第15回 小説現代長編新人賞および奨励賞 受賞作決定!

文字数 11,572文字

第15回小説現代長編新人賞は、令和2年7月末日の〆切までに、郵送とWEBであわせて767編の応募がありました。125編が一次選考を通過し、さらに二次選考の結果16編が三次選考へ進み、最終候補は下記の6作品が選ばれました。朝井まかて、伊集院静、中島京子、宮内悠介、薬丸岳の5名の選考委員が審査した結果、受賞作品を左記の通り、決定いたしました。

最終候補作品


「夜が更けたら昼が笑うね」 入江 冬

「囚われの微笑」荒野咲花

「トゥウェルブ・ナイン〜動機ある者〜」島田悠子

「檸檬先生」珠川こおり(応募時ペンネーム「珠川こうた」)

「桎梏の雪」仲村 燈(応募時ペンネーム「仲邑 燈」)

「HK1804」友李祥太朗

最終候補から選考委員により選ばれた第15回小説現代長編新人賞受賞作はこちらです。

受賞作品 (賞状および賞金 三百万円)


檸檬先生

珠川こおり

受賞の言葉


このたびはこのような賞をいただき本当にありがとうございます。私の作品を読み審査してくださった選考委員並びに編集部の皆様に、心より感謝申し上げます。


人の死を身近に感じる事がありました。その時恩師に言われたのが、長生きをして、一秒でもいい、他人を長生きさせる努力をしろということでした。それが医療関係でなくてもいい、間接的にでも貴方達にはできると、そう言われました。


夜になると漠然とした不安に覆われて、自分が一体何者なのかわからなくなる時があります。周りの人の勝手な理想像と妄信で、私は常識と普遍の枠組みの中に捕らえられ身動きができなくなる。もっと自由に生きるべきなのではないか。こんな変な世の中だから、生きることに不安を抱くこともあります。


私はただの高校生で、何をしたってどれも特別なことはなく、平凡じみています。そんな私でも、何かをなすことで、そうして間接的にでも人を救えるのだろうかと思いました。


私は「表現する」ことが圧倒的に好きです。本当に小さい時から、今でも、ずっと。表現というのは、美術だとか、音楽だとか、勿論小説を書くことも含まれていて、大体の時間をそれらに費やしています。


表現することは芸術をすることです。


芸術は、太陽であり、月である。時に強く鮮烈に、時に優しく静謐に。人々はいつだってそれを見つめる。私の創る作品はそんな人々を照らし出すほどの力なんて持っていません。ですが、本当に小さな小さな、星の一欠片くらいにはなるのではないかと思います。仄かな頼りない光しか持ち合わせていない欠片では、人をたすけることなんて到底無理ですが、この一欠片が一秒分の生きる勇気になって、積み重なっていけばいいなと思うのです。


辛い、苦しい、死にたいという感情はどうしてかすぐに心から溢れ出して私たちを支配します。生きたいと思うのは難しいことです。人生で一番大変なことは、生き抜くということかもしれません。


『檸檬先生』は決して明るい物語ではありません。それを読んで嫌な気持ちになる人も、きっと大勢います。でも、負の感情も、正の感情も、未来につながりゆく感情です。私はそうして、掌大の星の欠片を紡いで、一秒分の光で人を照らしたい。自己満足かもしれない、けれど、紡いだ欠片が、一秒分の勇気になって、それが積み重なって、生きる希望になることを願っています。

受賞作梗概


私立小中一貫校に通う小学三年生の私は、数字に色が見えたりする「共感覚」を持っていた。普通の人と同じように絵画や音楽を楽しむことができず、いじめを受けて、孤立していた。自称芸術家の父親は世界中を旅して回り、一方の母親は風俗店で働くまでして生活費を稼いでいる。困窮した節約生活の中、唯一心安らげる場所は放課後の誰もいない音楽室だった。


