ひとしくたらふく

文字数 1,090文字

「優しい物語」という感想をよくいただく。「心がじんわり温まる」も多い。帯に書かれている場合もある。優しい物語を書くとされている(らしい)わたしは、それらの言葉を目にするたびに不安になる。申し訳ないとすら思う。
「幸福も不幸も単なる人生のオプション」と、以前小説の中で書いたことがある。「朝は明るく、夜は暗い。(中略)明るいことに良い意味も、暗いことに悪い意味も、含まれていない」と書いたこともある。わたしには喜びも悲しみも怒りも美しさも醜さもすべてひとしくたらふく味わいたいという願望があり、「楽しいことだけ考えよう」、「つらいことは忘れよう」などと人に言われると、ものすごく反発する。甘くておいしいものだけじゃなくて苦くてまずいものも食わせてくれ、そしてなんでまずいのか知る機会をくれと訴えたい。
「優しい」、「心温まる」という感想に不安を感じるのは、読者に甘いものだけ渡してしまったのではないか、と感じるから。糖衣錠の糖衣の部分だけ舐めさせて吐き出させたみたいな気分になるのだ。
 でももしかしたらわたしの思う「優しい」は、他の人の「優しい」とは大きく異なっているのかもしれない。「優しい」だけではない。世の中には、みんながあたりまえのように使っているけれどもあらためて考えると人に説明しづらいような言葉がたくさんある。愛とか絆とか正しさとか。小説を書き、読まれるということは「わたしの思う○○とあなたの思う〇〇は違うのかも」に幾たびも遭遇することを意味する。
『正しい愛と理想の息子』のハセもまた、重要な他者との「違う」を経験する人である。詐欺師だが、読者を華麗に欺いたりはしない。ただみっともなく這いまわるようにして生きている、そういう人の姿を書きたかった。ハセに対してはいとおしさと歯がゆさをひとしくたらふく味わい、書いているあいだ、とても楽しかった。



寺地はるな(てらち・はるな)
1977年佐賀県生まれ。大阪府在住。2014年『ビオレタ』で第4回ポプラ社小説新人賞を受賞しデビュー。’20年『夜が暗いとはかぎらない』が第33回山本周五郎賞候補作にノミネート。令和2年度「咲くやこの花賞」(文芸その他部門)受賞。'21年『水を縫う』が第42回吉川英治文学新人賞候補作にノミネートされ、第9回河合隼雄物語賞を受賞。他の著書に『大人は泣かないと思っていた』『みちづれはいても、ひとり』『ほたるいしマジカルランド』『声の在りか』『雨夜の星たち』『ガラスの海を渡る舟』など。

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