第47回

文字数 2,614文字

あったかくなってきた! 春のうららかな陽光にもマケズ、ひきこもりを続けるぞ。


どんな季節も自室に籠城、

インターネットが私たちの庭なんです。


脳内とネットでは饒舌な「ひきこもり」の代弁者・カレー沢薫がお届けする、

困難な時代のサバイブ術!

最近「孤独」を問題視する報道が増えてきた。


確かに「孤独死」をはじめ、周囲に頼る人間がいなかったことで起こる事故や事件は後を絶たない。

そして「ひきこもり」と「孤独」はもはやイコールと言って良いほど関係がある。

「二人でひきこもっている」というダブルスのひきこもりはあまり見たことがないし、「チームでひきこもっている」と言われたら、もはやひきこもりなのかも怪しい。


ひきこもりは基本的に個人競技であり、敵は主に自分、もしくは自分の中にいる複数の自分という「声の出演:全員俺」という彼岸島スタイルだ。


よってひきこもりになるということは、同時に「孤独」になることも意味する。

「孤独」が事件や事故を引き起こすとしたら、やはりひきこもりは事故の元や犯罪者予備軍をつくる原因になってしまう。


だが一方で、「孤独はそんなに悪いことなのか」という意見もみられる。


頑なに『鬼滅の刃』を見に行かない奴がいるように、どこにも逆張り野郎は現れる。

しかしこれは、そういった自分らしさを演出するためのサブカルクソ意見というわけではない。


「孤独は問題」となれば、自ずと解決策は「家族や周囲との絆を大事にしよう」という話になってしまう。

確かに、昔に比べて近所づきあいなど、周囲との繋がりは希薄になってきている。

そのせいで孤独死が起きたり、家庭内で事件が起きると、近所の人間が雑なモザイクで「あの家がそんなことになっているなんて全然知らなかった」とインタビューに答えるのはもはやお馴染みといえよう。


確かに、近隣との繋がりが濃厚で子育ても村全体でやっています、みたいなコミュティティでは孤独死は起こらないかもしれない。

しかし、そのコミュニティからはじかれた人間が、ある日ジョーカーのコスプレで公民館に登場し、「逆に死者数が増える」ということもなくはないのだ。


もちろんそれはレアケースだが、「絆が強い地域」には利点もあるが「そこに入れなければ即死」というデメリットもあり、引っ越しをせざるを得なくなったり、引っ越しするだけの余力がなければ結局ひきこもるしかなくなってしまう。

孤独から起こる事件事故を防ぐために、コミュニティを作ろうというのは間違いではないが、「コミュニティを作ったが故の問題」も絶対起こるため、「集団になれば問題が全て解決」ということはありえないのである。


そもそもひきこもりタイプはコミュ力が低いため、孤独を脱するためにただコミュニティに入っても上手くやっていけず、より深くひきこもるか、ある日突然、猟銃と日本刀という、エキゾチック「ガン=カタ」で現れることになる。


よく孤独死対策として「老後はひとりもの同士でシェアハウスで暮らす」という話を聞くが、何故ひとりものかというと、様々な事情はあると思うが「ひとりが好き」逆に言えば「誰かと一緒にいるのが苦痛」なタイプが多いような気もする。

そういう人間たちが雑に共同生活を始めると、ある日全員が武器を持ち、頭に推しのペンライトを2本差した状態で共同スペースに集合ということになりかねない。


また、「孤独」は人の心を蝕むというが「一人でいるのが平気」という人は割と多く、むしろ「一人の時間がなければ狂を発する」という人の方が多いぐらいだ。


つまり「独居」や「ひきこもり」など「一人でいること」自体が問題を引き起こすというわけではない。

何かあった時、相談する相手や頼る相手がおらず、問題を一人で抱え込まなければいけない「孤立」が人のメンをヘラらせ、最悪事件事故に繋がってしまうのだ。


この「孤立」は、「コミュニティの中にいれば解決される」といわけではない。


家族と同居していても「相談できる相手が誰もいない」という状態は良くあるし、会社で仕事が手に負えなくなった時、誰にも手伝ってと言えず、一人で無理をしたり、どうにもならず結局周囲に迷惑をかけたという経験がある人も多いのではないだろうか。


このように、「孤立」は家族がいようが学校や会社に行っていようが発生し、一人でひきこもっている「孤独」よりも集団の中での「孤立」の方が、人の心には効いてしまう場合も多い。


よって、ひきこもりは社会での「孤立」から逃げるために”ひきこもり”という「孤独」を選んだとも言える。

一人になれば「集団の中での孤立」だけは絶対発生しないからだ。


よって闇雲に孤独を解消するために周囲と繋がろうと言っても、孤立はなくすことができないし、むしろ孤立を発生させてしまう恐れがある。


シェアハウスで暮らしたとしても、自分以外が談話室に集まって談笑する声が連日聞こえてきたら確実に病むし、「カレー沢さんて悪い人じゃないとは思うけど、ちょっと変わってるよね」などという会話が聞こえて来たら、楽天で「ジョーカー」検索は不可避である。


孤独は悪い面もあるかもしれないが、それがないと生きていけないという人間もいる。

必要な孤独量というのは人それぞれであり、常人にとっては致死量の孤独を摂取して健康を維持しているという人間もいるのだ。

そういう人間を、「孤独はよくない」と無理に集団の中に入れたら逆に即死する恐れがある。


人間は一人では生きられないが、できるだけ一人の方が生きやすいという人間はいる。


孤独はなくすものではなく、各々が適切な孤独を得られる環境をつくり、「孤立」をさせないかというのが重要なのではないだろうか。

カレー沢薫

漫画家・コラムニスト。長州出身の維新派。漫画作品に『クレムリン』『アンモラルカスタマイズZ』『ニコニコはんしょくアクマ』『やわらかい。課長 起田総司』『ヤリへん』『猫工船』『きみにかわれるまえに』。エッセイに『負ける技術』『もっと負ける技術』『負ける言葉365』『猥談ひとり旅』『非リア王』など。現在「モーニング」で『ひとりでしにたい』連載中&第1巻発売中。最新刊『きみにかわれるまえに』(日本文芸社)も発売中

★次回更新は3月26日(金)です。

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