ある日、その音楽室で中学三年生の少女と出会う。彼女もまた孤独な共感覚者であった。私より共感覚に詳しい物知りな彼女のことを「檸檬先生」と呼び、彼女からは「少年」と呼ばれた。檸檬先生と春にはホールで音楽を楽しみ、夏は海で過ごしたりした。秋にある文化祭の発表会では、檸檬先生と共感覚アートを共作。私は自分が共感覚者であることをプレゼンして、クラスメイトにも受け入れられるようになった。冬になると、高校受験に専念する檸檬先生とは会う頻度が少なくなり、次第に疎遠になる。


時は過ぎ、私は共感覚を克服して、浪人の末に芸術大学へ入学することを決める。入学を控えたある年の三月、突然檸檬先生からかかってきた一本の電話。大企業の社長令嬢であった先生は就職、結婚が自由に認められず、誰一人として自身の本質を理解してくれないことに絶望して、公衆の前で自殺を図ってしまう。私はその血液の赤さに苛まれつつも生前の美しい檸檬色を忘れられず、彼女への懺悔を込めた作品を制作する。

また、選考会では受賞にいたらりませんでしたが、テーマやその表現などを惜しむ声が多く上がった最終候補作もあります。選考委員諸氏の了承を経て、奨励賞とすることにいたしました。

奨励賞作品 (賞状)


桎梏の雪

仲村 燈

受賞の言葉


そもそも選考委員の面々に惹かれて応募を決めた身としては、最終選考まで残れた時点で「あがり」のようなもの。僕の作品を推してくださった編集部のみなさま、本当にありがとうございます。


その「あがり」の連絡を受けてからの僕は、決してそれに浮かれることのないよう、ましてや「賞が貰えるかも!」などと高望みはしないように自重して、日夜せっせとサインの開発・練習に勤しんでいたわけですから、奨励賞という結果は僥倖と言うほかありません。


選考委員の先生全員に高評価をいただいたわけではない、あるいは厳しい意見をくださった先生の方が多いかもしれないこと、承知しています。それでも僕は、先生方に読んでもらいたくて小説現代長編新人賞に作品を送りました。念願かなって光栄です。ありがとうございました。


ところで、この「受賞の言葉」ですが、800字程度という指定です。いま400字弱。あと半分。こういうのって、なにを書けばいいのでしょうか。噓でいいならそれこそ賞状がもらえるくらい書けるのですが、たとえば作品にこめた想いだとかって個人的にはあまり知られたくありません。


執筆中の苦労でも語ろうにも、四十肩が辛かった、治ったと思ったら今度は反対の肩が痛い、蛍光灯の紐が抜けて(うちのは天井に固定されているタイプで、そうなったら交換するしかない)部屋が真っ暗だった、みたいなカナシー話ばっかりです。


いや、蛍光灯はもう三年以上そういう状態でした。


長編の執筆歴がちょうど三年くらいだから、なにかの喩えとかじゃなく、僕は暗闇の中で小説を書き続けてきたことになります。


あんまり愚痴めいたことを書いていると、「アンタの書いた小説はつまらなそう」って思われてしまいそうですね。


それは間違いなく面白いつもりです。


僕には面白い小説が書ける。それだけは暗闇の中でも信じ続けてきました。僕の小説がどのくらい読んでもらえるのかは分からな……あ、そろそろ字数足りてそう。


作家の末席に名を加えていただけること、身に余る光栄です。


ひとりでも多くの読者と、このさき繫がってゆきたい。仲村燈は、そう願っております。

受賞作梗概


文化六年(一八〇九年)、江戸将棋界の重鎮・九世名人大橋宗英が惜しまれつつ世を去る。しかし、将棋三家、大橋家・伊藤家・大橋家の分家(宗与家)の間での名人後継ぎ選定は家元間の政争激しく、伊藤家の宗看が十世名人を襲名するまでには十六年もの歳月を要してしまう。


大橋分家七代目当主・宗与は、その間に生じた将棋家の衰退を憂いていた。自身は父宗英から棋才を継ぐことができなかったものの、鬼才・英俊を養子に迎え将棋家再興のため尽力する。養子ゆえの気後れを見せつつも、英俊は名人宗看に次ぐ実力者へと成長していった。妹で初段棋士の弦女も宗与家に活気を与える存在であった。まだ幼い宗与の嫡子・鐐英も、大橋家の弟子・留次郎(後の天野宗歩)と友情を分かち合いながら日々研鑽を積んでいく。


