだけの文章で、主人公の心の動きをふくめた情景を的確に捉えているところです。つまり心理描写になっている。

    この主人公が、何かにサヨナラを告げて、人生の一歩を踏みだそうとしている。その別れがどんなにつらくても、そこで失ったものが二度と取り戻すことのできないものだとしても、ためらわず踏みだしていく。まさにその瞬間を捉えています。

    次回は『制服のマネキン』を取りあげます。

木元哉多さんのnoteでは、この先の回も公開中!

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次回の更新は、9月4日(土)20時です。

Written by 木元哉多(きもと・かなた) 

埼玉県出身。『閻魔堂沙羅の推理奇譚』で第55回メフィスト賞を受賞しデビュー。新人離れした筆運びと巧みなストーリーテリングが武器。一年で四冊というハイペースで新作を送り出し、評価を確立。2020年、同シリーズがNHK総合「閻魔堂沙羅の推理奇譚」としてテレビドラマ化。

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