『高円寺純情商店街』ねじめ正一/ああ、高円寺(岩倉文也)

文字数 2,520文字

書評『読書標識』、月曜日更新担当は詩人の岩倉文也さんです。

ねじめ正一『高円寺純情商店街』(新潮社)について語ってくれました。

書き手:岩倉文也

詩人。1998年福島生まれ。2017年、毎日歌壇賞の最優秀作品に選出。2018年「ユリイカの新人」受賞。また、同年『詩と思想』読者投稿欄最優秀作品にも選出される。代表作に『傾いた夜空の下で』(青土社)、『あの夏ぼくは天使を見た』(KADOKAWA)等。

Twitter:@fumiya_iwakura

ぼくはもう高円寺に住んで三年くらいになる。


大学進学に当たって、わざわざ高円寺を引っ越し先に選んだのは、かつて詩人の中原中也が暮らしていたというおぼろげな記憶があったからだ。高円寺、という街の名前は、だからぼくにとって少しく特別な意味合いを持っていた。


が、実際に暮らしてみると、高円寺は詩人の街ではなかった(当たり前である)。高円寺とは何よりも古着の街であり、飲み屋の街であり、ロックの街だった。加えて言えば、人々が生きるために集まってくる街だった。


高円寺駅付近の猥雑さは、たとえようもない。駅北口の広場に夜行けば、おっさんと若者が罵り合っている。その横で駆け出しのミュージシャンが孤独を歌っている。さらにその横で外国人が酒盛りをしている。(よおく耳を澄ませば、南口近くの中央公園前でスケボーに興じる青年のかすかな物音も聞こえて来るかもしれない)。


そんな街である。上京した当時、ぼくはこの街の熱量に圧倒された。およそ地方には微塵も存在しえないエネルギーが街中を満たし、もうもうと立ち昇っているように思えたのだ。またそうした思いを加速させる装置として、「高円寺純情商店街」はあった。いったいこんな混沌とした街のどこに「純情」があるのだろう?


ねじめ正一の『高円寺純情商店街』を読めば、その答えが見つかるような気がした。と言うのも、「高円寺純情商店街」は元々「高円寺銀座商店街」と名乗っていたのだが、本作をきっかけとして現在の愛称が採用されたという経緯があるからだ。


本作の舞台は今からおよそ六〇年前、一九六〇年代前半ごろの高円寺である。


主人公は高円寺駅北口の商店街に店を構える「江州屋乾物店」の一人息子で中学生の正一。この少年の眼を通して、商店街に暮らす人々のあり様やさまざまな事件についての顛末が描かれていくことになる。


実を言うと、ぼくはだいぶ前から本作の存在は知っていた。しかし直木賞受賞作ということや、文庫裏のあらすじに「ハートウォーミングな物語」とある所から勝手に付会して、通俗的な人情小説のようなものを思い描きこれを避けていた。


だが本作を一読すれば分かる通り、ここに収められているのはそんな生易しい小説ではなかったのである。


本作は同一の商店街を舞台とした六つの短編から成っているのであるが、そのどれもが正確な観察眼に裏打ちされた具象的な描写によって肉付けされており、かつなめらかな文体はこれが詩人・ねじめ正一のはじめて手がけた小説かと幾度も瞠目させられた。たとえば冒頭に置かれた「天狗熱」という一編のこんな描写。

サッサッサッサッと、指の腹でこする手応えを確かめながら、退屈しないように円を描いてサッサッサッサッとこすったり、斜めにサッサッサッサッとこすったり、タテ横にサッサッサッサッとこすっているうちに、かつをの脂が指先にもくっついてきて、こするたびに指先が脂ですべりがよくなり、つやつや光りだし、それでもサッサッサッサッとこすっていると指紋がなくなってしまうのではないかと思えるほど指先がつるつるぴかぴかになってきて、サッサッサッサッとこするふるいの金網が指先に心地よくなってくる。

これは正一が花かつおをふるいにかけて粉かつおを拵えている場面だが、疾走感のある前衛的な散文詩で詩壇を席巻した著者の面目躍如とも言える描写である。ほとんどここだけ読むと詩そのものとも思えるが、その実、粉かつおを作る際の音や皮膚感覚やリズミカルな動きが的確に表現されていて見事である。


では次は内容の話に移ろう。どの作品も短編として完結しており、それぞれ結末には深い余韻があって優れている。だが特に「もりちゃんのプレハブ」と「真冬の金魚」の二編は内容面から言って頭一つ抜きんでていた。


他の短編は商店街の人々を描いた心温まる物語としての枠に一応は収まっているものの、この二編にあっては完全にそれを逸脱してしまっている。


「もりちゃんのプレハブ」では乾物店の店員もりちゃんとカズ江という女性との恋の模様が描かれている。物語の途中で語られる、野良猫の仔は生まれ次第始末するという当時の商店街での残酷な習慣や、二人の恋を歓迎しない街の雰囲気などがどこか不穏であり、この短編は商店街の明るいばかりではない裏面を、また人間の不気味な側面を描いたものとして本書の中でも異色である。


「真冬の金魚」では商店街で起こったボヤ騒ぎが語られる。消火の際、正一の家の用水桶の水が使われたのであるが、その用水桶ではボーフラ除けのために金魚が飼われていた。

街灯の薄明かりに、濡れた地面が光っている。その地面のところどころがひくひく動くのに正一は気がついた。道端のあちこちで、金魚が跳ねているのだった。

消火のため水と一緒に火へと投げ出された金魚たち。その姿は惨たらしくも幻想的だ。ここには、人間的な温かみを超越した美の世界がある。正一は一瞬、「詩」の世界を覗き込んでしまったのだ。


「高円寺純情商店街」。それはただやさしいだけの場所でも、あたたかいだけの場所でもない。欲望と欲望が、見栄と見栄が、人と人とがすれ違う騒がしい街の一角である。


著者は哀しくも愛おしい、愚かだが憎めない、そんな人間の営みすべてをひっくるめて、「純情」と、そう名付けたのではないだろうか。

『高円寺純情商店街』ねじめ正一(新潮文庫)
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