しかし、それとは裏腹に本家と分家の間には確執が生じ、それによって宗与は隠居(引退)寸前にまで追い詰められてしまう。家同士のいがみ合いはさらに伊藤家をも巻き込んで過熱し、名人宗看は自家の看佐を立て、宗与家の英俊に八段目昇進をかけた勝負をもちかける。宗与の思惑から外れた形で、将棋家は市井の注目を集め始めていた。止まぬ家元同士の面子の張り合いと、錯綜する思惑によって、若手棋士たちの人生は思わぬ方向に狂わされていく。

選評

何を書くか、どう書くか(朝井まかて)


小説は何を書くかではなく、どう書くかだと、よく言われる。題材に引きずられるな、倚りかかるな、いかなる暴れ馬であっても手綱を手放すな。これは警句でもあるのだと自身を戒めること、しばしばだ。今年の最終候補作品はまた力作揃いで、皆さん、本当に巧い。それでも選ばねばならない。当然のこと、ただ巧いだけではない作品を推すことになる。


──このひとは「どう」書いたのか、と。


「檸檬先生」は、音と色の響き合う世界を見事なまでに小説に引き込んだ。共感覚のことは知らなかったけれども、その生きづらさ、苦しさだけでなく、新しい世界に目を開かされた瞬間があった。台詞と地文に新鮮な発露があり、檸檬先生の台詞には実がある。ただ、腑に落ちなかったのは先生の自殺の動機。先生の人物像と動機が結びつかない。ラストも主人公の独白ではなく、音楽と色で示す道があったのではないか。だがそれらの疑問をさて置かせるほどに作品世界は清冽な熱を放っていて、デビューしたらどんな小説家になるのかと胸の膨らむ思いがした。珠川さん、新人賞おめでとうございます。


「トゥウェルブ・ナイン~動機ある者~」は達者な筆運びで、視点は目まぐるしく変わり時系列も前後するけれども、読む速度は損なわれない。だがチームのメンバーの設定や主人公の過去に横たわる事件、サイコパスの男が警察のスーパーバイザーになっている点など、既視感がつきまとった。シリーズ化を前提としているのかと思うほど、顚末の回収もできていない。候補作中、エンターテインメント性では群を抜いていたのだが。


「囚われの微笑」、これも映像的な作品で、脚本をやっていた? と思うほど手際がよい。だが、どの登場人物も味わいが薄い。あの有名な詐欺事件・盗難事件に材を取っているのだから、人間の陰影をもっと彫琢しなければ、事件のユニークさに倚りかかり過ぎることになる。一九〇〇年代のブエノスアイレスやパリの風俗、景色をもっと描写するだけでも、人間の背景は深められるのではないか。次作を期待したい。


「夜が更けたら昼が笑うね」は精神のアンチエイジングというフラッグに惹かれて読み進めた。〝人間が最も賢いのは何歳の時なのか。十九か、九十九の自分か〟という問いにも前のめりになったけれども、よくわからないまま終わってしまった。まず、老害の実態が近未来の設定とは思えず、老人たちへの批判も類型的だ。作者にはきっと何かが見えていたはず。それをどう書くかは、ひたすら書き続けるしかない。


「HK1804」は投げかけてくるものの重さがあって、どうしてもこのことを小説として問いたいのだという強い意志を感じた。今も心に残っている場面がたくさんある。力のある人だと思う。だが実際の事件との距離があまりにも近い。とくにラスト。ここにこそフィクションの可能性を見たかった。次回は、小説でしかできないことに挑んでください。

無垢な視点(伊集院 静)


