POP研究を引き継いでくれる人材は、まだ見つかっていない。

文字数 1,195文字

「文庫になりました。3年経っても『本屋の新井』です。」

型破り書店員による”本屋の裏側”エッセイ集が9月に講談社文庫から発売。それを記念して、発売日まで5日連続で、カウントダウン試し読みをお届け! 本日は、第2弾です。

 あの時、プロポーズを受けていたら今頃は……。という後悔は無意味だ。


 私は一人しかいないし、その時のその瞬間はもう二度と訪れない。だから、どちらがより幸せだったかを比べることはできない。

 それと同じ感覚で、私は本に手書きPOPを付ける。その本がどれだけ売れるかも、POPを付ける場合と付けない場合とで同時に比較することができないからだ。


 だから業務ではなく趣味と位置付けることで、結果を考えないようにしてきた。付けたいから付ける。お邪魔になったらごめんなさいよ。ただの自己満足だ。

 営業している限り棚整理が終わることはないし、埃は絶え間なく降り積もるから、成果が約束されないPOPは、どうしても時間外に書くことになる。

 元来そういった作業を得意としない私は、休日をそれに費やすことに、負担を感じていた。

 誤解しないでほしいのだが、POP作成ではなく、販促が趣味なのだ。


 しかし、営業本部に異動して、チェーン全体を見る立場になると、ある実験ができることに気付いた。その途中経過を、ここに報告する。


 ほぼ同規模の店舗で、同じ本を同じ面数積み、片方の店舗にだけ手書きPOPを付けた。すると、5倍10倍とみるみる売上げ冊数に差がついていった。

 厳密には違う店舗であり、客層だって異なる。だが、比較データを積み上げることである程度の証明ができれば、「POPを書く」ということが、重要な販促業務として認められる日が来るかもしれない。もっと確信を持って、POPを付けることができるかもしれない。


 それが証明できるのは、売り場を離れた私しかいないのだろう。

 ただ、絶望的に研究員体質ではなかった。

 売り逃している店舗をじっと観察することができない。データを取るより先に、体が動いてしまう。研究対象に思い入れが強すぎて、このままでは「超売れてるんだから!」と、データ改竄に手を染める可能性も大いにあった。

 そしてまことに、まことに残念なことに、私はわずか1年で現場復帰することになってしまった。

 POP研究を引き継いでくれる人材は、まだ見つかっていない。



 

新井見枝香(あらい・みえか)

1980年東京都生まれ。書店員・エッセイスト・踊り子。文芸書担当が長く、作家を招いて自らが聞き手を務めるイベントを多数開催。ときに芥川賞・直木賞より売れることもある「新井賞」の創設者。「小説現代」「新文化」「本がひらく」「朝日新聞」でエッセイ、書評を連載し、テレビやラジオにも数多く出演している。著書に『探してるものはそう遠くはないのかもしれない』『この世界は思ってたほどうまくいかないみたいだ』がある。

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