『その姿の消し方』堀江敏幸/不在を照らすともしび(岩倉文也)

文字数 1,927文字

書評『読書標識』、月曜日更新担当は詩人の岩倉文也さんです。

堀江敏幸『その姿の消し方』(新潮社)について語ってくれました。

書き手:岩倉文也

詩人。1998年福島生まれ。2017年、毎日歌壇賞の最優秀作品に選出。2018年「ユリイカの新人」受賞。また、同年『詩と思想』読者投稿欄最優秀作品にも選出される。代表作に『傾いた夜空の下で』(青土社)、『あの夏ぼくは天使を見た』(KADOKAWA)等。

Twitter:@fumiya_iwakura

ぼくは昔この本と一度出会っている。


かつて福島の駅前には「中合」という老舗の百貨店があり、その二番館の六階には市内でも有数の規模を誇る書店が入っていた。「岩瀬書店」という名のその店にはとにかく岩波文庫の本がたくさん置かれていて、ぼくはそれ目当てに高校の帰りなどにはよく立ち寄ったものだった。


二年生くらいの頃だろうか、その日もふらっと書店に入り、新刊書のコーナーを横切ろうとすると、『その姿の消し方』という奇妙なタイトルの本が目に留まった。帯には「詩人」云々とあり、気になって手に取ってはみたものの、当時のぼくには難解に思え、それに現代の小説よりも外国の古典ばかりを読み漁っていた時期でもあったため、その時は記憶に留めることもなく陳列棚に戻してしまった。


数年前、書店のあった中合二番館は閉店してしまい、本館の方も今年の夏に閉店した。こういうことは繰り返し起こるのだろうとなんとなく思う。ぼくにとって馴染の書店がつぶれることは、欠落と呼べるほどの欠落ではない。しかし、記憶の中では確かに存在している一つの場所が現実から消え去るたびに、ぼくという存在は、少しずつ、不確かなものになっていく。そんな気がしてならない。


『その姿の消し方』もまた、ある種の欠落をめぐる物語だ。名もない「私」は留学生時代、フランスの古物市で一枚の絵はがきを見つける。消印は一九三八年、差出人の名はアンドレ・L。写された奇妙な建物の写真に惹かれて絵はがきを購入した「私」だったが、やがてその裏面には矩形に置かれた奇妙な詩があることに気がつき、興味は詩を書いたと思しき差出人の方へと移っていく……。


一見するとこれは、非常に小説的な筋書きのように思える。半世紀以上前の絵はがき、そこに書かれた不可思議な詩篇。アンドレ・Lとは何者なのか、詩に込められた思いとはなんなのか。


もちろん本作は、そうした問いにも一定の答えを与えてくれる。けれど本作の目的は謎の解明にあるのではない。むしろ、不在のものを追い求めるというその運動性、その精神の方向性自体が問題とされているのだ。

消えた光景、消えた人物、消えた言葉は、最初からなかったに等しくなる。以前はそんなふうに考えていた。しかし欠落した部分は永遠に欠けたままではなく、継続的に感じ取れる他の人々の気配によって補完できるのではないかといまは思いはじめている。視覚がとらえた一枚の画像の色の濃淡、光の強弱が、不在をむしろ「そこにあった存在」として際立たせる。

消えたものは、完全に消えてしまうわけではない。欠落の周囲には、いつも、目に見えぬ存在の残滓が残される。残ってしまう。そして人は否応なくそれに魅せられ、当てのない彷徨をはじめてしまう。


本作の主人公である「私」も、アンドレ・Lの痕跡を数十年の長きにわたり辿りつづける。途切れては繋がり、繋がっては途切れるかぼそい手がかりを頼りに。その過程で人種、年齢も様々な人たちと出会い、そして別れを繰り返す。時が経つにつれ、絵はがきに記されたアンドレ・Lの詩に対する解釈もまた変わってくる。単語の意味も。その見え方も。


われわれは不在を追っているうちに、あまりに多くのものを手にしてしまう。不在に向かい合うとは、本来、いまを生きる人間が、明日をも生きるために必要な儀式なのである。

不在の詩人の記憶を掘り起こすより先に、まだ命のある人に対してやるべきことがある。

ゆえに本作は、「私」がこのように自覚したとき、必然的に終わりを迎える。


『その姿の消し方』。この作品は不在を介して人々が交流し、ついには人間的な絆を獲得するまでに至る過程を、静謐な物語のうちに結晶させていて美しい。


いつかは消え、不在となるぼくたちを照らす――本書は哀しくも明るいともしびである。

『その姿の消し方』堀江敏幸(新潮文庫)

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