「桎梏の雪」は候補作の中で最も読みにくく、人物がなかなか像を結ばない。登場人物の名前が似るのは史実がそうであるから仕方がないのだけれど、たとえばお弦が宗家の主にタメ口であったり、寺社奉行の用人に対する言葉遣いにも首を傾げる。用人は家老に次ぐ地位であるので、お弦が口の悪い設定だとしてもあり得ない。あり得ることにするなら、その理由を担保しなければ。言葉遣いの混乱は登場人物の関係性、身分・立場・実力の違いをわかりにくくし、人物が曖昧になる。しかも、各エピソードが等分で語られるので散漫だと思いつつ、この作品を奨励賞として推した。ラスト、宗看とお弦の対局ではこれまでの事件が見事に収斂されて大きな波となり、心を揺さぶられたからだ。ああ、これは江戸の将棋家を中心とした群像劇だったのだ、と。後日譚にも広がりがあり、体よくまとめなかったことにも好感が持てた。将棋や囲碁を小説にするのはやはり、並大抵の力量ではできないことだ。仲邑さん、奨励賞おめでとうございます。どうか、たくさん書いてください。


今年の小説現代長編新人賞に多くの(総数七六七編)応募があったと聞いて、嬉しい思いがした。今もそれだけの数の作品が、この新人賞にむけて書き続けられていたと思うと、小説家を目指す人への期待がふくらんだ。


今から四十数年前、二十歳代の私はこの新人賞応募にむかって、幾夜も徹夜したのを覚えている。歳月がひと回転すると選考委員の立場でこの賞とむき合っている。私は最終選考で落ちたが、それでも何とかさまざまな人の助けを借り、作家の片隅にいる。だからこの賞への思いは特別なものがある。


或る時は厳しく、また或る時は大甘になったこともあるが、この数年、この新人賞はレベルと才能に恵まれている。奇妙なもので、こういう賞にも山、谷があり、今は山、峰に寄っている気がする。だから数年続けて良い新人を、この賞から輩出したいという思いがある。六作品を読んだが、それぞれに面白かったし、感動もした。


仲村燈氏の「桎梏の雪」は候補作の中でただ一作の時代小説であった。他の現代小説の作品が今を語ったり、近未来を舞台に置いているので、自然、会話や文章が現在と重なり、そこに自由さがある。よく言う言葉に〝若い人を自由にさせておくととんでもないことをしでかす時がある〟とあるが、新人賞の応募には目を覆う文章がある。その点、時代小説にはまず見本のようなものがあり、それが読み易さになる。


将棋士たちの物語である。江戸期に確立した職業ゆえに実在した人々が参考になっている。そうなると根本的な間違いが作品の傷になるので周到な下調べと準備が必要となる。その用心深さをともなうことが作品から自由を奪ってしまう。作者はそういうものを乗り越えてよく仕上げている。読みすすめていて、私は盤上にあろう白熱した空気、鋭い指し手に似た人間(登場人物)の動きや、勝負事があるから、勝者、敗者の業がどう描かれているかに期待したが、どうもラストを含めて、類型的であった。新人賞であるからもっと破天荒であって欲しかった。しかし時代小説のレベルには達しているので、次作に期待したい。


友李祥太朗氏の「HK1804」は、現在の香港の民主化、軍事化をテーマに政治批判を背後にかかえての作品で、よく挑んでくれた、という気持ちがして、応援しながら読んで行った。そういう事情にまさる作品であればと期待した。しかしイデオロギーの違いを越える決定的な人間像や出来事に出逢えなかった。新人に多くのものを求め過ぎているのかもしれないが、それができる可能性があっただけに惜しまれた。ぜひ再挑戦して欲しい逸材と才気である。


荒野咲花氏の「囚われの微笑」は、物語の着目点が面白く、大胆な手法は新人らしからぬ作品であった。常に名画が物語の軸にある作品なら、文章にも端麗なものが欲しかった。想像力の自由さがあるのなら創造の丁寧さもあってしかるべきかと思った。


入江冬氏の「夜が更けたら昼が笑うね」。軽妙を好む文体、テーマ、表現法……のすべてが、この手のものを好む人にむけて書かれている気がした。それはそれで悪くはないが、小説の普遍性が置き去りにされているように思えた。才能があるので他のテーマなら、さらに豊かな作品を創作できる気がした。


島田悠子氏の「トゥウェルブ・ナイン~動機ある者~」は候補作中、群を抜いた才気に思えた。この手の新人がおそらく新しい時代を築くのかもしれない。ただ受賞作にある抒情が見えなかった点が小説の基本の欠落に思えた。


珠川こおり氏の「檸檬先生」は、最初に主人公の死を置いてのはじまりに新人の不敵なものが感じられ、大丈夫かと心配したが、よく踏ん張って書き上げてくれた。作品のテーマが珠川さんの背中を押している気がした。何より支持できたのは対象を見つめる無垢にも似た視点から言葉を紡いでいる点だった。これは才能であろう。新人賞は出発点であるから、次作にむかって懸命に書き続けることだ。お目出度う。

選評(中島京子)


「夜が更けたら昼が笑うね」

ちょっと懐かしい青春小説のような雰囲気があって、目白あたりの坂の描写などがよかった。大学生のサークルの、内輪だけで盛り上がって傷を舐めあうような空気もよく描けていると感じました。ただ、近未来的な設定はまったく生きていないので、いっそきちんと現代小説のリアリズムの中で書いたらよかったのではと思いました。


「囚われの微笑」

有名な事件を使わずにこの贋作画家の話は作れたのでは。あまりに有名な史実なので、もっとスケールの大きい物語を期待してしまった。読み手の問題と言われればそれまでですが。それから、物語の鍵となる色覚の話が唐突に感じられること、人物造形がやや類型的なのが気になりましたが、よくまとまった作品だとは感じました。


「トゥウェルブ・ナイン~動機ある者~」

とても上手な書き手の方でした。シリーズもののテレビドラマや漫画の原作を手掛けても成功するだろうと思わせました。もちろん、小説家として、じゅうぶん仕事していけるだけの力量を持っているし、だいいち、この作品はシリーズ化を前提として書いているように思われます。でも、手慣れた感じというのは、新人賞では損をします。とくに、犯人像にまったく驚きがないところが、難点だと思いました。


「檸檬先生」

ほかの選考委員の圧倒的な支持を集めましたが、私は、推しませんでした。これは、この半分くらいの長さで上手に書いたら、芥川賞候補になるようなタイプの小説かなと思います。魅力的だったのは、二人がシンコペーテッドクロックを絵にするシーンで、幸福感を与えてくれました。おばあちゃんの家に行くところもよかった。それから、語り手が徐々にふつうの子どもになっていくところが、切なかったです。それだけに、檸檬先生の自殺の衝撃が、描き切れていないような、フラストレーションがありました。さらにいい作品に仕上がるはずなのに、敢えてこの段階で授賞するのかな、というのが私の率直な感想です。


「HK1804」

これはたいへん悩ましい作品でした。いま進行中の香港の状況を題材にした意欲作で、そこに親子の情と対立、香港そのものの歴史等をからませて描いた、受け止めるものの重い作品ですが、視点の切り替えもうまく、はらはらさせてもくれて、読み物としての完成度もとても高いものだと感じました。六作品の中で、もっとも熱い、いまどうしてもこれを書いておかなければならないんだ、という、書き手の意志を感じました。実際、歴史の中に埋もれていくだろう声が、この小説によって拾われているのではないかと思います。ただ、事実があまりにも反映されているだけに、ラストのフィクションも事実と受け取られかねないなど、いろいろな問題が浮上しました。迷いましたが、「小説として」読んだときに、題材の扱い方に若干無理があるのではないかと思い、大賞には推しませんでした。


「桎梏の雪」

六作品中、もっとも日本語がしっかりしていて、文体を感じました。内容は、化政文化華やかなりしころを生き、伝説的な名人・大橋宗英の名を継ぐも廃嫡され、在野の将棋指しとなった、大橋柳雪の生きた時代の将棋界の物語です。柳雪ひとりに焦点が当たる話ではなく、大橋家・大橋分家(作中では宗与家)・伊藤家による、将棋家元制度をめぐる話であり、その時代を生きた将棋指したちの群像劇とも言えるでしょう。柳雪に関しては、あっけにとられるほど大胆な創作が行われていますが、私はこの小説の大きな魅力だと思っています。真に迫る対局場面を描いた筆力はたしかなもので、人物の相関と確執が描き分けられ、また、一つの時代が終わる、その転換じたいをテーマにしているところが、時代小説でありながら、作品に普遍性と現代性を持たせていると思いました。最後の棋譜も、謎が解けると思わず笑みが漏れます。わりと平気で読者に負担を強いるこの小説が、私は好きです。登場人物の名前が似すぎているところが難点で、呼び名を創作するなど工夫してはと思います。奨励賞ということですので、ぜひ、次の作品でも力を発揮されることを期待します。

恐るべき解像度(宮内悠介)


六編とも、どれが受賞してもおかしくないと思わせるものだった。いずれも志と完成度の双方を兼ねそなえていて、選考に立ち会えたことを嬉しく思う。以下、受賞作を後回しにして順不同に。


「夜が更けたら昼が笑うね」の主題はずばり「老害」となる。私はよく「老害という語を好んで使う人は誰よりも先に老害になる」と発言するのだが、著者もまた、この語の持つこうしたなんらかのグロテスクさに着目したのではないか。結論は私の考えと異なるが、それは問題ではなく、本作の試みは、人が劣化するとされる世界において、ゆえにこそ困難となる成長譚を描く点にあると思う。結果、成長譚ともホラーとも取れる多面性を獲得している。宿命的にエイジズムを抱えるため推せなかったが、こうした試みは歓迎したいし、危険思想はあるものの、小説は危険思想なくらいが面白い。


「囚われの微笑」は有名なモナリザ盗難事件を再構成し、ラブロマンスとともに、アルゼンチンに生まれた詐欺師と贋作師の悪縁と友情を描くもの。文体や構成、味、風情やエモーションなど、ほぼ完璧と見て「檸檬先生」とともに推したが、残念ながら支持を得られなかった。である以上、私が見落とした何かは必ずあるはずで、本作については他の皆様の評を参考にされたい。


「トゥウェルブ・ナイン~動機ある者〜」は警視庁のとあるチームの物語。描写に躍動感があり、フックの量はおそらく候補作中もっとも多く、ページターナーに仕上がっている。一方で既視感も目についたため推すことはできなかったが、ファンのつく作風であると思う。


「HK1804」は警察とデモ隊がぶつかる「HK」を舞台に、警官の父とデモを支持する息子の対決を描く。ときおり投げかけられる問いに切れ味があり、複雑なルーツを持つ父の叫びが重く響きわたる。他方、ほぼ事実そのままに、香港をHK、中国をC国としたナラティブをどう受け取るかで悩んだ。通常なら老獪に刃を丸めて抽象化する題材だが、著者はそういう老獪さに抗い、直截に現実を訴えたのだとも読める。また私たちが香港デモを書くと一種の文化盗用になる一方、香港の人はもはやこれを書けない。するとこれは、こうした問題を描く新たな形かもしれない。が、「HK」表記には香港を矮小化する作用もある。ここで迷いが生じたため強く推せなかったが、力作であることは疑いない。なお食の描写の変遷なども芸が細かい。


「桎梏の雪」は将棋の十世名人・宗看の時代の死闘を描くとともに、将棋史上の疑問に再解釈を加え、さらに隠された女性棋士の活躍をまぎれこませ、虚実を交えくすぐってくる。各人物のひたむきな情熱が序盤から心地よく、棋力に恵まれず政治をやるしかなかった宗与の人物像にはペーソスがある。また、読者を信じていっさいの経緯や説明を省いたラストが美しい。ただ盛りこみすぎな感はあり、同じく虚実交えながらもヒューマンドラマに絞った「囚われ~」が一手勝ると見たが、単純な好き嫌いでは大好きな作で、奨励賞となったことを喜ばしく思う。


「檸檬先生」は『こころ』の末裔か令和の『彼岸先生』か。共感覚に苛まれる語り手を上級生の「檸檬先生」が導き、やがて語り手が社会適応し、先生が自死するまでの顚末が描かれる。私なら短編にしてしまいそうな話を恐るべき解像度で長編に仕上げていて、それも冗長ではなく随所に光る表現がある。全体に血が通っていて、小説を読む原初の喜びのようなものがあった。なお題から連想される通り、先生の自死の理由は明確には示されない。それらしい理由はいくらでも挙げられるが、本作にはあらゆる模範解答を拒み、それ以上の深い何かがあったのではないかと思わせる力と、それまでの物語がある。「囚われ~」とともに推したものの、やや文学寄りなため評価が割れることを危惧していたら、思わぬことに多数の支持がありほぼ異論なしの授賞となった。おめでとうございます。

選評(薬丸 岳)


「夜が更けたら昼が笑うね」少子高齢化が進む未来の日本を舞台にした作品で、進化を妨げる高齢者(老害)を問題視した若者がアンチ老害塾なるものを立ち上げるという着想自体はおもしろいと感じ、また佳穂の大学のサークルでの仲間たちとの交流や、その中で彼女が苛立ちを募らせていく描写などはなかなか読ませるものがあった。ただ、主要登場人物である桂の描かれ方が後半になるにしたがって雑になっていき、また公安捜査官の久名の任務やその顚末に関しても同様の思いを抱き、不完全燃焼に感じた。


「囚われの微笑」20世紀初頭のパリを舞台にした絵画の贋作にまつわる話。読みやすい文章で、展開にも大きな破綻はなく、そつのない整った作品だと感じた。ただ、自分には物足りなく感じられた。整った作品ではあるが、その中に作者の強い個性を感じられなかったからかもしれない。


「トゥウェルブ・ナイン」個性的なキャラクターを配し、見せ場も多く、エンターテイメントとして愉しめた。ただ、キャラクターや設定に現実味が乏しかったのが惜しい。特に真神というキャラクターは映画『羊たちの沈黙』のレクター博士のような立ち位置なのだが、このような特異な能力を持ったキャラクターを設定しても、読者への説得力を持たせるのはかなり難しい。実際、作中では真神のカリスマ性が語られるだけで、メインの事件においてもたいした役割を果たしていない。早い段階から主人公とからませていれば、もっとドラマチックな展開になったのではないかと思う。また、違っていたら作者に申し訳ないが、この作品は続編ありきで書かれたもののように感じられた。もしそうであるならば、今書いている一作に自分の持てるすべてを注ぎ込んでほしかった。


「桎梏の雪」史実を元にした江戸時代の将棋家の話で、将棋の知識がまったくなく、時代小説を読み慣れていない自分には正直なところ判断が難しい作品に思えた。実際、最初のほうは背景を追うだけで難儀していたのだが、途中から夢中になって読んでいた。時代背景に疎くとも、それぞれの登場人物に強く感情移入させられ、対局シーンの臨場感に引き込まれた。不得手な読者をここまで引き込む手腕はたいしたものだと思ったが、自分に知識がないゆえに強く推しきれなかったのが残念だ。


「HK1804」某国の現状をそのまま思わせる、民主化を訴える若い学生のデモ隊と、それを封じ込めようとする政府・警察との争いを描いた作品だが、デモ隊=善、政府や警察=悪という単純な図式に陥らず、そこから一歩踏み込んで主人公の出自などもからめながら問題の根源に迫ろうとする姿勢に好感を抱き、また父と息子の葛藤もたいへん読み応えがあった。ただ、最後の六枚を読んで評価を変えざるを得なくなった。HK、C国と記しているが、読んだ誰もがある国のことを思い浮かべる中、あまりにも現実から逸脱していると現状では思われる描写があり、これを受賞作としてそのまま出版するのは難しいと感じた。候補作中唯一涙した作品でもあるので残念でならないが、どうかさらにすごい作品を書いて、また挑んでいただきたい。


「檸檬先生」共感覚という独特な感性を小説として描こうとした意欲を大きく買い、またそれが見事に成功していると思える作品だった。ただ、回想とはいっても、小学校三年生の主人公が使う子供らしからぬ難しい言い回しや語彙に若干の引っかかりがあった。また、小学校三年生のときの出来事が密度濃く描かれているぶん、クライマックスに至るまでのそれからの十年間の描かれ方が淡白に感じられ、最後の主人公の想いが今ひとつ胸に響いてこなかった。とはいえ、この作品を受賞作にすることにまったく異論はない。選考の後に知ったのだが作者は十八歳の高校生だという。新しい才能の誕生を喜びたい。

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